この世で一番重き罪

●この世で一番重き罪


「人のもん盗ったら盗人ぬすっとやろう。返せ~」


「盗人だとぉ?」


「早う財布を返せ。他人ひともん盗るのは盗人や」


 見た目の子供らしく、わしは財布の返還を要求する。盗人呼ばわりは、彼らに微塵も財布を取り上げる権利が無いからである。



「幾ら入っとるかは知れへんが、ここにお上が認めた証文もある」


 だが、可哀想に。わしをお春の身内だと思って居る奴らは全く聞く耳持たない。


「これだけ言っても、お姉ちゃんから取り上げた財布を返さないと言うんかぁ」


「何を言うて居るんだ。返す訳無いやろう」


 このわしを子供と見て。あるいは証文が盾になるものと勘違いして、ふんと鼻で嗤う男達。

 当然こんな証文など、お春の雇い主に過ぎぬこのわしにとって何の効力も無い。


 考えても見よ。譜代の家来ならばいざ知らず。長年仕えた奉公人ならばいざ知らず。

 慶庵けいあんと言う名の世話人に頼んだ、出替でかわりですらない一時雇い。

 たかが日払い百文の君臣の契り。要は限りなく赤の他人なのだ。


 あいつらの親分がどれ程の者かは知らない。

 しかし誰であろうとも、無関係な者から奪い取ればそれは窃盗。力づくなら強盗と言う事に為る。



「返せ!」


 駈け寄って行って、お春の手を掴んでいる男の脚を蹴飛ばした。

 薙ぎ払う蹴りでは無い。急所に体重を載せて押し込むやわらの蹴りだ。


 因みに当流では俗に七三の兼ね合いと呼ばれ、剛良く柔を断つ「突・殴・打・蹴・当」などの打撃のわざが七に、柔よく剛を制す「投・極・崩・絞」などの術が三。

 その内、命の遣り取り以外では使ってはならない封じ手が一割ほどある。



 あれ? 流石にこれは無いだろう。余りにも弱過ぎる。

 蹴飛ばした男は悲鳴を上げる事も出来ず、その場に蹲り唸っている。犬なら既に尾を丸めた状態だ。


「こんガキゃ!」


 掴みかかる男の体重がわしに掛る瞬間。沈み込みながら空かし崩して、右側面より右袖を掴んで引き付ける。

 同時に身体を時計回りに旋回しながら右肘を極め、同じタイミングで左の肩で相手の右脇腹をあばらも折れよと容赦なく突き上げると共に右に沈んで倒れ込んだ。


 当流では谷落としと呼ぶわざだ。

 自ら死に体となった上に浮き上がった身体など、公園の砂場の砂山に放水車の水を当てるようなもの。

 遣られた方にとっては、突然天地が引っ繰り返る。



 わしがまろぶように立ち上がった時。相手は無力化されていた。

 何をされたかも判らぬ内に、肋骨は痛打され、地面に打ち付けた左の肩も外れ、二人の体重の掛かった肘は動かせなくなっている。


「このガキゃあ!」


 残る三人が凄むが、既にそれが負け犬の遠吠えになって居る。


「やいやい。わし達を二条新地にじょうしんちの親分の身内と知っとるのやろうな」


 腰が引けた状態で、凄んでみても無様なだけと気付きもしない所が三下の三下たる所以であろう。


「無様ですね。

 大の大人が子供相手に喧嘩を売った上に、自分達では勝てぬと親を呼ぶのでございますか?

 やれやれ。間違ってもそちらの誰一人とて、二条新地の親分とやらのさかずきなど受けてはおりますまい。

 仮にも一家を構える程の男ならば、人を見る目もお持ちでございましょうから」


「お前は、この世で一番重い罪を知れへんようだな。

 殺しでもいで。赤猫でもいで」


「殺しでも火付けでも無い? では何だと言うのですか?」


「ふ。堅気のもんは知らへんのかもしれん。

 なら、わしがきっちりおせてやるぞ。

 この世で一番重い罪。そらなぁ、わし達渡世人の面子を潰すと言うこっちゃ」


 挙げた拳の降ろし所を弁えぬ三下は、無手のわしに向けて長脇差に手を掛けカチャリ。

 鯉口を切った。

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