下さいませ

●下さいませ


「大和守である」


 名乗る藩主殿は、弱冠二十歳前後。


登茂恵ともえ殿、此度こたびは災難であった。

 聞けば、女の身で無宿牢に入れられたとか」


 身分の縛りがあるので会釈も出来ず、言葉でのみ詫びる年若い藩主。

 皆まで言わさずわしは、


「さあ、何の事でございましょう」


 と、惚けて見せた。


かたじけない」


 今度こそ会釈程度だが頭を下げる殿様。



 今度の事は、おおやけに為れば一大事。

 少なくとも担当者は、お家は断絶、身は切腹も覚悟しなければならないレベルの不始末だ。


 但し、如何に不始末があろうと、川越かわごえはご府中ふちゅうしずめにして多摩たま日野ひのと言った天領をまもる門番である。

 だから隙あらば大名を取り潰したいおかみいえども、つまらぬことで手を煩わしたくはない。なんとなれば、ここのケツ持ちは大樹公たいじゅこう家そのものなのだから。


 とまあ、今回の事は。藩主も奉行も当事者である役人達も、さらにお上も利を考えれば無かった事にしたい事案なのである。



「ところで……」


 わしは辺りを見渡し言葉を紡ぐ。わしとて江氏長者こうしのちょうじゃむすめにして大樹公の直臣。今回の不始末、無かったことにして遣ってもきっちりと落とし前だけは付けねばならない。

 さもなくば、江家や大樹公があなどりを受けるのを見過ごしたことになってしまうからである。


「上様の密命を受け、牢屋敷を訪ねましたが、彼らの罪状は何でございますか?」


 わしは開け放たれた廊下の方を軽く一瞥いちべつしてから問う。そこには当事者として役人達が控えて居たからだ。



帯刀たてわき登茂恵ともえ殿にお話し致せ」


「はっ。の者めらは、八州の博徒ばくと共に関わる無宿者にて、地回りと組めばご府中を脅かしかねぬ不逞ふていやからにございます」


「訊きます。やくざ者同士の事はくとして。食い詰めた末の食い逃げ程度は見逃すとして。

 無辜むこ良民りょうみん相手に土蔵破り・押し込み・人殺しを成した下手人はございまするか?」


「いえ。そのような者はとらまえるまでも無く成敗しております」


「ならば……」


 とわしは切り出した。


「単なる無宿で血の気余っている者共でしたら、引き取り手が居たら牢に留め置く必要は無さそうでございますね。違いますか?」


 かさかって決め付けると、


「さ……左様にございますな」


 続きが読めたのであろう。苦い顔をして同意した。



「ところで、牢に居た元・館林たてばやし藩士・犬上軍次いぬがみぐんじ殿。彼の経歴は解りますか?

 ご存知ならばお聞かせ頂きたい」


 重ねて訊くと、廊下の役人達の内でも末席の者が、


「拙者が存じて居ります」


 と、声を上げた。



 館林は近隣の水府すいふ家と縁続き。何かと大身たいしんである水府に同調する傾向があり、軍次の生家は大樹公の直参旗本の分家で、代々大樹公家への忠節あつき家である。

 水府は初代大樹公である権現様より別れた定府じょうふのお家柄。本来ならば何の軋轢も生まれなかったはずであった。

 ところが水府は御親藩にも関わらず、二代藩公より大樹公家よりも天子様を尊ぶ気風。その影響甚だしき館林藩において、軍次はかなり浮いていたそうである。



 転機は遊郭での喧嘩であった。何が諍いの始まりであったのかは知らないが、刀を抜き放った六人相手に大立ち回り。そこで軍次は得意のやわらで無手にて六人を叩きのめした。

 如何に喧嘩両成敗とは言え、遊郭での話。しかも相手に死人はおろか再起不能になった者もおらず、刀も抜いてはおらぬ。本来ならお咎めなしか、反対に藩の名誉を守った者として褒美を遣わすべき筋の話であったのだが……。


「常々、藩の水府同調を『権現様の御恩を蔑ろにする弊政へいせい』と公言していた事が災いして、蟄居を命じらた軍次は。大樹公家の御恩を蔑ろにするお家に未練なしと出奔致しましたのでございまする。

 こうして八州廻りのご指示で牢屋敷に押し込めは致しましたが、軍次は間違っても水府が小天狗こてんぐの甘言に乗るような人物ではございませぬ。それで些か融通を利かせて遣りも致しました。

 これと無手にて抜刀の六人を制する腕っ節。生来の気風の良さもありまして、たちまち牢内を制し、牢名主に成りあがりました次第にございまする」


 その言葉を待っていたかのようにわしは切り出す。


「当代の館林藩主・但馬守たじまのかみ殿は、我ら江家こうけ御曹司おんぞうし

 未だお父上の日向守ひゅうがのかみ様もご存命にございまして、しかも御舎弟ごしゃてい長門守ながとのかみ様は江家本家の継嗣にございます。

 ならば但馬たじま殿は兄上の兄上。兄の捨てたものを、妹が拾い上げるのに何の不都合が御座いましょう」


 藩主の顔色が曇るのも構わずに、わしは物怖じの気配すら見せないで言い切った。

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