登茂恵の篩

登茂恵ともえふるい


「報告! 工兵隊、中軽傷者八名は本日より復帰致しました。重傷者二名も三月みつきの内には復帰出来る模様にございます」

「軍次殿。大儀にございます」

 未だ畏まった物言いをする軍次殿は、些か筋を通し過ぎて融通の利かない部分もある。しかし危急の判断に躊躇う事無く、必要な独断専行も出来る太いきもを持っている。


「軍次殿。なるべく殺さぬ様、再起不能にしないよう。敢えて掣肘せいちゅうさせて頂きました。為に負った傷もございましょう。兵に不平はございまするか?」

「はい。いいえ誰一人不平を零す者は居りませぬ。寧ろ見舞いの銭と酒に、ご差配様と上様に篤く御礼申し上げて居ります」

「そうですか。御親兵たる者、抜け駆けのお手柄よりも下知に遵うをもって上と成します。

 ことに工兵隊は労多く、華々しき活躍の見込めぬ兵科。しかも勝手をされては全軍が瓦解がかい致すおうぎかなめ。十分に報いて遣らねばなりませぬ」

「はい。ですが、あまり工兵隊だけに篤く報いるのもどうかと」

「構いませぬ」

 わしは断じた。


 前世でも、工兵は割を食う兵科であった。

 貧乏な我が軍は、アメリカのように機械力に頼れないから、人力を投入して対処する。このため不眠不朽の重労働にたおれる者も少なくなかった。

 敵前で自らを橋桁として架橋する場合。危険は突撃する歩兵よりも大きい。なぜならば工兵が斃れれば橋は崩れ後続を阻止出来るし、動き回る歩兵よりも不動の工兵の方が狙い易いからだ。

 鉄条網を切断・爆破して歩兵の突撃路を開く時も、敵はクイクイクイッと機関銃の引き金を引き、工兵目掛けて散発的に弾幕を張る。それは突撃して来る歩兵に向けて掃射を行うよりも、遥かに少ない弾で攻撃を阻止できるからである。

 それでいて最終的に、お手柄と持て囃されるのは常に歩兵。

 身を彼らに置いて見よ。絶対に、多少の優遇では割に合わないと思うに違いない。


「構いませぬ。

 年を越した二日の昼には、屋敷で工兵隊・祖撃隊・衛生隊・輜重隊を宴に招きますので、連絡を。

 最初から無礼講で通しますので、改まった礼儀作法は一切無用とお伝えください」

「なるほど。それならば揃って参上出来ましょう。

 それはそうとして。残る歩兵・砲兵・騎兵の三兵は如何致しましょう」

 軍次殿が尋ねるので、

「数も多いので破軍はぐん神社境内に筵を敷き、三日の日に催します」

 わしはあからさまに待遇を分けた。


「それでは……三兵の者は口々に不平を並べましょう」

 案ずる軍次殿に、

「裏方を軽んじるほうが問題です。今は平時故、去る者は追いませぬ。いや寧ろ、これで不平を漏らす者など、御親兵ごしんぺいには無用の者にございます」

 騎兵も砲兵も人数が少ないから、事前にわしが話を通せばよい。その一方で歩兵には敢えて何もしない。

 実の所歩兵には、まだまだ素行の宜しく無い者や身分の高さを鼻に掛ける者が残っている為、篩に掛ける必要があったのだ。



 大晦日の夜、内々に騎兵・砲兵の主だった者と大家である破軍神社の摩耶まや殿に来て貰った。


「ほれほれ。摩耶殿焼けたぜよ」

 宣振まさのぶがぷくっと膨らんだ餅を摩耶殿に手渡し、

「夜泣き蕎麦屋を貸し切りなんて、贅沢過ぎない?」

 言いながら、奈津なつ殿が蕎麦を手繰たぐる。

「姉さま。そう年越し蕎麦を幾つも食べては、歳を幾つも取りませぬか?」

 椀子わんこ蕎麦のように消えて行く蕎麦に、弟の尾巻おまき殿は渋い顔をしてたしなめる。


「尾巻殿。正月だと言うのにのその顔は無いのじゃ。もっと機嫌良うするのじゃ」

 そう言うふゆ殿も花より団子。

「宣振殿。わらわは草餅が良いのじゃ。妾のには醤油を掛けてたも」

 そんな生殿の為、

「生殿。そう二歳馬のように食べては、お腹を壊しますよ」

 皿に卸した大根に醤油を掛けて出すあき殿。

 わしも、塩餡ではあるが火鉢の網に餡餅を載せ、せわしなく餅を引っ繰り返す。


 実に大晦日らしい風景に心も安らぐ。そんな中。


登茂恵ともえ様」

 お春が下と大書されたふみを持って来た。

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