君は功を成せ

●君は功を成せ


 伝馬町の牢屋敷。士分の入る牢を訪れると、


「君は功を成せばよい。僕は大事を成す!」


 先客がいるらしい。強い言葉で一喝する義卿ぎけい先生の声がした。


春風はるかぜ殿」

 先客は義卿ぎけい先生の愛弟子まなでし達であった。



 らしからぬ罵声の後、間近のわしが拾えるかどうかに声を潜めて義卿先生は言う。

 そう、舞台袖で吐く息だけで会話する宝塚などの流儀でだ。


暢夫ちょうふ、国に帰りなさい。君には大事を成す前に為さねばならぬ事があります。

 ご継嗣奥番頭殿(春風殿の父のこと)は四人の子宝に恵まれました。されど男は君ただ一人であります。

 父母の一人息子たる君なれば、何よりも先ず義理を果たさねばなりません」


 義卿先生の真意は、先の言葉と裏腹だった。


「君がかさでてまさみまからんとする時、身命を賭して死の縁より引き戻したのは、君の祖父母と聞き及びます」


 先生は、春風殿が疱瘡ほうそうを患って死に掛けて、家族の手厚い看護で一命を取り留めた事を思い出させる。


「僕は敢えて、見も知らぬ先祖の為にとは言わないのであります。

 命を頂いた父母の為。君を救う為に死をも顧みなかった祖父母の為。君はまさめとり子をし、家を繋げてこうを為すべきであります」


 その言葉に、春風殿はすっかり黙り込んでしまった。



 襁褓酒むつきざけや桶伏せ等やんちゃの過ぎる彼ではあるが、目上を敬い道理にしたがう事には定評がある。


 彼には色々と言いたいこともあったのであろう。しかし、義卿先生の諭しに、


「委細承知致しました」


 と、同じく吐く息だけで答えた。



 義卿先生は頷くと、切り紙に何やら認めて手渡し、


「これは後の為の君の証しであります」


 と告げた後。再び声を荒げて言うには、


春風はるかぜ! 君は破門です!

 師の言葉が解らぬとあれば、今を限りに、君は弟子でも何でもありません。

 君に同調する全ての塾生も同罪であります!」


 と、牢屋敷の端まで響く大声で怒鳴り散らした。



「解りました! 僕・・はもう! 先生の身勝手に付いてついて行けないであります」


 対して春風殿も、戦場いくさばに響き通るような大声だ。


「君と僕との道は違えられました。君・・が弟子を名乗るのは迷惑であります。

 爾後じごは義卿の弟子かと聞かれたら、そんな奴は知らぬと言いなさい。

 曙光しょこうの将にでんとして、くだかけの息を飲みて時を作る短きに。

 三度みたび聞かれたら四度よたび。否、七の七十倍とも知らぬ知らぬと言い続けるが良いでありましょう」


 義卿先生はさらに激しい言葉でう。



 こうしてこれだけ聞いた者の誰もが、義卿先生と春風殿は義絶したと思う程。二人の激しい口論は続いた。

 そして遂に、このわしさえも眼中に無きが如くにいきり立ち、肩を怒らせて退出する春風殿。



 春風殿が去って後。わしは今まで彼が居た場所に進んで


「ご上意にございます。私は先生を説くように申し付けられました」


 と用件を告げると、すっかり覚悟を決めておられる先生は、


「姫様。お役目ご苦労であります」


 主君のむすめとして、胡坐から跪坐きざに直って恭しくわしを出迎える。



家鶏かけいの啼く前に三度とか、七の七十倍とか。あれは耶蘇やそ御文みふみ(聖書の事)でありましょう」


「いかにもそうであります。姫様は博学でありますな」


「ならば、私の言葉は届きますまい。しかしながらこれもお役目。あだと判って言上ことあげをせねばなりませぬ」


 ゆっくりと無言で頷く義卿先生にわしは、


「とは言え。先ずは先生の存念をらなければ、言葉を紡ぐことすら適いませぬ。

 仮令たとえ天下の宰相たれとも人の子に過ぎませぬ。このご府中だけでも口は百万とございますれば、たかで二つの耳では賄い切れるものではございませぬ。彼の聖徳太子ですら一度に聞く事の出来た訴えは十の口に過ぎませぬ」


 と暗に、先生の意を必ず彦根ひこね中将ちゅうじょう様にお伝えする事を告げた。

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