第二章 多摩川の大喧嘩

登茂恵の喧嘩状

登茂恵ともえの喧嘩状


 多摩は日野。

 平成の頃には、宅地開発され閑静かんせいな住宅地。だが石田村と呼ばれたこの頃は、あちこちに田畑の広がる田舎であった。


 その顔役の家に逗留する博徒の一家の下に、


「親分親分! 大変えれーこんだ!」

 どたどたどたと消魂けたたましく、二転三転四転しうの体で手を突くのは、一家の若い衆。

 若い衆と言っても一端の博徒、普通こんな狼狽は見せぬもの。だから回りは訝しむ。

 注目を集めた若い衆は、呂律も回らず、

「こっこっ、ここここ……」


 直訴状のように捧げだされたその手には、一枚の折り畳まれた紙。

 兄貴分を介して親分に届けられたそれを検めると。

「持って来た奴はどこだ! 叩き切って仕舞え!」

 と大きく吼えた。


 遅れて遣って来た子分の一人が、

「だが親分」

 と普通なら有り得ぬ異議を申し立てた。

 親が白と言えばカラスも白くなるのが博徒の掟。敢えてこれを冒すのは、言わねばならぬからである。

 だから親分は、

「なんだ!」

 と聞いた。


使いつけーは女。それも、まだつばなれしてるかも怪しい、餓鬼だぜ」

 思いもよらぬ報告に、はぁと力が抜ける一同。


「餓鬼の使いじゃしょうがねえ。芋でもくれてやって帰せ。

 まったく、餓鬼の使いつけーを寄越すたぁ。清水も焼きが回ったもんよ。

 どうした? 早くはんでやれ」

 先ずもって、大人の対応を命じる親分であったが、

「それが親分。鉄砲担いで、祐天ゆうてん親分を出せと言ってる」

 と言う話ならば是非も無い。

 俺が行かねば埒が明かぬと出て見れば、年の頃十かそこらの小娘が立っていた。


 出で立ちは、小倉の袴に、腰の物を落とし差し。こんもりとした布の手甲にの拳に革紐を巻き、背には剣付鉄砲を担いでいる。

 娘は乙女の黒髪を紅い絹布で後ろに縛り、馬の尾の如く垂らしていた。



「呼んだか嬢ちゃん」

 祐天が呼び掛けると娘は、

「武田五名臣が一人・道鬼斎どうきさい殿がすえ山本仙之助やまもとせんのすけ殿にございますか?」

 と尋ねた。

おうよ」


 確認した娘は名乗る。

「私は大樹公たいじゅこう別式女並べっしきめなみ御親兵ごしんぺい差配並びに指南役・大江登茂恵おおえのともえにございます」


 祐天も、二足の草鞋で十手捕り縄を預かる男。博徒同士ならばお上の側に立つ身だが、相手はお上の直臣だと言う。


「バカな」

 祐天が呟き、半ば無意識にカチャリと鯉口を切り、長脇差に手を掛けた時。

 逗留する家のあるじ・石田村の顔役が、

「待ちなせぇ」

 と柄を押え、言った。

「上様の直臣だ間違いねぇ」


「隼人殿。本当け?」

おらの末のおとーとの知り合いええで、いっぺん顔拝んでる。

 なにより、ご府中界隈で堂々と鉄砲担いでんのがその証拠だ」


 目を剥く祐天に使者は言った。


「漸く収めた手打ちの場を、祐天殿が手の者に台無しにされました。

 そちらにもおとこ面子めんつがございましょうが、私にも武士の一分いちぶがございます。

 清水の親分殿が書かれた喧嘩状。素直にお返事を頂ければ善し。届けた私を討つとあらば、これよりいくさの始まりにございます」


 音を吸い取る様な静寂しじまに、

「卑怯者!」

 との誹りの声。


 主は祐天の子分の一人であった。

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