五月の風船2

●五月の風船2


 軍服姿に空の神兵の鉄兜。腰には右にホルダーの拳銃と、左に落とし差しの刀二本。模擬弾だが手榴弾を五発携えて小さな背嚢を背負い、背と腹に『祈開傘』のお札の張られた予備を含めた落下傘を取り付ける。


「お春。大丈夫。わしは無傷で還って来る」

 軽く手を振り、格子を印刷した紙数枚とやっとものになった木筆を携えてゴンドラの中へ。

 中には電信と天眼鏡てんがんきょう(望遠鏡)と黒い糸を格子に貼った四角い枠の額。

 そして落下傘を取り付けた二十貫の物料箱と、合わせて三十貫を超える砂袋が有った。


「鋼線の限界まで上げなさい」

 命じるや否や轆轤ろくろが先程とは逆に回されて、軽やかな五月の風がわしに吹き掛かる中、ゆっくりと気球は昇って行く。

 屋根の高さ。こずえの高さ。繰り出される鋼線が伸びて行く。

 やがて下の歓声は届かなくなり、眼下に広がるご府中の街。


 わしはレシーバーを付け、縦ぶれ電鍵を叩き「イイ」の連送で通信開始の打電を送る。

 暫く待って相手から応答の「ムムムム」の連送が返った。


 予めの打ち合わせの通り「ホンシツハセイテンナリ」(本日は晴天なり)を送り、「イナ」。

 「ナ」の返信をもって、最初の通信を追えた。



 遠くに富士山が見える。その方向に格子を向けて、木筆を執って格子の紙にスケッチする。

 画学は将校の必須技術で、写真の無かった頃には重大な役割を果たしたと教わった。


 格子のマス目は縦にイロハと片仮名が、横に一二三と漢数字が振ってある。

 それに合わせて眼下の風景を描くのだ。


 描き終わると通信管に入れ、鋼線に付けて下に落とす。ローラーを取り付けてある通信管は重さで下に滑り落ちて行くと言う寸法だ。


 暫く待っていると「トトク」(届く)との通信が入る。


「イイ イイ イイ……」

「ムムムム ムムムム」

「ミユ

 ホ ホ ホ イ 15 イ 15 イ 15

 ヨリ ロ 12 ロ 12 ロ 12 イナ」

(見ゆ 歩兵 イ-15よりロ-12 どうぞ)

「ナ」(了解)


 こんどは彼方から確認だ。

「イイ イイ」

「ムムムム ムムムム」


「ミユ

 ホ ホ ホ イ 15 イ 15 イ 15

 ヨリ ロ 12 ロ 12 ロ 12 イナ」

(見ゆ 歩兵 イ-15よりロ-12 どうぞ)

「ナ」(了解)


 こうして何度か通信テストを繰り返し、

「テス ケコテ イナ」(テスト 限界高度テスト)

「ナ」

 いよいよ最終テストに入る。


 ここまで上がるとさらに上がっても危険度は変わらない。それにこれから遣ろうとする落下傘の試験は、低いと却って危険なのである。



 鋼線が繰り出され、気球は更に上昇を続ける。その間わしは気分良く口笛を吹いて待つ。


 四半刻後。上昇が止まった時は、気圧計は八百八十ミリ水銀を示していた。概算するに高度は凡そ千三百メートルと言った所か。

 この高さならば、地上からの施条しじょう銃弾も怖くない。

 ここから着弾観測が出来れば、例えば将来的には山越えの間接砲撃も可能になるのだ。


「ガガーリンは、地球は青かったと言ったが。八島でこれを見たのはわしが初めてだ」

 僅か高度千メートル強と言うなかれ。気球と言う翼によって、わしは生身の身体で今ここに居る。そう思えば実に感慨深いでは無いか。


「イイ」「ムムムム」の通信開始の遣り取りを終え、わしは打電する。

「テス ラコー ラコー ラコー イナ」(テスト 落下傘降下)

「ナ」(了解)


 返信を受け、これよりわしは降下実験に入る。

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