そがに己を蔑まれんのや

●そがに己を蔑まれんのや


退助たいすけ殿。その節はお世話に為りました」

 わしの不意の登場に、

「いえいえ、こちらこそ。とんだ不調法を。許いてつかさいませ」

 相変らず腰を低く応対される退助殿。

「まっこと、お知り合いやったか」

 目を瞠る山田殿。



「山田殿お一人で大八を牽く事に為りました故、人を巻き込まぬ様、お手伝いさせて頂きました。

 如何に大八をもちいてとは言え、八斗の酒を軽々と。

 山田殿の大力たいりきまことって頼もしいばかりにございます」


 言いながら、目だけでそっと様子を伺うと。山田殿は満更でもない様子。なので、

「しかも人としての器も大きく、思慮深きお方とお見受け致しました」

 わしは更に誉言よげんを重ねる。


「そうやか。まだまだ子供っぽい短慮な所もあるとばっかり思うちょりましたけんど。

 そうか。そうやか。げに登茂恵ともえ殿の言う通りじゃ。

 別れて三日なれば刮目かつもくして相待すべし。とは、昔の人はええ事を言うたものじゃのぉ。

 広衛ひろえ殿も、若殿原わかとのばらかしらを務めるようになって、相応しき貫禄が出て来た言う事なのやろう」

 うんうんと頷く退助殿。


いぬい様。お知り合いやか?」

 わしは誰かと一人が聞いた。

登茂恵ともえ殿の紹介の前に、話しておくことが有る。丁度ええから皆も聞くがええ」

 そして退助殿は、わしにかこつけて話を始めた。



「東洋先生は今ご老公(容堂侯)様と共に、身分に因らずのう有る者に仕事を任せる仕組みを作り上げようとしゆー。

 癸丑きちゅうこの方外国とつくにが八島を脅かすご時世や。

 戦国乱世のようにとは行かいやけんど、能有る者にお役目を回さんと、そのうち立ち行かんなってしまう。

 精進すれば、おさんらも、書生の身で親より上のお役目を頂けることじゃろう」

「それはわしら上士だけやか? 郷士共の下にわしらが就されることもあるのやか?」

 ざわめく一堂。


「まあ待て。政庁を握っちょるのは上士じょうしやき、同じ能なら先ず間違い無う上士のおさんらがお役目を頂けることやろう。

 つまり、もしも下士かしや町人にお役目が行くやったらな。それは上士のおさんらののうが足りちょらん言う事や。


 ええか? 目下の者にお役目取られて悔しかったら。刻苦勉励し、早うお役目に相応しい能を身に付けんといけん。

 それを弁えず。ただ上士の身分を嵩に、驕る者や不平を言う者がおるとしたら。そがな者は土州としゅうには要らん。

 ご老公も殿様も東洋先生も、決して許いては置かんやろう」


 退助殿は同じ程度の能力ならば、上士が優先されると言い切った。その上で、郷士達が高い地位を占めるとすれば、それはお前達の能力が足りていないからだ。悔しかったら勉強せよと諭す。

 東洋殿の目指すものは、わしと同じ魏武ぎぶ(曹操)の道。

 未だ身分の差別は有るもの。有能ならば下士や町人からも採用すると言う事は、この時代画期的な先進思想である。



 騒がしい上士達を手で制した退助殿は、

「さて。紹介が遅れたけんど。こちらの登茂恵ともえ殿は、齢十一にして大樹公たいじゅこう御親兵ごしんぺいのご差配をされちゅー。

 御親兵五百余を従えるおさにて、騎乗の士も配下に抱えるご大身や」

 と、ここでわしの紹介を始めた。


「「「お、おう」」」

 益々ざわめく周囲。そこへ、

「それだけやない。配下の小頭には御年九つのふゆ殿と申される娘もおるとの話や。

 生殿は幼うして算術の名人で、その能は加州かしゅう百万石を動かす御算用ごさんようものにも勝るとも劣らんと伺う」

 と更なる燃料を、退助殿はべる。

「九つ? そがな餓鬼が小頭か!」

 考えても見よ。数えの九つと言えば、尋常科二年の歳である。

 彼らにとって到底信じられない話に、怪しむ声がぽつぽつと起った。


 ここで退助殿は間を置き、静まるのを待って声を潜めて話を続ける。

「……やき。大樹公様は、外国に伍する為に、女やろうが子供やろうが、ただ、能をって用いようとしていらっしゃるのや」

 最初の部分は、静まり切らぬ声で聴きとれなかったが、この事で小さな声でも逃すまいと静まる上士達。

「土州も、能を以って人を用いざったら、天下に後れを取ってしまう事やろう。

 わしらは、遅れた田舎者か? 違うろう」

 何時しか辺りは、シーンと静まり返っていた。


「ええか。

 精進すれば立身が叶う。そがな結構な世で精進もせず。

 郷士如きが、子供如きが、女如きが、と拗ねちょったらいかん。


 郷士でもお役目を頂くやったら、同じ能があったら、おまんら上士がお役目に就けん道理は無うて。

 子供で立身する言う事は、大人やったら話は早うて。女で重んじられる言う事は、男やったらもっと容易い」


 益々低く小さく成る声に、皆は耳をそばだてて聴く。聞き逃すまじとしわぶきもせず。

 心臓の音が聞こえるくらいに。


「あいたぁ(あいつ)は下だと見下しちょった者が立身出世して、妬ましいなどと拗ねちょっては、可惜あたら機会を棒に振ってしまうよ。

 おまんらは、まっこと能有る者なのやき。

 なぁ。そがに己を蔑まれんのや」


 淡々と語って来た退助殿は、最後に

「お前達は本当に能力のある者なのだから、そんなに自分を蔑んでは駄目だよ」

 と結んだ。

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