切り餅五つ

●切り餅五つ


 大過なく、わしと儀兵衛ぎへい殿との顔繋ぎが終った。


「頼んでおいた追試ですが」


 専斎せんさい殿に確認すると、


「これが紫に染めし絹布の端切れ。そしてこれがだいだいに染めし木綿にございます」


 実験室での追試の為、染料自体の量も少ない。

 それを使って染めた布が四枚。皆ハンカチ程の大きさの物が二枚づつ。見事思惑通り見事に染まっていた。


 モーヴもオレンジIIも無事出来たか。

 昼間の陽光で無い為に細かい色味は判らぬが、布は均一に染まっている。


「絹がこれほど簡単に染まるとは、恐るべき代物にございます」


 儀兵衛殿の感想にわしは、


「商売となりますか?」


 およそ武家の娘とも思えぬ事を尋ねた。


「エゲレスでもメリケンでもオロシャでも、絹を紫に染めるのは難しいと聞き及んでいます。

 高貴な色にございますれば、長じては外国とつくにへ金銀の流出を食い止めるに足る品と成り得ることでしょう」


 代わりに答える専斎殿。


「重畳にございます。されば適塾々頭たる専斎殿の折り紙を付けて頂けませぬか?

 蔵屋敷の久右衛門きゅうえもん殿が、見込みあらば本腰を上げると思います」


 目の前の儀兵衛殿は商人なので、わざと煽って見せる。

 これは江家こうけの商売ですよと。



 意図を読み取った儀兵衛殿は苦笑して、


「姫様。手前がここに参ったのは、前の二つでは無く三つ目の薬にございます」


 商売を離れた顔を見せる。

 彼の言葉を承けるように専斎殿は口を開いた。


「秘伝書に記されていたこの二つを見て、残る一つもまことと確信し、創り上げたのがこれにございます。なんとか二匁程完成致しました。どれ程で効くのか見当も付きまぬ故、薬は一分いっぷんづつに分けてございます」


 こうして、わしの書いた原本とその写しが二冊。加えて染物見本が一枚づつ。

 そして神薬猿播さるはの薬包二十が渡された。


「神薬の効能や用い方の検証は、適塾てきじゅくだけでは偏ります。

 ただ幸いなことに姫様は、これからご府中ふちゅうへ参られるとの事。

 どうか今は仮の種痘所となって居る玄朴げんぼく殿の屋敷へお届け願いたくお頼み申し上げます」


「仮と申しますと?」


「費用は手前どもで用立てましたが、建物は一夕いっせきに出来上がるものではございません」


 先程再建したと言うのはそう言う事か。するとまだ、色々と物入りも続く事だろう。


「判りました。物が物だけに、余人に託すことは出来ないのですね」


「はい」


 快諾すると、専斎殿の書状も合せて預かることになった。



「物はついでと申しますが、これもお願い申し上げます」


 すっと畳の上に出されたのは、銀座包の切り餅五つ。一分銀百枚の包みだから、百二十五両の金だ。


「四つは薬を研究の為。一つは、僭越ながら手前より、姫様への献金にございます。

 敢えてこのような神薬をお授けになったのは、姫様に何やら大望有りと推察いたしました。

 些少にございますが、どうか姫様の御用にお使い下さいませ」


 どこまで儀兵衛殿が考えているのかは判らないが、わしは好意に甘えることにした。

 何にしても、銭さえあれば多少の無理は利くからである。



「払いは手前どもがお持ち致します。それでは、ゆるりとお楽しみ下さいませ」


 座敷を下がる専斎殿と儀兵衛殿。


「さぁ。とー様。宴の続きを」


 今まで置物のように控えていた芸妓げいこ浜路はまじが、三味線を執り高らかにうたいを始めた。

 するとそれを合図に、一節終わった頃に綺麗所が入って来た。

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