ようたんぼ

●ようたんぼ


 土州としゅうは大らかだ。宴会好きで何かと言うと酒を飲む。

 宿を取らずに家に逗留しなさいとの厚意に甘え早、一旬いちじゅん(十日)。


 一両日中には、呼び寄せた女ばかりの御親兵ごしんぺいも到着し、土州で実弾演習を披露する。

 それが終われば、宣振まさのぶはわしにしたがって、一家を挙げて土佐を去る。

 片田舎の郷士が大樹公たいじゅこう様のご家来になるのは、とてもめでたい事なので、坂本の家の者は宣振まさのぶの出世を大層喜んで、知人を集めて宴会を開いてくれた。



「以蔵さん。田舎大名の陪臣またものが、今では大樹公たいじゅこう様の御親兵ごしんぺい。しかも小頭で直答も許されるとは出世したものや」

 当主の弟・龍馬りょうま殿が宣振に酒を注ぐ。

 めでたいめでたいと祝っているが、彼は実にあっさりとしたものだ。


 問題は他の者達。例えば、

「おまんは、お前は、いつかやる思うちょった」

 咽返むせかえるような酒の息。酒の勢いに任せ、宣振に彼の弟くらい若者が絡んだ。

 若さ故に己が酒量を計りかねて、すっかり出来上がっている。


「おい喜久馬きくま。口が過ぎんか?

 われは十八じゃき、以蔵さん弟の敬吉けいきちと歳も変わらんやろう」

 龍馬殿が宣振の弟と変わらぬ歳の癖に馴れ馴れし過ぎると窘めた。


 しかし声は聞こえども届いては居らず、

「わしは嬉しいがよ。どれだけ頑張っても、わしらは白札しろふだになるんが精いっぱい。

 そりゃ庄屋や足軽より上だが、所詮は下士かし。土州じゃ先が知れちゅー。

 上士じょうしのようにえらにゃなれん。

 ここの先代様は土州随一の槍の大家。それが一合たりとも禄を増やせず、郷士のままで終わったやないか」

 おいおいと泣き出す始末。

「泣きゆーのか、われ」

 感極まって号泣し始めた喜久馬殿に、龍馬殿は手をこまねいた。



 宣振の話によると、土州に於いて士分の最下位は庄屋である。

 その上に下足軽しもあしがる・足軽・古足軽ふるあしがると足軽が続き、彼らの足軽のかしらである下席組外しもせきくみがいが置かれている。

 そのさらに上に徒士格かちかく徒士かちと言う身分があり、郷士はさらにその上に下士の最上位として鎮座していた。


 だから決して低い身分ではない。しかし下士の家に生まれた個人が、器量を見込まれて上士の婿や養子に為る事は有っても、下士の家が上士の家に成り上がる事は不可能に近い。土州に於ける唯一の例外が、下士である郷士に上士待遇を与える白札郷士の制度なのであり、これには一代の功績だけで足りぬ事の方が多い。


 これが前世の薩摩や長州ならば、上の引き立てで重要な仕事を任される事も多かった。

 例えば囲碁など共通の趣味。そんなことでも足掛かりとなり選定の嚢中のうちゅうに入る事が出来た。

 例えば高名な師。入門を認めて貰いさえすれば、こいつなら出来るだろうと、門人同士の繋がりで仕事を任されることも多かった。

 これらの中には、軽輩にして遂には主君から外交や政治を任される者すら現れたのだ。


 しかし今世のこの土州では、鋭い先で突き破ろうにも嚢中に入れて貰えるための資格が、一定以上の身分なのである。



「なんとかなりませぬか? あれは流石に自重を求めます。正直、私が受け付けませぬ」

 喜久馬殿達の、酔いで潤む目がこのわしにも向けられる。何と言うか、大の男がまるで少女まんがの恋する乙女のように見えて、いささか気持ち悪い。

 しかし宣振は、そんなわしの気持ちをおもんばかった上でかぶりを振る。


「わしは姫さんのお陰で、土州の外で新知しんちの家を起す事が出来たけど。

 神君の偃武えんぶ以来、腕一つで家を起こすがは稀な話になってしもうたきなあ」


 ああ。それがそもそもの起りであったな。

 わしは少し空気を変えてみる事にした。


「間も無く、私の配下が到着致します。

 御親兵ごしんぺいの内、女ばかりで百五十人。エゲレスやメリケンの軍学で調練された兵士つわものにございます」

 するとこれに反応してわしに絡む者が有った。


おなごじゃとぉ? 女風情に何が出来る」

「よせ寅之進とらのしん

 目が据わっている彼を止めたのは宣振の父であった。

「許いとーせ。登茂恵ともえ様。こいつは酒の修行がなっちょらんのじゃ」

 彼は寅之進殿の首根っこを掴んで力づくで頭を下げさせ、自分も一緒に頭を下げた。

 子供といえども、息子の主人に当たるわしである。頭を下げることに躊躇ためらいはない。


「構いませぬ。こう言う時、普段立場の無いものほど威張りたがるものにございます」

 鷹揚にわしが赦したが、すっかり出来上がっている寅之進殿は、

「女が男に敵う訳が無いろう」

 などと口走り、女の癖にと連呼する。座が白けて来たその時。


「やめぇや! こんうたん(酔っ払い)」

 甲高い声が屋敷に響き、次の瞬間、寅之進殿の身体が宙を舞った。

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