第六章 東への旅
縁切り榎で見詰める目
●縁切り
上州に向かうには、お江戸日本橋をふりだしに北へ神田明神の近くを通り、巣鴨の寺々を過ぎ越して中山道を進み行く。
無論、天涯魔境では無く天下の街道だ。ご
何事も無く、時間にして
――――
――――
そう書かれた傍示杭を越えると板橋宿だ。
「坊主。疲れてねぇか?」
トシ殿は決してわしを女扱いはしない。けれども見た目のせいか、何かと言えば子供扱いしたがる節がある。
高々二里半、二刻の道など、疲れた内にも入らぬが。
トシ殿は、
「喰ってこうぜ」
と腰の高さで二股に分かれた
ふと、前世の事を思い出した。
板橋宿の大榎は誰が言ったか縁切り榎。この下影を通る男女は別れると言う言い伝えがある故、嫁入り行列は迂回すると言う仕来りがあると言う。
逆に、気に染まぬ縁談を押し付けられた男女は、どうぞ破談にしておくれ。と、わざわざこの榎の下を通ったそうだ。
トシ殿は当にその木陰にある茶屋を指して言った。
別に気にする訳も無く、まして男女の仲でもない。わしは呆れた声でこう言った。
「まだ最初の
元々、一日の行程はかなり余裕を持っている。泊りは三つ目の宿場町の予定だったのだから。
そこは茶屋と言っても板壁は無く、昭和の運動会のテントの如き物。
孟宗の物干し竿程の丸木柱を四方に
「なぁ。団子に甘酒、冷やし飴もあるねぇ。どれにする?」
食う気満々のトシ殿なのに、わしを完全に子供にしてダシにする。
「その全部。と申しましたら如何致します?」
「言うじゃねえか、まぁ。預かってる金は坊主の
第一、坊主も小遣いくれぇ別に持ってんだろう?」
ご府中への旅で
凡そ旅籠にして余裕で一人三日の
しかし。見掛けは
百歳の老爺の中身は、無駄金を使う事を拒まずには居られない。
「良くお考えを。お金は大事にございます」
当然先のはトシ殿を
「チッ。相伴で
「我慢しなくとも宜しゅうございますよ。お酒は駄目でございますが、お団子くらいなら」
と、水を向けると。
「おう。ありがてぇありがてぇ。おい親父。団子一本頼まぁ」
看板娘は見当たらぬが、
「へい、らっしゃい。白玉と草で、胡麻と餡とみたらしがあるよ」
やたらと声の大きな親父が一人。
「草のみたらし!」
「へい。金五百両頂きます」
五百両とは五文の
昭和の駄菓子屋の如く、お大尽気分を味あわせる茶屋のちょっとしたサービスなのだろう。
トシ殿から一文銭五枚を受け取ると、ヨモギを練り込んだ草団子にみたらしのタレを付けて炭の上。飴と醤油の焦げる香ばしい匂いが立ち上る。
「くーっ! 甘めぇなぁ、これ」
「でしょう? 醤油は紀州の三年物。とろみは道明寺粉を基本に吉野の本葛も加えてある。
甘味の殆どが水飴だが、少しは讃岐の和三盆も使ってるからねぇ」
聞けば中々に高級な物を使っている。
「なぁ、坊主は食わねぇのか? うめぇぞこれ」
本当に美味そうに食う。
こうしてみるとトシ殿は、いい歳の割に存外と馬鹿を遣る子供っぽい所も残っている。
その調律のずれが面白くて顔が緩んだわし。その顔で、
「可愛いものですね。くすっ」
思わず言った一言に、トシ殿は目を真ん丸にして驚いた。
「うっ……喉に詰まった! 親父、茶! 茶ぁ持って来い!」
くいっと差し出された番茶を呷り、詰まった団子を流しむと。
「げふん。げふん。
そうだったな。当世の二十四は前世は平成の三十四に当ると言っても、その三十四が何様であったか思い出したぞ。
わしの二十四の頃と言えば、外地で戦っていた下士から戦時任官の将校に当る。兵隊の前ではこんな素顔は見せられなかった。
しかし同じ歳でも戦時と平時では訳が違う。
確かに為政者有識者にとっては、黒船来航以来戦時に等しい国難の時でも。広く市井の庶民にとってそうであるとは限らない。
別に国政の重責を担う訳でも無いトシ殿に、平和な日常にあって戦場往来を求めるも酷か。
「坊主。
勘の良い奴は嫌いではない。
おや。トシ殿も気付いたか? 顔を動かさず眼だけを少し横に向けた。
そう。横手よりわしらを眺める視線がある。殺気は無い。ただ何やらわしらを値踏みしているかのような気が感じられた。
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