視線の主

●視線の主


 板橋は五街道の一つ中山道の宿場町。ご府中から一駅ひとえき

 そしてここよりわしらが辿る上州への道。即ち川越児玉往還おうかんの脇街道への分かれ道である。

 往来激しき道故に、あちらも容易く仕掛けられるはずも無く、こちらもしかとは視線を特定出来ぬ。

 それにここは宿場出入口の茶店であるから、入ろうか入るまいか思案していたと申せば、咎め立てすることも叶わぬ道理。


 幸い殺気は感じられぬのであるから、わしもトシ殿も警戒はするものの素知らぬ顔。

 だが油断なく、視線の方を警戒していると、


「ほれ、ぼう。喰いな」


 笹の葉に乗っけて、白玉のみたらし団子が一粒。楊枝を刺して突き出された。



「頼んでは居りませんが」


 と断ると、突き出した茶店の親父は、


「なぁにおらの奢りだ。

 武士は食わねどなんとやら。おさむれいの躾なのかも知れないが。大の大人がかっ喰らってわらしに食わせねぇのはどうかと思うがね」


 親父はあからさまにトシ殿をそしる。


「やれやれだぜ」


 わしとぼやくトシ殿が顔を見合わせていると、


「童が遠慮するもんじゃねぇ。喰え」


 と番茶を添えて勧める親父。これでは食わねば却って礼を欠く。


「ご亭主。お言葉に甘えて頂きます」


 わしは団子を口に入れた。



 香ばしい焦がし醤油の香。口の粘膜に吸い付く葛のとろみ。そして上品な水飴の甘さ。

 微かに覚える和三盆の香とあっさりとした後味の良さ。

 このように、闘茶の名人が水っぽい水の匂いなどと表す様な微細な味を噛み分けるのは、恐らく子供の特権であろう。

 俗に子供舌と言うが、これが子供舌と言うのなら終生持ち続けたいものだ。



 さて。長らく街道を警戒していたが。先程から全く変わらぬ人影がある。


「ご亭主。あの子達は?」


 わしはゆっくりと街道脇の藪を見る。


「おい。すえ! 腹が減ったなら食わしてやる。食わしてやるから手伝えと教えた筈だぞ」


 親父の剣幕に、身を縮ませながら出て来たのは、古びた縄を帯にしてだらしなく襤褸ぼろを纏った良い所数えで五つ六つの子供だった。

 ぼさぼさの頭で裸足。碌に顔も洗って居ないのか顔の窪みが黒ずんで、正直におった。



「あの子は?」


 親父に聞くと、気の毒そうに言う事には、


「一月くれぇ前に死んだ食売女めしうりの子だよ。父御ててごはどこの誰かはわからねぇ」



「飯売女にございますか」


 食売女とは俗にいう飯盛女の事で、娼婦を兼ねる者も少なくなかったと聞く。


「別に珍しいもんじゃねぇ。板橋宿だけでも、春をひさぐことが許されてるのが百五十人も居る」


「親父!」


 トシ殿が声を上げると、


「っと。済まねぇ。これはお連れさんにゃ早かったかな。

 それで末の事なんだが……」


 と慌てて話を戻した。



「使い走りをさせようにも幼過ぎてな。憐みの令よりこの方は、街で養うことに為ってるんだが、どこも余裕のある訳じゃ無し。おらも、来たら何か食わしてやってんだが……」


 つまり、浮浪児と言う訳か。

 確かにあの年では奉公など務まらない。しかし……。


「父御の手懸りは全くございませんか?」


「女がカズマ様と呼んでたのと、甲州訛りの男ってくれぇだ。

 身形みなりからして堅気の人間っぽくは無かったな」


「甲州にございますか」


「ああ。大体その辺りの言葉だ」


「坊主。おめえまさかガキを拾ってく積りじゃねぇよな?」


 わしと茶屋の親父。二人の会話にトシ殿が割り込んだ。


「これから旅に出んだぞ。こんなちんまいガキを連れて行けるわきゃあねぇ。

 まあ、坊主が銭を出すってぇんなら。ここは最初の宿しゅくだけに、戻って摩耶まやっちんとこに預けておくんなら出来るかも知れねぇけども」



 別にトシ殿が情け知らずと言う訳ではない。旅人にそんな余裕などないからだ。

 実際。彼の松尾芭蕉も旅の途中富士川の畔で出逢った捨て子を、一時の食い物を与えただけで、後は運命に任せている。


 因みに野ざらし紀行の

――――

猿を聞く人 捨子に秋の 風いかに

――――

 とはその時の一句。


仮令たとえじかには手を下さずとも、数え三つの子が一人で生きて行けようはずもない。

 その頃はまだ憐みの令が出される前で、口減らしの為にそうする親も居たのである。



「ご亭主。仮に一両、この子の食い扶持を持つと申しましたら、半年だけでも手元で育てて頂く当てはございますか?」


 わしは少しばかり引っ掛かりを感じて、茶屋の親父にそう告げた。

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