末の父
●
「なぜおらに?」
茶屋の親父がわしに聞く。
「ご亭主ならば、板橋宿の大人達に話が通ると思いまして」
「はて。おらはしがねぇ茶屋の親父だが」
惚ける親父に、
「ご亭主。ご亭主はお上の御用を仰せつかって居られませぬか?」
と切り込んだ。
なぜならば、この場所はご
真っ当な旅人は、
だから、わざわざ宿場の入口を見張れるこの位置に茶店を置いているのは、
その事を話すと。
「隠しても仕方のねぇですが。坊ちゃんは賢い。
見張りのお役も頂いておりますから、お役人や
と肯定した。
「ついでですが。
何故そちらに任せないのでございますか?」
「多少は弁えの有る年。せめて七つ八つでしたら、それもありかもしれねぇが。
流石にあの歳で訳も判らず苦界堕ちたぁ寝覚めが
待て。つまりそれは……。
「え?
すると、
「
おいおいと言う態でトシ殿が睨んだ。
「坊主と呼ぶトシ殿がそれを仰いますか」
この時代でも子供を坊主と呼ぶ時は、一般的には男の子を指す。
いまのわしは女にしては短めだが、
まあ、確かに
「トシ殿……」
「あんだよ!」
なんとも言えぬ空気に、見かねた茶屋の親父が、
「まあまあ。そのお話は今することでもねぇでしょう」
と取り持つように割って入った。
わしを責めても仕方あるまい。
俗に娘は父や祖父に似ると言うが、ぼさぼさの髪は短くて男顔だ。幼児特有の白地に黒の曇りなき瞳をしているが、黒々とした太眉。決して可愛げがある顔ではない。けれども奥に、凛とした強い意思の力を宿して居るが如き骨相をしていた。
「あの歳の子を捨て置くのはどうかと仰りたいのは解りますが。宿場の大人達が手を拱いているのそれなりの
確かに苦界うんぬんもありますが、それよりも大きなのは
母親の躾なのか、あの歳で無暗に
こうして、腹が減ってどうしようもなくなっても。
普通、あのくれぇのガキは弁えも無く。腹が空いたら人の
今んとこは
困った風の茶屋の親父。
「
わしは確認する。
只の食売女の子供が、そこまで厳しく躾けられていると言うのは珍しい。しかし父か母が武士の出ならば合点が行く。
「母親の素性は判らねぇ。カズマって野郎の風体は、どう見ても堅気に見えねぇと聞いてます」
「そうですか」
これ以上は聞いても仕方ないとわしは質問を打ち切ろうとしたその時。
「そうそう。そのカズマって野郎が、女の務める宿のご隠居の葬儀に出たんだが。
その紋を覚えてる」
「書けますか?」
わしは矢立と懐紙を渡す。
「うーと確か……こうだな」
紋は、丸に三つ三枚笹。三つ楓の楓を三枚笹に置き換えた物で、中央には三方からの笹で地を放射能標識の様に、辺の内に引っ込むように曲がった菱形が作られている。
家紋は出自を示す重要な手懸りである。
横から見ていたトシ殿が言った。
「これ。
見送りに来ていた、子分だったか弟分だかの羽織の紋にそっくりだ」
「富士川の川並を仕切る親分さん? どなたにございますか?」
「えーっとなんだっけかな。興奮すっとどもることで有名な親分で……。そう、確か
「竹居の
茶屋の親父の声にトシ殿は、
「そう。その吃安親分の身内だ」
トシ殿の口から出たそれは、これからわしが会いに行く男の名だった。
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