末の父

すえの父


「なぜおらに?」


 茶屋の親父がわしに聞く。


「ご亭主ならば、板橋宿の大人達に話が通ると思いまして」


「はて。おらはしがねぇ茶屋の親父だが」


 惚ける親父に、


「ご亭主。ご亭主はお上の御用を仰せつかって居られませぬか?」


 と切り込んだ。



 なぜならば、この場所はご府中ふちゅうから板橋宿へ入る入口であり、通らぬ者はそれだけで疚しい事があるのではと見做されるからだ。

 真っ当な旅人は、仮令たとえ危篤の報で急ぎの夜旅を掛けようとも必ず街道を歩く。それは土の道でも踏み固められた道を行く方が結局は早いからだ。何より急ぐなら、宿場では駕籠かごを頼むのが早い。


 だから、わざわざ宿場の入口を見張れるこの位置に茶店を置いているのは、横目付よこめつけとしてのお役目もあるであろうとわしは見た。



 その事を話すと。


「隠しても仕方のねぇですが。坊ちゃんは賢い。

 見張りのお役も頂いておりますから、お役人や大人衆おとなしゅうにゃ直ぐ話を通せます」


 と肯定した。



「ついでですが。食売女めしうりおんなの子であるなら、その筋の所が面倒を見るものと聞いております。

 何故そちらに任せないのでございますか?」


「多少は弁えの有る年。せめて七つ八つでしたら、それもありかもしれねぇが。

 流石にあの歳で訳も判らず苦界堕ちたぁ寝覚めがわりぃ」



 待て。つまりそれは……。


「え? 男子おのこではないのでございますか?」


 すると、


登茂恵ともえっち。それ、おめぇが言うのかぁ」


 おいおいと言う態でトシ殿が睨んだ。


「坊主と呼ぶトシ殿がそれを仰いますか」


 この時代でも子供を坊主と呼ぶ時は、一般的には男の子を指す。

 いまのわしは女にしては短めだが、尼髪あまがみよりは長いから禿かむろと言う訳でも無い。

 まあ、確かに身形みなりは男姿ではあるが。


「トシ殿……」


「あんだよ!」



 なんとも言えぬ空気に、見かねた茶屋の親父が、


「まあまあ。そのお話は今することでもねぇでしょう」


 と取り持つように割って入った。



 わしを責めても仕方あるまい。

 俗に娘は父や祖父に似ると言うが、ぼさぼさの髪は短くて男顔だ。幼児特有の白地に黒の曇りなき瞳をしているが、黒々とした太眉。決して可愛げがある顔ではない。けれども奥に、凛とした強い意思の力を宿して居るが如き骨相をしていた。



「あの歳の子を捨て置くのはどうかと仰りたいのは解りますが。宿場の大人達が手を拱いているのそれなりの理由わけがありまして。


 確かに苦界うんぬんもありますが、それよりも大きなのはすえの気骨の方なんで。

 母親の躾なのか、あの歳で無暗に他人ひと様には頼ってはいけねぇと思ってやがります。

 こうして、腹が減ってどうしようもなくなっても。手前てめぇからひもじいだのめしをくれだの口にせん奴でして。


 普通、あのくれぇのガキは弁えも無く。腹が空いたら人のもんでも売りもんでも手を出すもんと相場は決まってます。だのに末と来たら、物欲しそうに見つめても決してくれとか口にしねぇ。ましてかっぱらうなんざ思い付きもしないのでしょう。


 今んとこはうまやを借りて雨露を凌ぎ、地蔵の備えもんを下げるのをお貰いしたり、あれこれ使いっ走りなんぞをして食いもん貰って口をのりしているようで」


 困った風の茶屋の親父。


母御ははごは武士の娘にございますか? 父御ててごのカズマ殿は侍ですか?」


 わしは確認する。

 只の食売女の子供が、そこまで厳しく躾けられていると言うのは珍しい。しかし父か母が武士の出ならば合点が行く。



「母親の素性は判らねぇ。カズマって野郎の風体は、どう見ても堅気に見えねぇと聞いてます」


「そうですか」


 これ以上は聞いても仕方ないとわしは質問を打ち切ろうとしたその時。


「そうそう。そのカズマって野郎が、女の務める宿のご隠居の葬儀に出たんだが。

 その紋を覚えてる」


「書けますか?」


 わしは矢立と懐紙を渡す。


「うーと確か……こうだな」



 紋は、丸に三つ三枚笹。三つ楓の楓を三枚笹に置き換えた物で、中央には三方からの笹で地を放射能標識の様に、辺の内に引っ込むように曲がった菱形が作られている。

 家紋は出自を示す重要な手懸りである。



 横から見ていたトシ殿が言った。


「これ。おらも見たことあんな。えーと確か……。そう、富士川の川並を仕切る親分が島に送られっ時だったな。

 見送りに来ていた、子分だったか弟分だかの羽織の紋にそっくりだ」


「富士川の川並を仕切る親分さん? どなたにございますか?」


「えーっとなんだっけかな。興奮すっとどもることで有名な親分で……。そう、確か安五郎やすごろうとか言ってたな」


「竹居の吃安どもやす!」


 茶屋の親父の声にトシ殿は、


「そう。その吃安親分の身内だ」


 トシ殿の口から出たそれは、これからわしが会いに行く男の名だった。

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