赤い狐2

●赤い狐2


 情報を出すか出さぬかで、言葉を違えず、取った言質の意味を変えてしまうのがエゲレスのお家芸。

 ならば、我らも彼の流儀に倣うのみ。例えば先に提出した特許には、有機化学合成に関わる全てが引っ掛かる様になっている。


 オールコック殿は、そんなことは百も承知で商売利益を確保しに来ている。合成染料について先行技術を持つ我らと争わず、利益を生み出す為には何も自国の製造に拘りはしないのだ。

 八島に満足行く利を渡し、金の卵を産むガチョウを保護してやればずっと卵を産み続ける。その方が利が大きいとみているのだろう。

 合成染料の加工品でヨーロッパ市場を独占すれば、渡した利の何倍にもなるであろうからな。


「イカガ、デス、カー」

 拙いながらも日本語で促すオールコック殿。


 軽い定型の挨拶なら、言質を取られる事も無い。だから、彼のように頭の良い外交官は、わざと拙い相手の国の言葉でこなす。

 これこそ典型的な強而きょうにして示弱じゃくをしめすであると知らない田舎者は、善い人だと心を許したり驕って馬脚を現すと言う寸法だ。


 さらにもう一つ。和泉守いずみのかみ様から聞かされていることが有る。


 余りにも横柄な男であったため、恨みを買って殺されてしまったのだが。オールコック殿は以前、エゲレス国に帰化した八島の者を通詞として使って居た。


 和泉守いずみのかみ様は、

「あのような者を通詞として使っておったのは、或いはオールコック殿の計略やも知れぬ」

 と警戒をしていた。


 通詞つうじは元は八島の漁師で、品性などある筈の無い男であったのは間違いない。しかし、それを捨て置いて狼藉三昧させて居たのは、紛れもなく主人のオールコック殿その人である。

 重役連名の申し入れにも拘らず、他に換える積りは微塵も感じられなかったと言う。

 或いはエゲレスに行く恨みを引き付ける避雷針だったのかも知れない。


 どんなに人が好さそうに見えても、現実に八島の立場を慮ってくれては居ても。オールコック殿は一国の全権を担う男なのだ。



「イカガ、デス、カー」

 拙いながらも日本語で促すオールコック殿。


「値段については担当の者が居ります。

 それに、いくらエゲレスの暖簾で商いをすると言っても、倍では如何にも少ない。

 三倍とは申しませんが、あと少し程々の利を下さいませ」


「おやおや。サムライはお金の事に拘らないと聞きましたが、トモエはアキンドのようですな」


「はい。家来共を食わさねばなりませぬ故、どうしても算用高くなってしまいます。

 それに、オールコック殿は違うと思いますが。

 エゲレスは、損をさせると阿片アヘンを売り付ける海賊の顔もお見せに為られます」


 ちくりと、突いてみた。蛮書方によるオランダからの情報によると。オールコック殿は清国で十五年の経験を積んだ外交官で、彼こそ二度目の阿片戦争を企てた張本人らしい。


 外交畑での十年を超える勤続の古参兵。その道々が綺麗事では済まされる訳が無い。温和で言葉を違えぬ彼は、内に狡賢い害意を秘めて祖国の為に働いているのだ。

 彼の手はとうに血糊で汚れ、醤油樽に手を浸したが如く染まっている。



 通詞つうじ(通訳)二人を通す悠長さに、時は速く過ぎる。

 日も暮れて来たので、わしはオールコックス殿から泊って行くように促された。


「コチラニ、ナリマス。ドーゾ」

 オールコック殿自ら案内したのは、美しい庭に面した一間。

 男女別に部屋が用意されていたが、男部屋に眠るのはこちらの通詞唯一人。


「姫さん。わしは廊下で見張っちゅーき」

 宣振まさのぶが女部屋の障子の外に陣取った。


「ほな姫様。うちは庭側の横を使うさかい」

 お春は庭から来る敵に備えて、わしの横に布団を敷いた。


 わしは何時もの習いで柏布団を身に纏い、刀を抱いて横になる。


わらわはお春殿と一緒なのじゃ」

 最後にふゆ殿が、背中から食み出す大きさの背嚢ランドセールを胸に抱いて、お春の布団に潜り込んだ。

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