オードブル対馬

●オードブル対馬


「トモエはウォルフ将軍を知って居るのか?」

「栄光への道は墓穴へと続いている。チャタム訛り。虫歯に鉛を詰めている」


 わしが口にした言葉。それがエゲレス語に翻訳された途端。

「驚いた。本当に知っているのか」

 オールコック殿は外交官らしくも無く、素の驚きを顔に出す。


「彼の地で討ち死になさらなかったら、メリケンはエゲレスの植民地のままだったでしょう。

 そうであれば、独立戦争にフランスが金をつぎ込むことも無く、冷夏は革命の引き金と為らず、

 少なくとも革命は先延ばしされ、忌々しきギロチンもナポレオンの勃興は無かったかもしれませぬ」


 わしは、ウォルフ将軍の死が歴史を変えたかも知れないと口にした。

 ワシントンがアメリカの父ならば、ウォルフはエゲレスの北米大陸覇権を決定づけた男。

 言わばアメリカの祖父と言える男だと習ったからだ。



「トモエはヨーロッパ事情に詳しい者に師事したのだろう。

 一度、トモエの教師に話を聞きたいものだが、無理だろうな」

 オールコック殿はわしが余りにも、エゲレスの将師について詳しく知って居ることに驚きを隠せない。


「ヨーロッパの事情は少しばかり。父の家臣・義卿ぎけい先生から聞いています。

 例えばフランスは、大国なれど大陸の国。しかも国王ばかりか王妃までもギロチンに掛けた不義の国。

 その後もたかが気に喰わぬと言うだけの理由で、学者も詩人も農民も職人も手あたり次第刑場の露と為した無法の国。


 されどエゲレスはあらず。

 暴君に対し反正はんぜい(クーデター)の兵を挙げるとも、マグナカルタなる約定をもって国を保ち。

 仮令たとえ暴王の首を斬るとても、決して王統を断たず。

 遂には無血のほまれの反正によって、悪しき係累を退けて然るべき王を立て今日に至ります。

 まして八島と同じ島国で海国立国、世界を制したお国なれば。我らが手本とするのは当たり前にございましょう」



「なるほど。実に良く御存じだ」

 とオールコック殿は頷いた。


 フランスと対比してエゲレスを好ましく高評価したのは、東洋の伝統的な儒教的価値観に基づくものであるから、よもやわしがおもねっているとは思うまい。

 エゲレス人にとってエゲレス王室は忠誠と敬愛の対象であり、無血で王を取りえたのはエゲレス国の誇りとする所。自分達は野蛮人と違うと誇るべき出来事であったのだ。


 機嫌良くわしを見るオールコック殿は、わしがエゲレスに好意を持っていると見て言葉を紡ぐ。


「サムライは他人を貶す者を嫌うと聞きます。

 しかし、トモエのような人が我が国を手本としたいと申されるならば。敢えてお教え致しましょう。


 例えば、メリケンは白人以外を軽んじる者が少なくありません。白人でない者に銃を突き付けて土地を奪い家畜を殺し、集落を襲って女も子供も虐殺する有様です。

 中でもメリケンをジャクソンなる者が治めた頃は酷く『涙の旅路』と呼ばれている無慈悲な出来事がありました。

 先祖代々の土地を追い、子供も乳飲み子も老人も、飲まず食わずに何千里も歩かせたのです。

 この時、飢えと寒さで居留地に辿たどり着くまで三分の一が死にました。

 さらにその移動先でも、その土地が儲かると為れば追い出して荒野あらのへ荒野へと追い遣って言ったのです。


 例えば、オロシャは約定の乱用者。期限切れの瞬間には兵馬を雪崩れ込ませていたことなど日常茶飯事。最初から守る気の欠片かけらも無い清国よりはましですが、決して心を許してはならない者共です。

 それを治めるのは、蒸気スチーム鋼鉄スチールの今日に至っても古代の如き専制君主。皇帝ツアーリの一言で昨日までの敵と組み、昨日までの味方と戦う事など日常茶飯事でした。

 但しオロシャの為に弁明してやるとすれぱ、このような掌返しが行なわれるのは、流石に皇帝の代替わりに限ると言うことでしょうか?

 そんなオロシャも近年ヨーロッパ化が進み、皇帝一人の意見では儘ならぬものになりつつあります」

 そう断ってから、再びオールコック殿は先の問題を突き付けた。


かさねて警告します。

 オロシャは太平洋への通路を切に欲しているのです。その為には、必ず貴国の領土を奪いに来ます。

 その計略は本に纏められており、私もその文言を目にしました。

 奴らの狙いはここ、津軽瀬戸つがるせと以北の蝦夷地です。そして首尾良く本菜メインデッシュの蝦夷地を手に入れる為の前段階として、まるで前菜オードブルを口にするようにここ対馬を手にしようとするのです。


 いいですか? 絶対に忘れてはいけません。

 地図が示す通り、貴国はオロシャの海洋への道を塞ぐ蓋であり、オロシャを堰き止めるつつみなのです。

 そして、オロシャの野望を挫く為にも、この地にエゲレス艦隊をばねば為らないのです」

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