第八章 手弱女ながら

三十二文字の律

三十二みもそふた文字ののり


「お師匠さんに、礼!」


 ぞろりと居並ぶ男・男・男。


「あわ。あわわわわわわっ……」


 行き成り、津波のように押し掛けるむくつけき野郎共に、破軍流師範である摩耶まや殿は狼狽する。



登茂恵ともえっち。話通して無かったのかよ」


 ジト目でわしを見るトシ殿。

「既に地代や束脩そくしゅうに当るおあしは、世子様よりお預かりして既に纏めて摩耶殿に渡してござる。手続き上、何の問題もござらん」


 丁寧な言葉で代弁する宣振まさのぶ


「なら助けて遣れよ。可哀想に、摩耶っち固まっちまってるぞ」


「名義上は、摩耶殿の道場に入門し、間借りしている当流が教える形に成り申す故。致し方ござらん」


 突き放して言う宣振の目は、堪え切れずに笑っている。


「とは申せ。あれではらちきませぬ。

 宣振。助けておやりなさい」


 命ずると、頷いた宣振は畳まれた木綿の布を抱えて、摩耶殿と野郎共の間に立った。



「これより法度はっとを申し付ける。

 古来、武士の主従は御恩奉公の約定が下にある。末席といえども士分と名乗りたくば、これなる文字を法度を心に刻め」


 言ってぱらりと布を広げると、目に飛び込んで来る漢字の列。

――――

平時

 来者不拒 去者不追

 犯規必除 賊者必誅


戦時

 逃亡必誅 抗命必誅

 掠奪即誅 強姦即誅

――――

 平時と戦時の原則を彼らに示したものだ。



「話は簡単にござる。

 つねならば、

 来る者は拒まず、去る者は追わず。規律を犯す者は追い出し、賊は殺す。


 いくさに於いては、

 逃亡する者・反抗する者・略奪する者・強姦する者はちゅうする」


 学の無い者の為に、宣振が飲み上げる。


 法度は誤解の有り得ない強い言葉で書かれている。

 求めるものは何も難しいことではない。彼らは有象無象の者達である。だから単純明快な決まりを示し、規律のタガで締め付けねば全く纏まりが付かぬのだ。



「不服のある者は、この場にて立ち去れ。残る者はこれらを了承した者と見做す」


 わしの一喝に、志願した筈の何人かが抜けた。


「さしあたって、ご府中内の道普請や溝浚どぶさらいをして貰う積りだ。大名・旗本の屋敷の草取りとかもな」


 わしは志願者をふるいに掛ける。


「そうだ。水に合わぬと思うなら、抜けるのは今の内だぞ」


 また何人かが抜けた。



「登茂恵っち。随分と減ったがいいのかよ?」


「問題ありません」


 そもそも。これを受け入れられずに抜けるような程度の人間は要らない。

 欲しいのは豪傑では無く、忠実にしたがう者達なのだから。



 兵隊として、腕に覚えの豪傑達がどれ程使えないのかは知って居る。

 判りやすい例を挙げよう。

 前世の歴史で維新後、日本国民が殺された事件で台湾に軍隊を派遣したことがあった。

 問題はその道中。航海では飲み水の真水が貴重で一人一日幾らと割り当てがある。所が勝手に飲む奴が居たので水番を置いた。その番人が恫喝され、欲しいままにがぶがぶ飲まれたので、段々と位の高い者が番人を務めねば為らなくなった。そして遂には、遠征軍の総大将自らが水番に立つ破目に為ってしまったのだ。

 笑い話のようだが、こんな連中を抱える軍隊が強い訳がない。


 今は槍一筋が物を言う戦国の昔では無い。いや戦国の昔でさえも、弾に当たればどんな豪傑も一溜りもない。

 の鬼武蔵・森長可ながよしくん水野みずの勝成かつなり公が足軽・杉山孫六まごろくの狙撃で眉間を撃ち抜かれ二十七歳を一期いちごとした。


 そう、近代軍隊に豪傑は要らぬ。なんとなれば、鉄砲伝来以降の世界とは関羽張飛の如き万夫不当の豪傑が、よちよち歩きのデービー・クロケットに手も無く殺されてしまう世界なのだから。



「あほうな連中が抜けたけんど、まだ篩に掛けるか? 姫さん」


 宣振が伺いを立てて来た。


「後は実地に間引きましょう。暫くは道普請と溝浚いなので、それで嫌気がさす者は去る筈です」


「そうやなぁ。戦うつもりで来て寄場の人足では、抜けるのも判るものやし」


「差し当たって、先ずは腹ごしらえをさせましょう」


「ああ。腹が減ってはいくさはできんきな」



 宣振はわしが連れて来た男達に向かい、大声でった。


「おまんら、飯ぞ。たんとあるき腹一杯食え。

 食うたらお仕着せの、筒袖つつそで伊賀袴いがばかまに着替えるがよ」


 一人頭、五分搗きの握り飯に沢庵二切れ。具は梅干しと醤油を掛けた削り節の鰹節。海苔の佃煮に金山寺味噌。 それぞれ男の拳大だから、食いではあるだろう。



 飯が終わり、柿渋色の制服に着替えさせた男達を前にわしは命ずる。


「ここにある円匙えんぴを一人一本携えなさい。これがあなた達の得物です。

 円匙は、道具と使って土を掘りて掬い上げ、時には火に掛けて飯を作り、武器と使って敵を殴り・斬り付け・打突致して首を干し、盾と用いて槍を弾く、実に使い勝手の良い物にございます。

 これから普請等の傍ら、私が円匙の術を伝授致しましょう」

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