教練開始

●教練開始


 あれから一月半。


 破軍神社の道場は、質素で慎ましい神道破軍流の看板の下に三星さんじょう一文字いちもんじ流の大看板。看板の大きさで言えば、軒を借りて母屋を乗っ取ってしまった感がある。

 事実。掲げてから今日で一月半だが、大樹公様のお声掛かりの噂を聞いた者達が集まって市を成さんばかりの賑わいだ。


 その内容も実に雑多。


 風体からして、与太者よたものつまり平成の代で言う半グレと思しき者が居る。

 あれは商家のお坊ちゃんだろうか? 裕福な町人が居る。


 腰に刀こそ帯びてはいるが、着流しで少し年嵩で尾羽打ち枯らした態のあの者は仕官の望みを懸けた浪人であろうか?

 武士の風体でそこそこに身形の良いのは、旗本の家を継げぬ部屋住の者であろうか? あるいは出世の糸口を見出したい御家人。即ち大樹公様の直臣といえどもお目見えが許されない家格の者であろうか?


 その様をわしと宣振まさのぶは、柿渋染の出で立ちで他人事のように眺めていた。

 西洋服を模した揃いの筒袖服に伊賀袴こそ、立ち上げた三星さんじょう一文字いちもんじ流の稽古着である。



「ええのか? あれ」


 何とかしてやれよとばかりに、宣振が顎で示す方には、


「はうー」


 悲鳴を上げる摩耶まや殿が、有象無象の入門希望者達に包囲されて対応に追われていた。



「ちょ。ちょっと! 登茂恵ともえさん宣振さん。見てないで助けて下さいよ」


 それは虫が良すぎると言うもの。


「摩耶殿。

 入門する時に納める束脩そくしゅうも、月々納める謝儀しゃぎも。全て神道破軍はぐん流に入るのです。若先生の摩耶殿が遣らずして、誰が遣ると言うのです?」


 きっぱりとお断りした。


 それで気の毒がっていた宣振も、


「それもそうやな。一文の銭が入る訳でも無し。わし達がやる道理など無いか。

 それに摩耶殿を差し置いてわし達が出張る訳にもいけんき、どの道いかんきな」


 と掌返し。



 元はと言えば。


「あくまでも、私は神道破軍流の客分。破軍流の門人にしか教えませぬ」


 と、面倒を嫌うわしが押し付けただけとも言う。


 弱小道場の悲しい所。こう言う時に道場の窓口責任者として任せられる高弟が居ない。

 囲まれ揉みくちゃにされる摩耶殿には悪いが、そう言う事だ。



 そもそも今回の騒ぎは、大樹公たいじゅこう様お声掛かりによる、志願者に兵隊の訓練を施すのが目的なのだ。決してわしの流派をひろめるのが目的ではない。

 それに、今のわしは数えでとおの小娘である故に、見た目で判断する志願者が入口で回れ右する恐れもある。

 これが窓口を神道破軍流に据えた理由なのだから。



 狭い道場に入りきらぬ、志願書に血判をおしし束脩を収めたばかりの志願者達。


「当流の流儀です。おいおい稽古着は作らせますが、皆さんこれを担いで下さい」

 用意の木銃もくじゅう六十丁。


「かなり重いな」


 入門者が呟く。

 そうだろう。銃身の代わりに同じ太さの鉄の棒で作ってあるのだから。


「このように担いで下さい。然る後、行軍の仕方より指南致します」


「何故この様な事を」


 そう言ったのは、一応は殿様と呼ばれる身分である貧乏旗本の当主。

 お目見え以上とは言え、無役の家の家計は厳しい。そこから少なからざる金を捻出して今ここにいるのだから、説明は必要か。


「お聞きくださいませ。

 上様のお望みは、三つの子でも送り出せば事足りる仕組みになって居る旧来の旗本八万騎ではございませぬ。

 国の為自らの意思でつつを執り、篠突く弾丸雨飛をものかはと敵に当たる壮丁にございます。

 新しき世の新しき戦に適う兵士つわものにございます」


「それは判るが。何故なのだ?」


 木銃を担わせ歩かせる意味を問うて来た。


「新しき戦では。旧来の如く密集して備えを作っては、銃や火筒の良い的になります。

 それ故、散兵さんぺいと申しまして、広く散って戦うのです。

 あたかも掌を広げて紙のように敵を包み込み、銃火に掛けてこれを討ち、拳を握る様に隊と固めて敵を穿ちます。

 この集散を、我らがあたかも一匹の獣の如く行わねば。エゲレス・メリケン・フランス・オロシャと戦う事すら出来ません」


 こう告げたわしは、木銃を担がせて行進させる所から教練を始めた。

 だが、始めた初日早々に溜息を吐かされた。


「困った……」

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