焦尾返し

焦尾しょうび返し


 二刻ふたときは経ったろうか? 少し疲れた乙女おとめ殿が戻って来た。


「お疲れ様にございます」

 労いの言葉を掛けるわしを後目に、乙女殿は傍らの宣振まさのぶに、

以蔵いぞう。話は着いた。もう返さんずつ、ええ。

 兄上と相談した結果、此度の祝いにすることになったぜよ」

 と言った。

「落し所ではありますね。焦尾しょうび(出世祝い)のはなむけならば、返礼は世のためし

 お春、持って来て下さい」

 わしの合図にお春は長持を運ばせる。

「これは?」

燧発すいはつ施条しじょう銃と、弾二百発。それに維持のための道具にございます。部品の一部を差し替えると、雷管式として使えます。詳しい事はこの冊子をご覧下さいませ」

 開いて中を見せると、

「初めて見る物ばかりです」

 乙女殿の目は輝いた。辺りに放つ躍煌ときめきは、前世の孫が初めて電子ブロックを手にした時に酷似している。

「これがすり減った施条を刻み直す施条鈕しじょうちゅう

 こちらの火鋏ひばさみのような物が、椎の実弾の鋳型で、これが木栓コルクの打抜き型にて、これでミニエー弾を作ることが叶います」

 わしが指差しながら説明を加えると、知らず身を乗り出して来る。


「あちらの新式鉄砲は高価と聞きいちゅー。ええのやか? 数もあまり入って来ちょらんのに」

 情報元は、才谷屋からか夫君からかは判らぬが、椎の実型の銃弾を見て新式だと判るあたりかなり詳しい。


「これは八島やしまにて、ご府中ふちゅうの職人が拵えた鉄砲にございます」

「凄いのう。これを八島の者がつくったのやか」

 感心する乙女殿。


「こちらが雷管式への交換部品。こちらが専用のひうちとその予備にて、舶来はくらいの品になっております。

 ご自分で玉薬をお作りに成れると伺いましたので、敢えてこちらに致しました」


 乙女殿なら人として信頼は出来るので、雷管製造の工具を渡しても構わないのだが、こればかりは自重した。

 機密と言うこともあるのだが、何せ爆発事故が怖いのでな。



 そもそも。雷汞らいこうはとても敏感で、容易く爆発を引き起こす。黒色火薬の調合とは訳が違うのである。もしも雷管作成時に他の金属の粉末が混入したとしたら、考えるだに恐ろしい。

 知識は書物で十全に学べるが、技能は読んで身に付くもので無いからである。


 余談であるが。

 雷汞は水銀化合物であるため、起爆剤として後年取って代わられるDDNP、即ちジアゾジニトロフェノールも考えてはみた。しかし製造過程で下瀬火薬として有名なピクリン酸を経る。

 こいつは雷汞より更に危険な代物で、金属に触れるや否や爆発を引き起こす。おまけに毒性も高い為、小銃の使用者に扱わせるのには甚だ不都合になのだ。

 同じ理由で、口発破くちはっぱと呼ばれる獣罠に使われる赤爆せきばくも外した。

 鶏の羽で少量ずつ塩剥えんぼつ(塩素酸カリ)と混ぜ合わせる鶏冠石けいかんせきの正体は四硫化しりゅうか四砒素しひそであり、これまた毒性が高いのだ。



 さて。冊子にも書いてある内容を口頭で説明し、質疑応答でご認識を改める。十分な理解を担保する為だ。

 幸い乙女殿は、弟・龍馬に教える為に一歩先んじて学んで来ていたため、安心して引き渡す事が出来た。

 技能は無くとも技術は既に備わっていたのである。


 その上で、

「雷汞は作るのも難しく、下手に扱えば指が飛びまする。決して、乙女殿手づから雷管を作ろうと為さらないで下さいませ。また、鉄砲に関わる全てはきちんと管理を願います。もしも子供が悪戯をしたら、死ぬとお考え下さい」

 と、釘を刺しておく。嫡男殿は今、いたずら盛りと聞いておるからだ。


「それにしても。登茂恵ともえ殿が来てから、うどんでばかりじゃ。困っちゅーやろうね。偉い手も」

「大騒ぎしてばかりと言われても……」

 わしのせいばかりではないぞ。

かまん構ん。お陰で誰一人、腹切らずに済んだんやき」

 確かに、常ならば土州を二分仕掛けるような騒動は、身分の低い側の当事者や関連者が詰め腹を切らされる落着だ。

 それにわしが横車を押した。正確には、手籠めに成り掛けた被害者だから、助けた郷士の側に与力しただけではある。御親兵ごしんぺいが当事者であったために、上士側が権力でも武力でも抑え込められ無かったのだ。


「それは私共の都合であって、お陰様と言われても恐縮するばかりにございます」

 実際。大樹公たいじゅこう様からの密命により、もしもこの事件が無かったとしても、別の事で似たような展開に持って行った筈だからである。

 わしとしては、迷惑どころか手間が省けたと言うのが真相だ。


 そんな心中を隠しながら、和やかに四方山もやま話をしていると、

「たったったっ……大変じゃ!」

 肩で息をしながら、言葉を吐き出したその男は……。

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