小瀬川の訣別2

●小瀬川の訣別わかれ


 青網は取り払われ、籠の施錠は解かれた。


「半刻、我らは耳目じもくを閉ざします。心置きなくお話しあれ」


 役人二人は背を向けて立つ。


「ここまでされて宜しいのでしょうか?」


 あまりにも無警戒に外に出すので、わしは役人の身が心配に為った。


「罪人なれど、彼は一個の国士にござる。

 その罪も、武士が命を懸けての言挙ことあならば、逃げも隠れも致しますまい。

 ここで逐電する男なら、外国とつくにへ渡らんとしてしくじった際、口をつぐんで自訴じそなど致さぬはず。

 お恥ずかしい話でございますが。ご公儀も自訴で初めてそのようなことがあったのを知るに至りました。

 その折は、海禁かいきん祖法そほうなれども、如何なる沙汰を下すかの先例に事欠く始末。よって扱いきれずに身を尊藩そんぱん引き渡した次第。

 斯様かような彼なら本来は、ご府中ふちゅうに出頭せよと命ずれば済む話と思われまするが、そこはおかみにも仕来りと言うものがございましてな」


 おとら殿は、ご公儀から見ても妙に信頼の有る罪人らしい。



暢夫ちょうふ。君は確かご府中にて修行中だった筈でありますが」


 厳しい声でお寅殿は言う。


「先生が罪人として送られると聞き、矢も楯もたまらず戻って参りました」


「君は藩命で、おおやけの事としてご府中に行った筈であります。

 それを僕如きの私事わたくしごとで蔑ろにするのですか?」


「それは、師弟の義であります」


東一とういち君。今、義と言いましたが、僕は君となんら約定を交わした覚えはないで有ります」


 静かだが、有無を言わさぬお寅殿。


「来てどうする積りでしたか?」


「そ、それは……」


 春風殿は返答に詰まった。



「以前より。僕は君達に話していた筈です。決して自分の根を切るなと。

 孟子の言をかがみとしても、その行いを真似てはいけないと。

 孟子のように郷里を捨ててはいけないのであります。それは自分の根を切り捨てる事なのでありますから。


 博奕打ちの言葉で、郷里を捨てる事を故郷くにを売ると言います。

 彼らは無学な無頼の者達ですが、正しくその本質を言い当てていると言えましょう。

 つまり自ら根無し草になる事は、郷里を売り飛ばすに等しい不義・不忠・不孝を成すことなのでありますよ。


 根は君を縛りもすることでしょう。しかし同時に、根が君を支え君を大きく育ててくれるでしょう。

 もしも君が志半ばでたおれるとも。根を切らずに居れば、必ず君の意志を継ぐ者が現れます。

 そう。根があってこそ、初めて君は大を成せるのであります」


 秋の終りに盛んに虫が鳴くように、春風殿に言葉を託すお寅殿。



「先生。僕達は、いかに死ぬべきでありますか?」


 彼が既に死ぬ積りであることを認め、搾るように零れ落ちた言葉。

 死ぬと言う言葉を使っているが、これは師匠亡き後どのようにして生きるべきかを問うている。


「短い間でしたが、僕は君達に伝えて来た筈です。

 畢竟ひっきょう、人は自らをしるべとして歩むしかありません」


「先生。未熟な僕には、まだ足りません」


 縋るように春風殿は、教えを請うた。

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