ご領地皆譜代

●ご領地みな譜代


「どうじゃおさち

 ご世子せいし様の問い掛けに、

「ご世子様……」

 呼び掛けると、

「兄上で良い」

 と返された。


「兄上様。天は回るやも知れませぬ」

 わしは先に結論を言った。

大樹公たいじゅこう家の天下が覆ると?」

「少なくとも、権現様の定めた祖法では間に合わなくなります」

「そうか。源平の昔・後醍醐帝の昔・戦国の昔の如く、世は乱れるやも知れぬのだな」

「御意。されど乱れの時ははやく過ぎ去りましょう。

 今は万国戦国の世にて、狭い八島の内で争うては忽ち外国とつくにの餌食に成ってしまいまする」

「うむ」

「それに、権現様の創られた天下は。平家・源氏・北條得宗・足利・織田・豊臣の末路を鑑みて、滅びの時をも見越しておられます。

 さちは、丁度着物の糸を抜いて元の布に戻すような仕組みが用意されていると見ました。

 天下を失ってもなお。大樹公家はお家を末永く保つことでありましょう」

「ふむ……」

 ご世子様の瞳に、一瞬妖しい光が宿る。

「兄上様! 洞春どうしゅん様のご遺訓が御座います。江家こうけは天下を望むべからずと」

 わしは、戦国の覇者にして江家中興の祖である祖先の言をもって、釘を刺す。

「そうであったな。だが新しき天下では、江家もご公儀の内々に成りたいものよ」

 ご世子様は関ケ原以来の江家の運命さだめわらう。

 前世ではご一新によって、半世紀にわたる薩長の世が存在したが、今世ではまだどうなるか判らぬ。

 既に歴史は違っている。なぜならば、外様・江家の庶子たるこのわしが、大樹公様の覚えめでたき寵臣となって居るのだからな。


 ご世子様の、

「ではどうするべきか」

 と言う問いにわしは答える。


「この後時勢は恐らく、猫の目の様に変わり続ける事でございましょう。

 されば従前の如く。時勢が変わる度にいきおいを得た者達が反対者を根絶やしにしては、忽ちにして江家譜代の人種ひとだねは尽きてしまいます」

 政治や軍事が綺麗事では済まない事など、今更判り切っているわしだ。

 しかし、わしは知って居る。内部抗争で自壊した連中を。


「それほど時勢は変わるのか」

 ご世子様はこめかみに手を当てわしを見る。

「はい。如何なる家でも、内に争い有りて衰退せぬ家はございませぬ。

 時勢の変わるその度に、可惜あたら有為の士を失って行く様では、億万の能臣があってもお家は十年と持ちますまい。

 一派がいきおいを持たば、他派を意を異にするをもっころすを制し、せめて蟄居ちっきょに抑えるようにすべきです」


 学生運動が盛んな時代。主導権争いの内ゲバで自滅の道を歩んだセクトも少なくなかったと聞いている。

 それを踏まえての提言であったのだが。

 ご世子様は右の手で両のこめかみを揉み解しながら、言った。


「如何にしてそれを為す? 臣は水にしてしゅうは船。主君といえども時勢には逆らえぬ。

 八島が三百諸侯、押し込めを喰らいし主は多い」

「されど」

 と、わしは言葉を継ぐ。

「洞春様には措かれましては。百万一心のおしえも遺されております。

 幸いにして江家には、今それを支える土壌が備わって居るのです。


 かつて江家は、関ヶ原の後の仕置で多くの領地を失いました。にも拘わらず付いて来てくれた家臣達。これが江家の得難い至宝たからにございます。割くろくが足りず帰農して武士では無くなってまで付いて来た家臣の夥しき事、幸は誇りに思いまする。


 兄上様。

 仮令たとえ道は違えても、江家ご領地に住まわる者はべて江家忠臣の末裔すえ。小者の端、領民の末に至るまで江家が譜代。

 そのような者達の『豆殻で豆を煮るが如き行いを、防ぐことこそ主家の務め』ではございませぬか?」


 春輔しゅんすけ殿からわしは聞いている。

 江家ご領地では、赤貧洗うが如き貧農の端に到るまで、実は昔は我が家は立派な武士であり、江家の譜代の家臣なのだ。との思いが大きいのだと。



 ご世子様は威儀を正し、わしに向かってこう言われた。

「お幸の言、至極尤もなり。及ぶ限りつとめよう。

 仮令たとえ押し込めにうても、仮令お幸。そなたを討たねば為らぬとしてもな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る