大奥の椿事2

●大奥の椿事ちんじ


「先ずは、ご府中での鉄砲使用の件。

 賊が鉄砲を使いましたので、対抗する為こちらも鉄砲を放ちました。

 いつぞやのお召しのおり此度こたびの如き時に鉄砲を用いて上様やご重臣をお守りするお許しを頂いております。

 ことに此度は、直にお許しのお言葉を戴いた彦根中将様のご遭難。お命大事と放ちました。

 是非の沙汰を頂きとうございます」


此度こたびの事。む終えぬ仕儀と認める。委細許す」

 大樹公たいじゅこう様のお答えは現状追認。まあ、普通はそうだろう。

 真っ先に彦根中将殿が撃たれ大混乱に陥ったのだ。一つ間違えて居れば、中将様は首級みしるしを奪われていたやも知れぬ。だからこれでお咎めを受けるのであれば、大樹公たいじゅこう様がご遭難なされた際にお助けする者達が居なくなるのは必定ひつじょう


「それにしても彦根のあのていたらくはなんであろう。

 天下の精兵せいびょうと名高き彦根のつわものが」

 大樹公様は、天下に名高き彦根の勇士が狼狽の末、お話にもならぬ烏合の衆と化した事を嘆かれた。


「はい。初手で大将が潰されたのが大きいかと。この為、多くを占める一日雇いちにちやといのお中間が逃げ出して、いくさで言う裏崩れを起こしたものと推察いたします。

 中には勇士もございましたが個人の武勇には限りがございます」

 結局の所、わしら御親兵ごしんぺいが辿り着くまで、組織的な防衛が何一つ出来なかったのだ。



 続けてわしは戦果と被害。つまり御親兵が討ち取ったり捕らえた賊と死傷者の話をする。

「なるほど。それにしても済まぬ。われが登城を命じたばかりに、可惜あたら女の玉肌に瑕を付けてしまった」

「その代わり、上様の股肱ここうをお護りすることが適いました」

「傷を受けた女達のことだが、もし此度の傷で縁を失うような事が有れば、われが必ず身の立つようにしよう」

 そう言った大樹公様は、横で終わるのを待っている瀧山たきやま様に、

「予の手が付くかは別にして、傷を受けた者が望めば、大奥に然るべき場所を与える事は出来るか?」

 とご下問された。いよいよの時は、嫁に行けなくなった女を大奥で引き受けようと言うお計らいだ。

 しかし瀧山様は実に怜悧な顔を顕して、乳母が和子を叱るかのようにお答えする。

「上様。それでございまするが。仮令たとえ女であろうと、武功を上げた者には相応しき報い方がございます。

 先ずはこの場で黒印の感状かんじょうを認めて、他日の為にご恵与けいよなさるのが宜しいかと。

 お早う為さいませ。その場で銭一文・草鞋わらじ一足いっそくなりとも褒美を遣わし、即日渡し致すのが感状の習いにございます。


 それにしても上様。武功を賞すのをお端折りになって、逃げだそうと為されたのでございますね」


 先程の事を蒸し返す瀧山様に、大樹公様のお口が一瞬トンビになった。


たれか! 上様に紙と硯を! 机をここに」

 瀧山様が呼ばわると程無く、文机と硯、そして美濃紙の束が持ち込まれた。


「これは祐筆の仕事だぞ」

 大樹公様は直筆を拒むが、

「ここに、上様以外の男は入れませぬ」

 瀧山様は全て自分で書く様促した。

 嫌々ながらに書くさまは、手習いをさせられる子供のよう。これでは天下人の威厳も台無しである。


「次。お伊能いのなる者の怪我は如何に?」

 戦傷も立派な武功であるから、感状に記す必要がある。

「渋谷ふゆ殿を庇い、右太股ふとももにメリケン式の短筒の弾を受けましてございます」

 わしがそう告げると、

「彦根中将が受けたのと同じ弾か……」

「何と恐ろしい」

 絶句した大樹公様と瀧山様。


 ともあれ負傷者と武功者。そして内容は多少おざなりであるが、武功も負傷も無いが救援に向かった御親兵全員に、大樹公様直筆の感状が作られた。無論、わしも例外ではない。

 今回の感状は、わしが代表して受け取り個々人に手渡す事と成った。



「やっと終わったぁ」

 まだお若いのに、溜息を吐きながら拳で肩をとんとんと叩く大樹公様。

「上様。これから化粧の品についてのお話がございます。その後も、御政務が押しておりますれば……」

 しかし瀧山様は容赦ない。

「登茂恵。宜しいですね。傷に触るならば、上様の御前おんまえにてす事を許します。

 いいえ。今直ぐ横になりなさい。その代わり仕舞いまで頼みまするぞ」

 わしに対しても大樹公様の前で横に寝ろとまで命じて、何が何でも化粧品の話を進めようとする。

 さらに、

「誰かある! 飛鳥井殿を呼びなさい」

 大奥のもう一人の実力者を呼び付ける瀧山様。大樹公様は、

「はぁ~~」

 と大きなため息をかれた。


 なるほど。これは大奥の総意に基づくものなのか。さもなくば、如何に大奥の権力者とて大樹公様のご意思を無視する真似が出来よう筈も無いのだから。


 わしと対面する上様の横に鎮座する、大奥重鎮のお二人。

 大樹公付御年寄おとしより・瀧山様五十六歳が十歳ほど若返って見え、上臈じょうろう御年寄おとしより筆頭・飛鳥井様四十三歳が三十路そこそこに見えると言うこの事実。

 確かにこの奇跡の化粧品を我が物にしたいと思うのは、女ならば無理からぬこと。

 二人だけではなく大奥全体が新しい白粉を切に求めているのだ。



 こうしている間も、大樹公様のご公務は山積みになって行った。合掌。

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