東洋先生2

●東洋先生2


「その眼。只者では無い。名は? 名は何と申す」

 東洋殿はわしの名を聞く。


「親に頂いた名と、主に頂いた名がございまするが。どちらをお尋ねか?」

 起き上がりながら言葉を返す。

「なんと。わっぱと言って済まなんだ。許せ」

 主君から貰った名前があるのは、侮れない身分の者である証拠である。東洋殿は会釈程度だが、数え十一のわしに向かって頭を下げた。


「東洋殿。お初にお目文字つかまつります。

 しゅうより頂いた名前は登茂恵ともえと申します」

 と名乗りを上げると、鯉口を切る音が響いた。

「待て!」

 東洋殿は手で制す。

 お供の者達の顔には、明らかに不快の色が浮かんでいる。

 若いな。やはり郷士ずれと共にいる子供如き、そうわしを侮って居ると見た。

 恐らくは、尊敬する先生に対する殿付け呼ばわりが、彼らの気に触ったのであろう。



土州としゅう参政さんせい・吉田官兵衛正秋まさあきと申す」

 参政とは家老の異称であり、実質は藩主の代理で最高責任者を務める者の事である。

 東洋殿の物言いは一見尊大だが、敢えていみなを名乗る事で礼も尽くした。


 故にわしも同じく返す。

「丁寧なご挨拶、痛み入ります。

 私は大樹公たいじゅこう様の御親兵ごしんぺい差配、大江登茂恵おおえのともえにございまする」

 飛び出した大樹公様の一語に、ざわっざわっと空気が揺らぐ。大樹公様直臣ともなれば、一応は彼らの主君たる土州候としゅうこう殿にも対等口を叩くことも許される身分だからである。

 戸惑いと疑念を晴らす為、わしは身分を示す書状を懐から取り出した。

「おお」

 途端に声が漏れた。内容を読む前に、賢い彼らは広げた紙の大きさを見て理解した。

 そう。この横九寸・縦一尺三寸の奉書紙は、大樹公家と御三家だけに使用が許されたものだからである。


「改むる。御免」

 奉書を東洋殿が預かり、その真贋を確認する。参政として大樹公様の御手おてを見知っているからである。


「御手は祐筆殿の物なれど、正しくこれは上様の花押。眼福つかまつった」

 東洋殿こそ動じないが、聞いたお供の侍に戸惑いが広がる。

 そう、こんな小僧が? と言う呟きの声が、わしに耳にも届く程に。


「して。そのご差配殿が何用で高知に参られた」

 前と変わらぬ落ち着きで、東洋殿が尋ねた為。わしははっきりと用件を口にした。

「ご縁あって、土州様の大切な御家来を一人貰い受ける事になりました。この為、一度ご挨拶にとまかり越した次第にございます」

「御家来と申すは……岡田の倅の事であるか?」

「はい。そこな宣振まさのぶにございます」

 告げるわしは駄目押しするように、

「宣振。包みを解いて文箱を出しなさい」

 と命じた。


「ここで参政殿に巡り逢うたは天のお導き。参政殿以上に、文箱をお委ねするに相応しき御方はございませぬ」

 展開について行かれず固まっている宣振の肩を叩き、

「文箱を託されたのは宣振です。さあ。早う」

 と促した。


 包みを解いて現れたのは、わしと宣振の戎衣じゅうい。そしてさらに袱紗で包まれた物。

 解くと中には蒔絵の文箱が一つ。勿論、漆黒の地に浮かび上がる黄金の紋所は、大樹公家の家紋である。


 宣振がそれを、敷いてある紫の袱紗の下から両手で支え、草の上を膝行して東洋殿に向かって捧げ挙げると、

「ご使者殿。東洋、確とお預かり致します。我が一命に代えても、必ずや土州侯様にお渡し致しましょう」

 厳かに約した東洋殿は、恭しくそれを受け取って押し戴いた。


象二郎しょうじろう誰に任す?」

 東洋殿はお供の一人に訪ねた。すると彼は大声で、

「いのす。われは誰にでも穏やかやき、わしらと違うて郷士や言うて、侮りの色を見せる事も無いろう」

 と確認し、彼が頷くの見て、

退助たいすけが宜しいかと」

 と告げた。大きく頷いた東洋殿は、やはり大声で、

「退助。お前を見込んで任せる。屋敷に登茂恵殿とご使者殿をお連れせよ。大樹公様のご使者だ。丁重にな」

 と命じると、

「わしは急ぎ殿にお目通りを願って来る」

 他の者を連れて、足早に去って行った。

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