ぞんついた

●ぞんついた


 江ノ口えのくち川に架かる山田橋。

 ここは参勤交代の行列も通る交通の要所である。他国から高知城下を訪れる人々も多い、高知の北の玄関口であった。橋の南側には番所が置かれ、高知の治安を守って居る。


 番所の近くにひとやがある。聞くと元々は国事犯を収容するための物であった。ただ高知が治まって後は国事犯と呼ばれるほどの者は居らず、普通の獄として使用されているとの話。

 現在は収容されている者も、死に値しない軽微な罪の未決囚であったり、咎人では無く訳有って個人の家から預かっている囚人めしうどであったのだ。

 なので、恩赦で出獄させたり刑を早めたり、預かっている者は一時家へと戻すことで、土州としゅうのご政庁は一つのひとやをすっかり空にしていた。



 演習の下見に現地へ行くと。

「姫さん。言われてみたら確かに高知の要衝じゃのぉ。

 橋のたもとの参道を抜けたら高知大神宮。城下を見下ろす高台に出る。押えたら高知城下のどこにでも大砲の打ち放題やき」

 演習でもわしの副官を務める宣振まさのぶは、

「今の今まで、そがなんはちっとも考えたことがんやった」

 そんなことは考えもしなかったと感心する。


「宣振はここの生まれ故、故郷を攻めるなどとは考えもしなかったことは判ります。

 しかし、郷土を護らんとすれば、敵がどう攻めて来るかを想定し、対処方法を講じて置くのは軍略のイロハにございますよ」

「げに、そうやなぁ」

「番所を押えれば橋を確保できますし、獄を破りて囚人を放てば混乱を拡大出来まする。

 単なる粗暴な咎人でも騒乱拡大。国事犯ならばご政庁を揺るがす事は朝飯前にて、ただ放たれただけで大きな痛手と成り得ましょう」

 うんうんと頷いていた宣振であったが。獄舎の近くを通りかかった時、急に無口になった。


「どうしましたか?」

「いや。今なぜか、ぞんついたわ」

「寒気がした? 用心なさいませ。夏風邪はこじらせると危のうございます」

 実際、只の風邪から、この当時死病と言われた労咳に至る物も少なくはないのだ。


「あ、いや。寒気ではのうて、今背筋がゾクっとな」

 お国言葉を言い換える宣振。

「獄には死んだ者の無念の思いが立ち込めておりますからね」

「そうじゃのう」

 こうしてわしは、実際に演習予定地を歩き簡易測量を行って、演習本番に備えた。



 土州にらず、大樹公家の天下は身分の上下しょうかにとても厳しい。結構抜け道はあるが、基本的に生まれで大方は決まってしまう世の中だ。

 しかし。初代大樹公様である権現様の時代としては仕方なかったのかもしれない。社会のパイは決まって居たのだから。


 それでも長い太平は、八島が自力で産業を興すに足る資本蓄積を助け、庶民の識字率を欧米列強の何倍にも引き上げる効果を齎した。太平の世に在って、上の身分に伸上がる為の抜け道が、お金と学問であったからである。



「刀槍や弓矢、それに鉄砲だけで攻めるならば。高知の街はかなり堅固にございますね。

 川や水路をほりつつみを胸壁として用いれば、攻め手に多大な犠牲を強いる事が出来まする」

 簡易地図を元に防衛側から眺め計画を立ててみる。

「やけんど、攻め手だけに大砲があったら。わしらが陣地を作るとして、って三日言うところやろうか?」

「高知の住民老若男女の半分を殺し、街を瓦礫の山か烏有うゆうに帰して戦い抜いて十日が限度でしょうね」

 わしの物言いに、何とも言えない顔になる宣振。


「姫さん。さっきよりもぞんついた(ぞくっとした)わ。町人を巻き込むがは、いかんぜよ」

「我らがやるやらないではございませぬ。ず有り得ぬ程の非情の一手も、相手が取り得る手として外してはなりませぬ。蒙古は手に穴を開けて船縁にとりこを繋いだと言うではありませぬか。

 攻め手としては、武士だけを殺すのならば後の宣撫せんぶ容易たやすうございまする。されど町人に損害を出さば、後の扱いが難しくなります」


 人間。切羽詰まったら手段は選ばぬものなのだから。非道の手で来られた場合の対処を、予め検討しておく必要がある。そうわしは明言した。

 すると宣振は問う。

「わしらが守り手として、姫さんならどうするのですか?」


 良い質問だ。

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