矩を踰えず
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前世の記憶。確か尋常科三年の頃だったと思う。
半ドン(土曜日)のある日。恩師の菊池
しかし小さな弟・妹達しか家にはおらず、漸くの事で聞き出せたのは、親や数え七つ以上の兄姉達が地主の所に行って居ると言う事だけだった。
その頃の小作人と言うものは、地主の家に手伝いに来いと命じられれば、どんなに忙しくても行かなければならず、しかも只働きさせられるのが当たり前だったのだ。
地主の家に着いたわしが見た物は、台所の土間で立ち膝で昼飯を食って居る学友とその一家であった。
大した物では無い。食が進まぬ様、態と桶に詰めて置いた桶臭い玄米の冷や飯の塩結びと、具の全く無い薄い味噌汁。そして河豚の刺身のような薄い沢庵が二枚。
「遅か遅か。はよ食うて野良に戻っとじゃ」
言われながら、出されて一分も経たぬ内に大急ぎで早食いした一家は、
「ごっそさまやった」
と土下座して、額を土間に付けて礼を言ったのだ。
ああは為りたくない。その思いで、わしは少年の日を生きて来た。断じて小作だけは御免だと。
当時は碌な働き口など存在せず。農村はもちろん都市にもなく、町で暮らす人々の多くは、低賃金長時間労働で苦しんで居たのだ。
こう言う人達は企業運営の為のバッファーであり、景気の良い時はまだましだが、不況ともなれば簡単に
何とか都会に働き口を見つけた次男三男が、景気が悪くなった途端に失業して家に転がり込んで来るような時代だった。だから、収穫の半分を小作料として取られても、生きていくためには是非も無かったのである。
こう言う話をすると、孫共は「なぜ変えようとはしなかったの?」と首を傾げる。
学校で大正デモクラシーの事を習った後の孫なら、話の時代は昭和に入っていたから、小作でも二十五歳以上の男子は選挙権が有った事を知って居たからだ。
ところがな。少しでも暮らしを楽にするために選挙権を行使しようにも、最初から無理筋であったのだ。
何せ地主の顔色を窺って生きている小作であるから、手拭いの一本も渡されると地主が指定する候補へと票を投じねばならなかったのが現実だ。
わしの最晩年。平成に
まあ、当時は手拭いも結構な貴重品であったから、平成の感覚で、
「酷い。粗品タオルで選挙権を売らされたの?」
など考えてはいかんのではあるが。
わしの家は自作農ではあったものの、当時は凶作が頻発した時代だ。農薬や肥料も高価で
そんな状況で農地は長男が継ぐ分しか無く、さりとて民間企業は工場でも商店でも保証が無い。
だからわしは、唯一景気に左右されない日の丸親方を選んだのだ。
けれども尋常小学校高等科の出では、役人に成っても知れたもの。ああ言うのは、金持ちのお坊ちゃんか神童と呼ばれる程の秀才にしか栄達の道を開いていない。
結局の所。中学講義録で中等教育を
良し殺そう。理由はわしが赦せないからだ。だがしかし、
「心の欲する所に従いて
百歳を超える老爺の分別が、無条件の射殺だけは遣らせてくれなかった。
聞く耳持たねば初めて、彼らを撃ち殺そうと条件を付けたのだ。
こうしてわしが心を決した時、嵩に掛かる痴漢共が遂に鯉口を切った。
如何に「何を言うかが問題ではない。誰が言うかが問題である」とは言え。
どちらも手の掛かるのは同じだが、前者に道理は通じない。問題は、幼児の駄々なら可愛いものだが、
わしは鞍馬山の天狗から渡された自動拳銃を取り出して、安全装置を外す。
距離はぎりぎり拳銃の射程内。わしは腰溜めに狙いを付ける。
確かこの場合、腕や脚は外れる公算高く当て易い胴体が推奨標的となるのだったな。
刀を抜いて土下座の位置では切れぬ為、掬い上げる様に蹴り上げた。
忠次郎殿の身体が浮き上がり、振り降ろされる刀。幸い、浮き上がった忠次郎殿の位置が低かったので、肩口の浅手で済んで居る。
再び振り上げられる痴漢の刀。こうなれば是非も無い。
パーン! わしの拳銃が火を噴いた。
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