ぺろりの河豚

●ぺろりの河豚


 前世のわしの晩年。世界を席巻した韓国起源の品がある。

 その名はクッションファンデーション。従来のファンデーションの概念を覆し、化粧品市場に革命を起こした逸品である。

 従来は液体であったファンデーションを、使い切りのスポンジに滲み込ませて簡便に使用できるようにした。

 製品一個当たりの使用回数は瓶入りの物には劣るが、使い切るまでの時間が短縮された分、不要になった保存料を減らして従来よりお肌に優しくなっている。

 これは粧連しょうれんと言う所に勤めて居った戦友からの情報だが、韓国はこれの特許を全て押さえてあるそうだ。


 因みに、渡した本には雲母きらら滑石タルクの粉末などの材料と、大雑把に湿式成型の説明が入っている。細かいレシピは社外秘であるからわしは知らないし、手順は社会見学に遣って来た小学生に見せる程度の物。

 素人がこれで作るのは難しいが、柳屋は本職だ。

 実験室的に良庵殿が作った実物もある事だから、後は餅は餅屋。商業化までなんとか試行錯誤してくれることだろう。


 ところで今世において。作り方を纏めるにあたり大名君だいめいくん世宗せそう大王を持ち出したのは、権威付けが必要であったのが大きい。それに加えて、元々開発した前世の韓国メーカーに対して、わしなりの敬意を示したのだ。

 勿論、李退渓りたいけいがお蔵入りさせたと言う作り話は、彼がハングルを卑しんで既に漢字と言う立派な文字があるのだから不要だ。と大王に意見した故事に因る。

 また大王は医学書を編纂する王命を出していたりもするから、安全な白粉を開発させて居たとしても何らおかしくは無いのだ。故に通信使が日本にクッションファンデーションを伝来した。と言う体裁をとった。


 さて。わしはその書において、女の肌を大別して黄と青に分けた。

 肌を通して見える静脈の色が青の者を基青きせいと呼び緑の物を基黄きおうと称し、肌の色に適った化粧を善しとする化粧術を提唱したのだ。


 これは二十一世紀の先進的な考えなので、これではいにしえを好む儒者に淫らと言われるのは已む終えぬ。と、誰もが思う事だろう。


 肌の色味と似合う化粧の色には一定法則が有り、違えると可惜あたら美人が無残なことに。

 例えば、前世のわしの外孫・佐藤の所のプンコなんぞは、気が強くて口汚なかったので頬紅チークに好きだからと言う理由で青みピンクを使った基黄の者を、『おてもやん』だの『お笑い芸人』だの散々に貶したものだ。

 わしは粧連しょうれんと言う会社に勤めておった戦友から、二つの肌味はそれぞれ四つ。春夏秋冬に分類されると聞いて、驚かせられた。


 因みに、編纂の部署・恵民署ヘミンソは、高麗王朝からの流れを汲む歴史の古い物であったが、元々別の名前で大王の十二年より使われた名称である。

 ただ著者を長今チャングムと記したのに深い意味はない。


 深い意味はない。……ない。

…………いや、済まぬ。ちょっとした悪戯心だ。後世の史家よ、許せ。


 さて、柳屋が応じてくれた後。試作品の受け取りおよび細々とした打ち合わせを兼ねて、わしは最初に連れて行った者達と訪問を重ねた。

 時々、武士風体の男達がお伊能いの殿の家に居るのを見かけたが、今の所彼らからこちらに関わって来るようなことは無かったのだ。



「これはどこのお菓子じゃ?」

 出された茶菓子にふゆ殿は狂喜。

 二月も半ば。お伊能殿の家にて打合せがてらに開かれた茶会のお茶請けは、見た目は樹の年輪のカステラで柚子の香りがする菓子だ。

 お春も、奈津なつ殿もあき殿も、若い女の常なれば甘い物だ大好きで、わしも今の身体となってからは、甘味を美味く感じるようになっている。


「伊予の一六タルトとも違いますね」

 わしが水を向けると、お伊能殿は得意げに話し始める。

「なんでも、シーボルト先生のお国のお菓子が元になって居ているそうです。

 山下様と仰るお方の考案で、棒に溶いた生地を掛けて焼き、柚子餡・溶き生地と重ねて焼き固め。

 幾度もこれを繰り返して、一筋一筋丁寧に作って行くのだそうですよ」

 山下か……。わしは懐の拳銃の銘を思い出した。


 女が三人寄ればかしましいと言う。気の置けぬ茶会に甘い菓子。今日も心地良く時が過ぎて行く。


 因みに茶会とこれらの菓子が縁で、いつの間にかお伊能殿は御親兵ごしんぺいの女性酒保しゅほ商人に収まっていた。

 酒保商人と言うのは、軍隊に付いて来て兵士と商売する商人の事であり、それ専用の制服を着て嗜好品を商う。この当時のヨーロッパではよくある軍属である。

 男でも道普請など重労働の後は、酒よりも甘い物を欲したし、近頃は御親兵には女性も増えて来ていた為、甘い物がよく売れるのだ。



「厠を遣わせて頂きます」

 そう言って席を立ち、廊下を歩いて行くと、わしの耳は微かな話声を捉えた。

 ここからでは話の内容こそ解らぬが、確かに竜庵りゅうあん殿が告げた様に、はっきりと水府の訛りが聞いて取れる。

 もしや天狗か? わしは耳をそばだてた。


「テツさん。いよいよだがやなぎの仕入れは八がげで間違まじがいねえ」

「やはりどごも倹約げんやぐが。二分のごってるだげでも、大したもんだ」

 柳? 家主のお伊能殿絡みの話か? 八掛け仕入れとは、きつきつの商いだ。


「それで、いづだ? どうにがして潜り込まなぐぢゃ」

「三日が良がっぺ。雛様ひなさままづりで人出も多い。それよりヤイチ。河豚はどうした」

「仕入れだ。柳に見舞う河豚だがら、ぎん惜しまず費やした。ぺろりの河豚だ。誰が遣る?」

「チュウだ。河豚さばぐならチュウがいい」

 来月三日の雛祭りに、柳に見舞う河豚を捌く?


 そのまま様子を伺って居ようとしたが、不意にぞくっとしたものを感じ、わしはそっとその場を離れた。

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