第79話 灯火

「――ルリ!? いくらなんでもその数は!」


「ルリさん戻ってください! チピはもう――」


 背筋の冷気に意識を奪われかけるも、すれ違ったルリーテを止めるべく声を張り上げる。

 だが、既にルリーテの意識は仲間の命の灯を消した魔獣に向けられており、その速度を緩める気配を感じさせることはなかった。


「奪い奪われるのが探求士の宿命なのは理解しています……ですが――奪われたままでやり過ごすほどわたしは賢くあろうとは思いません……」


 魔獣なのか、エステルたちに告げたのか、それとも……自分自身へ向けたのか。誰に向けて発した言葉なのかさえ分からない。

 標的を絞った魔獣の群れが迫る中、ルリーテは最大限の跳躍を以って魔獣の群れの中へ飛び込んだ。

 自身を見上げる魔獣たちへ向け、左腕を突き出す。


 そして――かつて、セキでさえも止めきることが叶わなかったあの詩を詠んだ。


「今度はこちらが奪う番ですね……――〈騎士の下位風魔術エクウェス・カルス〉」


 ルリーテの左腕に魔道管が浮かび上がり翠色の輝きを放つ。

 見上げていた魔獣たちを浮かせるほどの勢いで風が渦を成し、魔獣の咆哮さえかき消すほどの轟音と共に魔力体が輪郭を形作った。

 翠光に輝くその姿はあの時と変わらぬ美しさを纏っている。

 魔力が作り上げた女性を魔獣たちが認識し、我先にとルリーテ共々襲い掛かろうとした時――


 その場に居た魔獣たちの巨躯に十を超える線が走り去った後だった。


 ルリーテを中心に走るその刀尖は、雷が乱れ飛ぶかのように鋭利な軌跡を描き、一切の刀速を緩めることなく、群がっていた魔獣たちを物言わぬ屍――どころか、ただの肉片と化していた。


 セキの振るう風と舞うような滑らかさなど、一切持ち合わせない鋭さ。

 感情がなくとも、生前に培った鋭敏な感覚が惜しみなく行使された刀尖はセキと互角に近い刀速を誇る。

 刀尖を際立たせるように、空を彩る血飛沫でさえ目を逸らすことを許さぬほどに美しく、エステルとエディットはしばし今の状況さえも忘れ、ただ目を澄ます他なかった。



「――エステル急げッ!!」


 既にエステルの胸元から飛び出していたカグツチの言葉で我を取り戻したエステルは、エディットと共にルリーテへ駆け寄ろうとするが、彼女自身が手の平を向け二種ふたりを制止した。

 以前のように破裂することなく、原型を保ったままの腕ではあるがいまだに脈打つ魔道管のうねりは、想像を絶する苦痛をルリーテに刻み続けている。

 だが、それでも彼女は立ち上がり、その白き体を朱色に染め上げた小鳥の元へその足を運んだ。


「――おい……! ダイフク! 何を寝ておる? もう魔獣はおらんからの。もう起き上がっていいのだぞ……」


 ルリーテよりも先に駆け寄ったカグツチが、今は動かぬチピの体を揺すりながら語り掛け続ける。


「魔獣に踏まれた程度で、何をしておる……? 我の従僕があんな程度で怪我などするわけが――」


 朱く染まった羽は揺さぶられるままに、もう広げることはない。

 カグツチだけがそれを理解できず、ただひたすらにチピへ届かぬ言葉を紡ぎ続けていた。

 エディットは一歩、また一歩とその場へ歩み寄り、唾を飲み込んだ。


「グー様……あたしたちも……チピも……とっても弱いんです……だから必死に今を生きるし、抗うために強くあろうと努力を続けるんです……」


「――な……何を言うておる。我の従僕だぞ? 神や皇でもない……ましてや竜が相手というわけではないのだぞ……? このような場所で生まれたての精霊を狙うような下等な魔獣相手だぞ……? なぜこの程度で我が従僕を失う? なぜこの程度で我の従僕が死ぬ? なぜだ? おかしいであろ? 我は……我はカグツチだぞ……」


 カグツチはエディに向けた視線を戻し、なおもチピの体を揺さぶり続ける。

 そこへエステルが膝を折り、


「グー様……。もうダイフクを休ませてあげよ……? こんなに……こんなに小さな体で……わたしたちを守って……くれて……ありがとうって……」


 言葉を紡ぎ続けることもできないほどに、エステルの瞳からは抑えることのできない嘆きの雫が溢れ、膝の上で握りしめた拳は震え続けていた。


「未熟なわたしたちのために……ダイフク様はその身を賭して……わたしたちの先を……未来を残してくれたのです……。祈りは救いにはなりません。ですが、残された者たちが覚悟を決めるきっかけにはなるでしょう……」


 激痛が走る腕のことなど思考の外に追いやり、チピのために祈りを捧げるルリーテ。

 彼女たちの声に、チピを揺さぶり続けたカグツチのか細い腕が力無く落ちた。


ひとも……動物も……こんなに脆いものだったかの……?」


「はい……いつも死と隣り合わせです。だから……だからこそ命の輝きは美しくて……とっても尊いんです……少しずつ……ほんの少しずつでも、強くあろうと努力し続けなければ……その灯火は簡単に消えてしまうんです……それをチピは知ってたから……だから――」


 カグツチの遥か昔の記憶ではたしかにこのように脆く、いやこれ以上に脆いひとを数えきれないほどに見てきたことは確かだ。

 それは魔獣の蹂躙の際、また、カグツチ自身の逆鱗に触れた際も同様であったことを忘れていたわけではなかったはずだった。


 自分以外の儚さに辟易した覚えさえあるにも関わらず、目の前で起こった事実を理解しようとしない心との向き合い方を見出せず、ただただ瞼を下ろす他なかった。


 エディットはチピを両手で拾い上げ、薬草の葉でその身を包み込んでいく。

 その姿は癒術士として治療を施す以上に、慈愛溢れる抱擁にも似た優しい手つきだった。



「だから……その想いを無駄にしないためにも、あたしたちはここで立ち止まってはいけないんです」



 誰よりも悲しみのどん底に居ながらも、エディットの明確な意思を告げた言葉はエステル、ルリーテの心にも微かな火を灯した。

 北大陸キヌークで幾度も味わった喪失感。

 だが、エディットはそこで足を止めずに歩みを進めたからこそ、今があることを自覚している。

 感傷に浸るのは今ではない――そう自分の心に刻んだ。


 チピを葉で包み込み、腰に付けた小袋の中へ入れるとカグツチも言葉を発することなく、一緒に小袋の中へと入り込んだ。


「眠りにつくのは……森がいいかな……? チピの頑張りを……ゆっくり労ってあげないとだし……」


 ぽつりと呟いたエディットの表情は、既に前に進む覚悟を決めた者だけが持ち得る瞳を携えている。

 エステルもエディットの隣へ並び立ち、ルリーテも灯された火に自身で薪をくべるべく顔を上げた。

 三種さんにんは、精霊との出会いを求めさらなる奥地へとその足を進めていった。



◇◆

「これでひとまずは大丈夫です。チピのためにありがとうございました……。でも左腕の魔道管じたいの消耗は激しいので、『アルクス』などの魔術行使は厳しいものと思われます」


 通路内にて魔獣を警戒しつつ、治療を行ったエディット。ルリーテの腕だけではなく、先程までの混戦で受けた傷の手当を施していた。


「いえ、改めてお礼など……仲間として当然のことですので。ですが……またしばらくあの魔術は撃てなさそうです。何かこう……わたし自身の魔力とは別に蓄積されていたものが一気に放出されたような感覚なので……」


「でも、この前みたいに腕が弾けなくてよかったよ……エディの言ってた通り、カグヤお姉ちゃんの力が少しずつルリに馴染んでいってるのかな」


 左手をぎこちなく動かすルリーテを見ながらエステルが安堵の吐息を零す。エディットも自身の手当をしながらエステルに同意するように頷いていた。

 カグツチは小袋の中でチピの側に寄り添ったまま、顔を出すことはなく、受け入れがたい事実に目を向けることができないままであった。


「馴染む……そうだとありがたいのですが……まぁ今はもう考えることは止めましょう。それに『アルクス』が使えずともわたしには、セキ様の小太刀と『ラミナス』がありますので……」


「うん……そうだね……奥は静かってわけでもないし……また魔獣がいると思う。こうなったらとことん奥まで突き進んで契約してやろうっ! ダイフクが繋いでくれた想いは絶対に無駄にしない……!」


「――はい! 必ず契約してみせます……! あたしの治療も終わりましたのでもう移動も問題ありません! ――行きましょう! チピにも胸を張って伝えられるようにっ!!」


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