第23話 深淵種との邂逅

 ――船員たちの期待を良い意味で裏切り航海は恐ろしいほどに順調に進んでいった。船員たちは今までにないほどの航海の速さに心を躍らせており朝から海図片手に小島等から現在地を確認していた。


「今日で三日目……なのにもうサルカン岩礁帯だ。ってことは今日の夜には東大陸ヒュートに着くことも可能なんじゃ?」

「普段は中央大陸ミンドール寄りだから海流の恩恵も少なかったからな。船長がセキの力を見てすぐさま海流に乗せるルートに切り替えてたからこその速さだな……」


 海図を眺めながら嬉しそうに談話する船員たち。

 知らず知らずのうちに浮足立っていることを危惧していた船長がそれとなしに声をかけて回っている。


「ああ、私もここまで早くなるとは思わなかった……だがまだ到着したわけではない。最後まで気を抜かずに頼むぞ」

「ええ、もちろんですよ! 順調な時こそ……ってやつですからね!」


 船長の言葉に気を引き締めなおす船員たち。護衛のセキやブラウたちは船上で交代で仮眠をとりながら警戒を続けていた。

 セキは基本的にガサツ家にお世話になった時のような状況でなければ背中を岩や壁に預け浅い眠りを取る。そうすれば問題なく動けるような育ち方をしている。したがって探知系の魔術でクリルが警戒をしている時にセキが休みクリルが休んでいる時はセキが帆柱マストに上り船員と一緒に目による警戒をしている。

 快晴の下での大海原の景色は見ていて飽きを感じさせることのない壮大さがあるが、魔獣の気配を探知できない以上、不自然な波や所々で頭を出している岩場等も注意深く観察していけなければならない。

 そんな中ではあるが一時的に船員に警戒をお願いしつつ、セキは帆柱マスト上でセラの作ってくれた弁当をカグツチと共に名残惜しそうに食べていた。


「はぁ……食べ終えてしまった……おいしかったなぁ……」

「うむ、お主がおいしいと思っているならば何も言わんが。よかったの。ワサビも他の食い物もお前が味を知っているものでの」

「んあ、それはたしかにな。でも……セラさんがにこにこしながらおれの食べる姿見てるんだもんよ。そりゃおいしいと思うさ」 

 

 弁当の最後の一欠片を口に頬張りながら答えを返すセキ。

 セキの答えに偽りがないことを察しているカグツチは頬を緩めて満足そうにその答えを受け取っている。

 

「うむ、お主もはよこういう食事を作ってくれる相手を見つけるとよいかの」

「見つけようと思って見つかったら苦労しねーんだよ……はぁ……おれも漁師になろうかな……」

「職の問題ではないと思うがの」


 カグツチの的確な指摘に言い返すことすらできないセキには食事を終えたカグツチの首を摘まみ振り回すことでしか抵抗の意思を示すことができない。


 カグツチが軽く泡を吐き白目になっているとそこに船員の話を聞いたクリルが帆柱マストに登ってくる姿が見える。セキは泡を噴くカグツチをポケットに突っ込みクリルに手を差し伸ばす。


「よいっしょ! ありがと! それと警戒お疲れ様ー! 船員さんが話していたんだけどなんだか順調だから今日中に東大陸ヒュートにつけるかもって」


 クリルの言葉にセキは目を見開く。

 過去に行った経験からある程度の日数を予想していたが、ここまで早く到着するとは思ってもいなかったためである。

 船の性能がそんなによくなっているのか、とセキの脳裏によぎるが。


「え、そんなに早く? たしか聞いた話だと五日から六日はかかるはずじゃ?」

「うん、普段はそうなんだけど、今回は船長さんが早い段階で海流に乗せた? から到着も早くなったって」

 

 クリルも航海については専門ではないため早くなった経緯の説明も小首を傾げながら疑問符付きととなっている。

 

「それはすごいありがたいな……それに今日明日ってことならもう仮眠も必要ないや」


 言葉と共にセキは立ち上がる。

 今までの警戒も気を抜いていたわけでは決してないが到着の目途が立ったことで、どの程度集中力を維持すればよいかも分かり気が引き締まったことも確かである。

 セキに続きクリルも帆柱マストから降りると最後の警戒とばかりに探知魔術を発動した。


「そろそろ右手の岩礁帯が広がってくる! 気を付けろよ!」


 船長の掛け声が飛ぶと共に船員たちが慌ただしく動き出す。

 船の操縦はまかせろと言わんばかりに岩礁帯の中の道を船をぶつけることなく進んでいく……が――


「魔獣の反応よ! 気をつけて数が多いわ! ……なんでこんなに固まってるの? なんだかおかしい――」


 その言葉に船長が反応する。


「順調すぎた代償ツケを払えってことか……! 航路を北寄りに修正!!」


 その言葉に船員たちが動き出し岩礁帯から船を離脱させようとする。だが――


「いけない! 近づいてくる! どうして……? 陸の魔獣ってわけでもないのに群れてるような……」

「たしかに海の魔獣は群れることはあまりないはず……岩礁帯だから泳げる隙間が少ないからか?」


 クリルの言葉にブラウも首をかしげている。セキは帆柱マストに上り魔獣の群れを確認しようとするが潜っているようで水面下の何匹かの巨蛸ジャイアントオクトパスが確認できただけだった。


「これ……違う! あ、何匹もいるのもそうだけど一匹……反応が特殊で大きいやつがいる! でもこれは巨亀ジャイアントタートルの反応だけど……」

「くそ!! そういうことか!!」


 巨亀ジャイアントタートル巨蛸ジャイアントオクトパス海錦蛇シーパイソンとさほど強さは変わらない魔獣だ。むしろ動きは鈍いため警戒度は低い。だが船長の様子はどうもおかしい。

 船員に指示を飛ばす声にも緊張していることが伝わってくる。


「全速力で岩礁帯を離脱しろ! 『深淵種アビス』だ!!!」


 その言葉に船員やブラウたちに衝撃が走る。セキは帆柱マストから飛び降りその『深淵種アビス』と言われるものについて問いかける。


「ごめん、『深淵種アビス』ってどういうこと? 『百獣』って言われてるやつとかのこと?」


 冷や汗を垂らしながらクリルの指し示す方角に鋭い視線を送っていたブラウが質問を受けて視線をセキに向ける。

 その視線は今までの和やかなブラウの視線それとは異なり焦りと戸惑いから来ているものだった。


「いや、巨亀ジャイアントタートルなので百獣まではさすがにいかない……通常の魔獣のランク付けは『魔獣』、『百獣』、『千獣』、『禍獣』、『恐獣』、『極獣』というランク付けがギルドでされている……そのランク付けの枠の中でも強力に育った固体のことを『深淵種アビス』と言うんだ……」

「今回は『魔獣』枠の巨亀ジャイアントタートルが『深淵種アビス』に育ったってこと?」

「その通りだ……」


 ブラウの説明を受けセキは魔獣の区別の理解を深める。そもそも魔獣にそんなにランク付けがあることじたいセキは認識していなかった。

 だが、このランク付けはギルドが探求士たちの冒険の指針となるべく決めたランク付けでありこの制度は事実として初見の魔獣を対応する時に探求士たちがとても重宝する情報となっていた。


「あの『深淵種アビス』はここらの岩礁帯の主みたいなもんだ……数年前に海錦蛇シーパイソンの『深淵種アビス』を花芽ラワード級の探求士たちが討伐してくれたんだが……次はあいつが居座り始めたってことよ……ここらの魔獣を引き連れて商船を襲ってきやがる……陸地なら魔獣の深淵種も本葉トゥーラ級探求士で戦えるが海ってのが相性が悪すぎる……」


 船長が嫌な汗を拭いつつブラウたちに説明をしている。

 この海を主戦場にしている以上、危険な個体の情報は当然のように把握している。

 だが出現頻度が以前の海錦蛇シーパイソンよりも低く最近おとなしくしていたため甘く見ていたことは否めない。


「五十MRマテルまで近づいてきてる! 気を付けて!」


 クリルの声と同時に岩礁を削る音が響き渡りその巨大な甲羅が水面からゆっくりと顔を出す。

 戦闘で受けたであろう傷が無数に刻まれているものの甲羅の表面についているだけであり、致命傷どころか手傷にさえなっていないことが一目で理解できる。


「こりゃ……でけえな……」


 船長が出現した『深淵種アビス』を眺め唾を飲み込みながら言葉を吐き出す。傷だらけの甲羅はゆうに四十MRマテルはあるだろう。セキたちの乗る商船と変わらないような大きさだ。さらに姿を現した瞬間に『深淵種アビス』の回りには巨大な渦が発生しておりその巨体と合わさった演出は見る者に絶望という感情を植え付ける。

 陸であれば戦い方も選べるが船上という大半の探求士にとっては不利な状況であり、そのことを理解している船員たちも唖然とその近づいてくる絶望を目で追うことしかできなかった。


「あいつ『魔法』を発動させてる!! このまま近づかれたら船ごと巻き込まれちゃうわ!」


 姿が目視できた時いち早くクリルは探知魔術を解き『深淵種アビス』に向かって魔杖ワンドを突き出す。


「どう考えても水属性よね……でもしょうがない!! あたしの上位魔術はこれしかないんだから! 〈粒の上位水魔術バルト・ミルンギル〉!」


 クリルが詩を詠むと突き出した杖の回りに複数の水弾が浮かび上がる。

 さらにクリルが杖を薙ぎ払うと同時に一斉に『深淵種アビス』目掛けて発射される――水弾が激しく甲羅に突き刺さり削り取っていくが大きさが大きさである。このまま撃ち続けたとしても船が沈むほうが早いだろう。

深淵種アビス』は怯むことなく岩礁を破壊しながら明確に船へと近づいてきている。


「うーやっぱりダメだった! こんな足場もろくにないような場所じゃブラウたちもセキだってやりにくいだろうし魔術士の出番なのに……!」


 クリルの魔術が通用しない以上は接近戦になる。しかし『魔法』の渦を発生させている『深淵種アビス』が近づくことじたい船にとっては致命傷だ。


「――みんなそのまま下がって」


 セキが船上の面々に向かって声を掛けると同時に船から飛び海から突き出た岩礁に立つ。


「セキ! いくらお前でもその足場でやりあうのは無茶だ! 戻れ!!」


 飛び出したセキに向かってブラウが外柵に乗り出しながら戻るように声を張り上げる。

 届いてはいるが、その声に従う気がないことが一目でわかるようにセキは『深淵種アビス』のみに視線を注いでいる。


「大丈夫! やりあうわけじゃない! ――斬るだけだ」

「何言ってんのよ! はやく船に戻って!!」


 セキが右手の小太刀を順手、左手の小太刀を逆手に持ち真っすぐに両腕を垂らしながら『深淵種アビス』を見据える。

 そこに岩礁に立つセキを認識した『深淵種アビス』が首を伸ばし、嘴を開き咆哮と共に巨大な水弾を放つ――

 

 セキの背丈の数倍はあろう水弾が荒々しい水しぶきと共に襲い掛かる。

 だが、巨大な水弾が荒波と共にセキの目前まで迫った時――あの日の海錦蛇シーパイソン同様に切り裂かれ嵐が凝縮されたかのような巨大な弾は儚く海風に揺られる水滴となり海に還っていく。それを見届けることなくセキは跳躍すると『深淵種アビス』の額に向けて飛びかかる。


 再度水弾を放とうと嘴を開こうとしたその時――すでに『深淵種アビス』の嘴はセキの右手の小太刀によって根元から切断されていた。

 小太刀を右に薙いだその勢いで体を回転させ左手に握る逆手の小太刀が走る。その剣閃は音もなく『深淵種アビス』の伸ばした首を無慈悲に跳ね飛ばす――

 さらにセキの体が螺旋を描き、右手の小太刀を下からすくい上げ、連なるように左手の小太刀も振り抜いた瞬間――海面が割れ、残されていた胴体が海面同様に首から尻尾までを真っ二つに両断されていた。


 セキが斬った甲羅の片割れにいったん着地する。

 魔力の凝縮と共にその身が圧縮される中、割れた海と沈みゆく『深淵種アビス』に巻き込まれ率いていた魔獣たちも沈んでいく。死にはしないだろうがまた這い上がってくるまでは時間があるだろう、セキがそう考え戻ろうと船に視線を向けた瞬間だった。


「後ろだ! 避けろ!!」


 セキが咄嗟に船に向かって叫ぶ。全員が沈みゆく『深淵種アビス』を眺めていたその時、背後の海から飛び出した一匹の海錦蛇シーパイソンが船長目掛けて飛びかかろうとしていた。


 セキの声に全員が振り向くと同時に顔色が変わる。海錦蛇シーパイソンの牙は的確に振り向いた船長の首を狙っていたからだ。セキも薄切苦無クナイを投げるか、跳ぶかを瞬間的に判断した上で船に向かって跳躍していたが間に合うタイミングではない。

 船長自身、いや船にいるほぼ全ての者が『深淵種アビス』の討伐後の油断をつかれていた。

 ――この男以外は。


「おおおおおおおっ! 船長ぉぉーーー!!」


 海錦蛇シーパイソンが咬みつく寸前にブラウが横っ飛びで船長の首の前に腕を伸ばす。


『ガアアッ!!!』


 獲物を目の前にした喜びかそれとも自身を鼓舞するためか、海錦蛇シーパイソンがその滑らかな牙を剥き出しにしながら吠える。

 間一髪のタイミングでブラウの伸ばした手が船長の首を隠すが海錦蛇シーパイソンはお構いなしにその鋭利な牙を遠慮なくその腕に突き立てる。


「――ぐっ! このやろう!」


 そのまま床に転がりお互いがもつれ合いながらも顎を片手で掴み突き刺した牙で腕を引き裂こうとする海錦蛇シーパイソンに抵抗している。

 ブラウが叫びクリルやゴルドが迎撃態勢を整えたと同時にセキも船上に着地する。そして次の瞬間には海錦蛇シーパイソンは蛇としての形を保っていなかった。


「セキ! 助かった!」

「いや、おれのほうこそ不注意すぎた! ごめん……! 傷は?」

「ブラウ……感謝する! 私自身も船員に気を抜くなと言っておきながら情けない……」


 座って腕を抑えるブラウにセキと船長が寄り添う。そこにゴルドが横に膝をつき。


「安心してください。こういう時のための癒術士ですから」


 その言葉と共に牙の食い込んだブラウの腕の前に両手を差し出す。


「……〈癒しの下位土魔術ラティア・ドルス〉」


 ゴルドの両手の間に魔術による拳大の岩が出現すると程なくして岩の塊は光の粒へと姿を変えていく。

 光の粒がゆっくりと帯状に変化しながらブラウの出血している腕を包み込む。


「これくらいの傷なら僕でもなんとかなりますからね」


 光の帯がじょじょにその輝きを失い最後の煌めきと共に散ると光に包まれていた傷口に薄い膜ができており出血も止まっていた。


「あーよかったわ……これで安心して深淵種アビス討伐を喜んでいいかしら?」

「ああ。その通りだ!」


 胸に手を当てながらほっとした表情でクリルが告げると傷が塞がった手を上に突き出しブラウも答える。そしてそれに呼応するかのように船員たちも一斉に叫びだす。


「おおおおおお!!」

深淵種アビスの討伐を自分の目で見れるなんてなぁ!」

「あんなに間近で深淵種アビスを見るのは死ぬ時くらいだと思ってたぜ!」

「ガサツさん万歳ってところだな!」


 この場にいないガサツの評価はこの航海中にうなぎ登りのようだ。そんな騒ぎの中、座っていたブラウに船長が手を伸ばす。


「ブラウ、今回きみを雇って正解だったよ。本当にありがとう」


 ブラウが船長の手を掴み立ち上がるも自分自身への歯がゆさからか、頭を搔きながら俯き加減に。


「いえいえ……まだまだですよ……」

「ははっ! 種生じんせいいつになっても進み続けにゃならないもんだ!」

 

 ブラウの言葉に船長が笑い声と共にブラウの尻を叩き船員たちの元へと向かっていく。

 船の上の熱気とは裏腹にブラウの瞳には先ほどまで溢れていた活力が失われていた。

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