第229話 棘

「大分動きやすくなってる! ありがとう」


「あくまでも応急処置の範囲です。治癒の詩も含めて戻ったら本格的に治療しましょう」


 一同はレルヴを目指し歩を進めていた。

 怪我も去ることながら、今の精神状態のまま夜を明かすほうが危険と判断した結果だ。

 不幸中ほんの僅かな幸運――とは言いにくいが爆発により、周辺の草木と共に魔獣さえも一掃されているようで一切の気配がない。


「な……なんつーかすまねえな。その怪我を負わせないための盾術士なんだが……」


「いや……! あのタイミングじゃしょうがないよ。無駄な時間を団長あいつに与えちまったのが良くなかった」


 沈んだグレッグの声色トーンにセキは努めて明るく返事をした。

 あの状況を終えたからといって、すぐに元に戻るはずもないことは重々承知している。

 しかし、必要以上に肩を沈め過ぎてしまうこともよろしくない。と、危惧したセキなりの気遣いであった。

 それは自身の過去の経験を踏まえた末の配慮でもある。


「ここまできても、まだ草が剥げてますますからね……川の深さに助けられました……」


「川も途切れるくらいの爆発だったからね~……水が衝撃を緩和してくれたのも助かった要因かな~?」


 エディットが足元を探りながら放った言葉もセキは聞き逃さない。

 一度崩れ落ちた雰囲気は、会話というリズムを刻み合い調律していくものだ。

 饒舌とは言い難いセキではあるが、今この場で指揮棒タクトを振りやすい立ち位置であることは理解しているのだ。


「あ……の……みなさん。わたしのせいで――」


「違うよ……ルリが謝ることは何もないよ」


 治療中も放心状態だったルリーテがここにきて口を開こうとするが、その心情のままに喉を振るわせることをセキは許さなかった。

 あえて語気を強めたセキの声は、もちろん威圧が目的ではない。

 心を整理中のルリーテが、この状況までをもとして整理させないための一言だ。


「そこはセキの言う通りだな。幻域種ティティス石精種ジュピアがやつらの行動に責任を感じる必要はねえ」


「その通りですっ。強引な手段を選んだのははぐれ星団あちらなのですから!」


 ぽつりぽつりと会話のリズムが整う兆しを見せた。

 それでも、


「ルリは悪くなんかない……わたし……わたしが発端……だから」


 エステルは静かに、許しを乞うことのない懺悔を口にした。


「違うよ……エステルが責任を――」


「わたしが騒ぎを大きくしちゃったんだよ……だから……だからルリだって詩を使うことになって……」


 足を止めたエステルは誰に視線を向けることなく、俯いたままだ。

 まるで……自分自身に言い聞かせるように。


「あのワーグってひとは……それでルリが石精種ジュピアだって気が付いたんだよ……」


 掠れるようなか細い声。

 時折聞こえる歯を軋ませる音。

 今にも折れそうに、弱々しく佇む少女の姿がそこにある。


「ううん、あのひとだけじゃない……あの場にいたひとたちが……!!」


「あれはわたしが自分の意思で詠んだのです。エステル様が自分を責める理由には――」


「そこまで思い詰めちゃ……」


 真っ直ぐ平坦な道でなかったことはたしかだ。

 歩む速度もひと並み以下だと自覚している。

 回り道さえしているだろう。

 それでも……それでもがむしゃらに進んできたつもりだ。

 だが。

 足を止めて振り返った時、エステルの目は後悔ばかりを映し出していた。


「わたしの行動で……みんなが傷ついたことが事実だよ! わたしは引っ掻き回すばかりで自分の行動の責任さえ取れてない……ッ!!」


 自分自身への憤りであるが故に歯止めがきかなかった。

 堰を切った川の水が止まることがないように。


「何もできなかった……あの団長と呼ばれてるひとが来て、逃げることさえもできなくて……セキに頼って……」


「そこは気にするところじゃないよ。仲間なんだから――」


 セキの声は届かない。

 いや……音色を奏でるはずの心の鐘に、後悔や失望が詰まってる以上、届いたとしても響かせることができない。


「わたしは何もできてない……! 自分の身の丈に合わないことばかり望んで……ナディアとの決闘だってセキがいなかったら……精霊との契約だって……」


 自分を否定することは簡単だ。

 淡く光る思い出も、眩い記憶も、全て塗り潰すだけで事足りる。

 残った仄暗い道を気ままに歩けばいい。

 そうでなくとも、ひとは、苦い記憶ばかりを鮮明に覚える生き物なのだから。

 暗闇の中でも容易に見つけ出すことができるだろう。


「強くなったなんて思い違いをしてたって……分かった。強さって……戦うべき時に戦える力を身に付けてることだ……って。……なのに――わたしは戦うべき時に守ってもらってばっかりで――ッ!!」


 蘇るのはファウストの捨て台詞だ。

 自分に照らし合わせた時。違う――と自信を持って叫べない。

 言葉の一つ一つが楔であり棘となる。

 その後ろめたい思いがエステルの喉を通り激情として吐き出された。

 そして自分に向けているのか、目の前に赤髪の青年に向けているのかさえすでに見失いつつあった。


「そんなことない。あの場はおれとあいつの関係上引かなかっただけだよ。それに契約だって……おれがいなくてもきっとエステルなら叶えられてたと今でも思ってるよ? それにエステルの強さを……おれはよく知ってるから」


 セキは釣られて声を荒げるようなことはない。

 何よりもエステルの気持ちをこの場の誰よりも理解できるという自負があるからだ。

 だが――


「強さなんて持ってなかったッ!! みんなに寄りかかって進んだ気になってただけだよ――ッ!!」


「それこそ違うよ。だって……強さってさ――」


 薪を焚べたように燃え上がった激情の炎に、セキは傷だらけの手を伸ばした。

 かつて、自分も覚えた火傷の痛みに怯むことはない。

 だが、伸ばした手を相手が素直に掴んでくれるとも限らないのだ。


「そんな気休めなんて……――はっきり言ってよ……ッ!! わたしは……わたしはセキのように強くなんてなれないって――ッッ!!」


「ちがッ――そういう意味じゃ……エステッ――」




 渇いた音が闇夜に響き渡った。

 軽い音でありながら、誰もがその身を硬直させるほどの音色。

 表情に影を落とすに十分な苦い余韻は、誰もが浸ることを拒否するだろう。



 エステルの頬に浮き上がった紅潮は、顔に紅葉を散らしたわけではない。

 平手をそのままに、口を一文字に結んだルリーテが刻んだものだった。


「セキ様以外何もできなかったことも。そして……の言葉がわたしたちの立ち位置を剥き出しにしたことも悔しいですが……認め難くも真実……ですが……セキ様に声を荒げるのは……――間違っています」


 その場の誰もが思考に空白を刻んだ。

 だが。

 エステルはこわばる体へ無理やり気力を押し流すように、俯きながらも歯を軋ませた。

 ルリーテと向かい合うことなく背を向けたエステルは、暗がりの続く闇夜の道へ走り出す。

 その姿にルリーテはうなだれるように力無く視線を下ろし、臀部を地に落としていた。

 握りしめた手が震えている。

 それは怒り故か。

 それとも――

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