第230話 思い出の日 その1

「――エステルッ! くっ――……こっちを……頼んでいい?」


 セキは流れ作業のようにカグツチをエディットに投げる。

 さらに座り込むルリーテに視線を向けるも、掛ける言葉を決めあぐねているようでもあった。


「はい――あたしは街に向かいます。なので……お願いします。無茶をするのは目を瞑りますが、ちゃんと二種ふたりで戻ってくださいね!」


「ああ。早く追いかけてやれ――んで……勘違いを正してやってこい!」


 ルリーテは任せろ――と、エディットとグレッグの瞳がセキに語り掛けた。

 セキは二種ふたりの言葉を背中で受けつつ肩越しに顎を引く。

 そして、怪我をしているとは思えない速度で暗闇続く道へ溶け込んでいった。


「ルリさん立てますか……?」


「わ……わたし……は……」


 エステルを叩いた手を呆然と眺めている。

 震えているのは手なのか、体なのか、それとも心なのか。

 ルリーテの濁流の如き思考では判断することができない。


「気持ちは分かる――なんて軽々しく言えません。ですが、と言い切るには早い。と思いますよ。少なくともあたしは」


「エステルがセキにぶつけてしまったように――ってことだろ?」


 ルリーテが反射的にグレッグへ顔を向けた。

 揺らいだ瞳が、なぜ……わかった? と語り掛けるように。


「ルリーテ。お前も……あまりに無力なへの苛立ちをエステルへぶつけちまったってことが……そんな自分が……許せないんだろ?」


 振り向いた速度とは対照的に。

 彼女はゆっくりと……力無く頷いた。


 オレもだからな――

 そっと瞼を下ろしたグレッグは心の中で静かに呟いた。

 ただただセキの背中に、期待と不安の入り混じった視線を向けるだけしかできなかった事実は、肩を重くするには十分な理由だと。


「悔やむこともある。嘆くこともある。そして……ぶつかることだってある。だが……大事なのは……じゃねえか? オレの立場からは踏み込みすぎな言葉かもしれねえが……」


 ルリーテは返事に喉を震わせることはなかった。

 だが、視線を地に落としながらも、自らの意思で立ち上がった。


「あたしも言いたいことたくさんありますので……! でも……まずはレルヴへ向かいましょう。そして……お二種ふたりが戻るのを……待ちましょう」



◇◆

(わたしは……何してるんだろ……)


 彼女は当てもなく走り続けた。

 いつしかその足は荒野を抜け、草原に差し掛かる。

 

団長あのひとに言い返せなかった自分の弱さをセキにぶつけて……)


 乱れた息を自覚した彼女は小高い丘の上で腰を下ろした。


(まとめる役目なんて何も果たせてない……)


 足を抱えてうずくまり。夜空に輝く星々を見上げることもなく、いつしか顔も伏せていた。


 ……――


 ……――――


 ……――――――


 どれだけの時間伏せていたのだろうか。

 それとも、ほんの一瞬だったのだろうか。

 

 思考を乱す雑音ノイズ

 心に纏わりつくヘドロのような淀んだ感情。

 

 消えてしまいたい――とさえぎるほどに深く沈み込んだ心の奥底は、星々の光も、夜光石の明かりも届くことはない。


 だが、届くものはあるのだ。

 それを彼女は分かっている。

 分かっている……が、それを求める勇気を振り絞ることができないほどに、今の彼女の心は疲弊しすぎていた。


 ……――


 ……――――


 ……――――――


『チピィ~……?』


「今はそっと……ね? ――ってか頭巾フードの中で休んでたのね……」


 彼女は思わず隣を振り向いた。

 揺らいだ瞳に映し出すのは、指先にチピを乗せたセキだ。

 口元が緩みそうになった自身を戒めるように、咄嗟に顔を伏せる。


「な……何しにきたの」


 言いたいことはそうではない。

 相反する言葉が出てしまうからこその心の乱れ。


「特に……何も? 言葉遊戯あそびができれば一番だけどね」


 セキに視線を向けることはない。

 常に抱えた膝を見ているだけだ。

 それでもエステルは、隣に座るセキが自分を見据え、あまつさえ微笑んでいることをなぜか感じていた。

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