第177話 休息日のエステル その3

「それではお気をつけて……」


 騒動から数時間が経過した。

 現状でも千幻樹は出現したままではあるが、探しに出る者は街の外へ出払ったのか普段の喧騒とは打って変わり、深夜にも似た静けさが辺りを包み込んでいる。

 夜光石の時間帯に入っているとはいえ、普段であればクエスト帰りの探求士たちが溢れ居酒屋を中心とした飲食店から賑やかな声が響いている時間である。


「――はいっ! 色々とお話聞かせてもらってありがとうございました!」


 エステルは深々とお辞儀をするとやや浮かれ気味の足取りで歩き出す。

 裏路地を進み、店員の地図に従うと徐々に整備された色とりどりの花が、道の脇で慎ましく咲いていることが見えた。


(おぉ~……ここからもう花が綺麗に植えてある!)


 さらに奥へ目を向けると花に合わせているのか、様々な配色の魔具灯がこれから進む道のりを煌びやかに照らし出していた。


(ほんと綺麗きれーだな~……花が主役になるように光の加減も抑え気味で――うん……これはたしかに好きなひとと歩きたくなっちゃうよね)


 時折、珍しい花を見つけては屈んでじっくりと見ながら、本丸であるギルド書庫への道を着実に進むエステル。


 だが、数十分歩いた所で道から外れた広場の奥。

 歩道とは違い整備されていない茂みに向かって、明滅を繰り返すように手の平サイズの火球が静かに道なき道を照らしている。

 さらに良く見ると茂みの裏が、眩くも優しく照らされていることに気が付いた。


(……? 道なりじゃないけど、この広場の目玉スポットだったり? うん。ちょっとだけ……)


 歩道から外れ、雑草を足の先でかき分けながら光に向かった。

 舗装されておらず獣道すらない茂みは、エステルの腰ほどの丈がありお世辞にも歩きやすいとは言えない。


ひとが通った気配がないよ~……違う道から行く場所なのかな~……)


 近付くにつれて、あまりの歩きにくさに不安が募り始める。

 

(でも、ここまで来たからには何の光かくらいは見ておかないと……後で気になっちゃうよ!)


 なぜか使命感に駆られたように決意を固めるエステル。

 そんなことを考えつつ最後の茂みを徽杖バトンける。

 すると目の前にひとの手ではない、自然が創り上げた小さな広場が飛び込んできた。

 先ほどのまでの丈の高い雑草はなく、芝生程度の長さである。

 そして……


(なんだかちょっとした隠しスペースみたい……回りは木々と雑草に囲まれちゃってるし……でも……あれは――)


 エステルが向けた視線の先。

 広場の中央付近に輝く苗木をその瞳に映し出した。


「なんだか……神々しい光……」


 吸い寄せられるように無自覚に歩き出す。

 思考ではなく、喉を震わせるのはこの幻想に包まれた空間が現実だ――と自分に言い聞かせるためだろうか。


 近づくにつれ、この空間の魔力濃度が高いことを感じ取る。

 今のエステルでも気が付くほどの濃さ。

 それは精選の地下に潜む森以上に自然魔力ナトラが溢れていることを示していた。


「これ……果実……? だよね……――ッ!?」


 膝を地に落とし、りんごよりもやや小さい、手に収まるほどの果実をまじまじと眺める。

 果実はその身を赤、青、緑に染め上げているがどの色も薄く滲んでいるような色合いだ。

 その時、エステルが思考の外に追いやっていた一筋の光が走り込んだ。


「うそ……? え……いやそんなこと……でも――」


 自覚した途端に鼓動が跳ね上がり、鼓動の高ぶりを合図に全身が震えだした。

 恐怖ではない。

 自身が立てた仮説でありながら、当たり前のように受け入れる心構えなど到底していなかったためだ。


「た――試せば分かるんだから……うん。本当にあの果実ならいだら千幻樹は消える――消えたら誰かが果実を手にした合図だって昔本で読んだことあるし……」


 呟きながら空を見上げると、夜光石の光を透過しつつ静かに千幻樹が自身を見下ろしている。


 目の前に手を伸ばすだけ。

 ただそれだけの行動にエステルの全身が茹ったように汗を吹き出している。

 震える手を伸ばす。

 自分の意思で動かしておきながら、自分の腕ではないような浮遊感。


 落とさぬよう果実の底に触れる。

 震える指先がさらに果実を握りしめ……ほんのわずかに力を入れて捻るといとも簡単に果実はエステルの手の中に納まったのだ。


「と……――採れたっ!!」


 すぐさま胸元に引き寄せ両手で包み込む。

 そして……果実から目を逸らし天空を見上げた時――


 夜光石の明かりに彩られ、神々しいまでの威厳を放っていた千幻樹。

 その巨大な身は……音もなく消え去っていた。

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