第50話 約束の小円盾

「――――――えっ?」


 エステルたちのように思考を凍らせたエディットをよそに、セキは椅子から立ち上がると自身の荷物を置いてある部屋へと姿を消した。

 再度その姿を現した時、その手には傷が刻まれた小円盾バックラーが握られていた。

 小円盾バックラーをエディットの前に置くと、セキは改めてその腰を下ろし木円卓テーブルの上でその指を絡ませた。


「エディの経緯はエステルたちから聞かせてもらったんだ。だから今度はワッツたちの経緯をおれから話したい」


 ワッツの言葉で唯一頷くことをしなかったその願いを、示した通りに泡へ帰しながら毅然とした態度でエディットと向き合う。セキはエステルたちがエディットに寄せる信頼はすでに理解していた。だからこそ、同じようにパーティを組んでいたであろうワッツたちの話を、曖昧な形で伝えることはできない、そう心に誓っていた。


「何をどう話してもこの話題は落ち着いて聞くなんてできないと思ってた。だからこういう切り出し方になってしまって……ごめん」


 途切れる前の灯りのようにその目を瞬くエディットだが、セキの声を受けるとその顎を引いて答えを示す。


「い、いえ――どんなことでもいいんです。実は……百獣の討伐報告を見てあたしも一言だけでもお祝いの言葉を言いたくてアルトの港を探してたのですが、結局会うこともできなかったので……」


 そのエディットの言葉に一番反応を示したのはセキではない。ルリーテだ。喉まで込み上がった怒声を飲み込もうと、その潤いに満ちていた唇を必死に結び血の気が引いていることは見て取れる。

 どれだけこの子は優しさに包まれているのだろう、そう考えたのはエステルである。どれほど素敵な思い出を持っているのだろう、少し――ほんの少しだけ嫉妬する気持ちが自身の中に芽生えたエステルもまた、その唇を開くことをしなかった。


「おれもカグツチも持ったないぶって話を引き延ばすなんていうのは、創作の物語だけで十分だと思ってる」


 無言で頷くエディットの瞳は鋭さを増し、決してセキから視線を外すことがない。

 セキはその瞳から逃げるようにその瞼を下ろすが、やがて思慮深くゆっくりと開きその視線と向き合った。


「もうワッツたちはこの世にいない。言葉を届けるなら三種さんにんが眠る場所を教えるよ」


 瞬きすら惜しんでいたエディットの瞳は、支えを突如失ったかのように歪みを見せる。

 セキはその一言を皮切りに、ティック村の住民に説明した内容に加え、ワッツの最後の言葉を彼女たちに伝えた。

 エディットは歪みを見せた瞳にその力を注ぎ、ぴんと伸びたその耳は一言一句聞き漏らさぬよう傾けていた。

 エステルはその視線を力無く木円卓テーブルに落としながらも、聞くことを止めるような素振りを見せることは一切なかった。

 ルリーテは一文字に結んだその唇は健在である。伝える人物がセキでなかったならば、その嘘を暴く、とばかりに話を聞くことなく噛みついていたことはたしかだった。だが、話を聞き終えた今、自身が口にした幾多の侮辱を恥じるかのように結んだ唇を震わせていた。


「そこまで……相手を思って行動していたのですね……」


 ルリーテがぽつりと懺悔のように呟いた矢先だった。


「思って……ってなんですか……――かしいじゃないですか……」


 セキの口元へ注がれていた視線は自身の震えるその手を見据えている。自分自身でも抑えることのできない衝動のままにエディットはその口を開いた。


「おかしいじゃないですか! あたしを思ってって……なんなんですか! あたしをなんだと思ってたんですか――ッ!!」


 ワッツたちとの別れでさえ、その感情を芽吹かせることはなかったエディットが、今小さな体躯に怒りを芽吹かせることを厭わなかった。

 その激昂に自身を重ねたセキ。その姿をエディットのために咆えたルリーテを重ねたエステル。

 その体に不釣り合いと言っても過言ではない憤怒の念を、惜しみなく垂れ流すエディットに狼狽えるしかないルリーテ。

 三者三様の思いの中、共通していた事実は沈黙だけだった。


「だって……――だってあたしたちはパーティだったんですよ! ってなんですか! 一種ひとりで抱えきれなくても一緒にその荷を背負って歩むんじゃないんですか! 一緒に歩んで……時には共に命を賭けることだってある――それが仲間なんじゃないんですか!!」


 拭うことすら思考の外に追いやられた今、その向日葵に降り注ぐ雨は悲しいほどに美しい雫となり握りしめた拳へ溶けていく。

 誰もが指先さえも微動だにせずその慟哭を見守る中、エディットが糸の切れたマリオネットのように背中を椅子へと預けた。


「ああ――でもやっぱりルリさんの言う通りでしたよ……あんな――」


 その時。

 エステルがその身を乗り出し、エディットの小さな口から思うがままに解放しようとする黒く塗りつぶした憎悪の念を、その夢現のごとく白い指先が止める。

 そして――瞼を下ろしながらかぶりを振った。


「エディ……思ってしまうのはしょうがない……でも――口にしたらきっとそれは零れてしまう」


 少女の気持ちを支えるものを見据えたように、エステルの吊り長の瞳が射貫く。

 エディットの肩が跳ね、大事なものを思い出したかのように澄ました目が返ると、エステルは心許なげに笑いながらその手を静かに放した。


 その後、手が離れたその小さな口から紡がれたものは言葉ではなかった。もう会えぬ大事なひとを思う叫びにも似た悲痛の哀哭が、皮肉と言えるほどの青空まで響き渡っていた。



◇◆

「エステルがおってよかったの」

「やめて――ほんとやめて。だっておれはエディの気持ちのほうが……」


 カグツチの言葉に耳を塞ぎながら首を垂れる。情けないことこの上ない醜態を晒しているセキ。


「セキはちゃんと伝えてくれたんだからいいよー。そんなことより散々な悪口を吐いてエディをそそのかしてたひとのほうが問題だよ」


 エステルが珍しく皮肉交じりに、目を鋭利な刃物のように突き付ける。


「えー……もうなんというか……わかってます……知らなかったでは済まないことくらいは……」


 しおらしい態度で受け答えはしているが決してエステルのほうに視線を向けようとはせず、姉に叱られた妹らしいことこの上ない状態である。


「いえ……あたしこそお見苦しいところを見せてしまって……で、でもルリさんがあそこまで怒ってくれたのだって正直……救われてたんです。あれがなかったらきっともっと引きずってたと思います」

『チチピッ』


 ほら間違えてたわけではない、とルリーテはひっそりと横目でエステルにやっと視線を移すが、姉の一睨みでその視線と口を取舵から面舵へと淀みなく舵を切る。

 エステルに見えないように、その可愛らしい小鼻と頬を膨らますことで無言の抵抗だけはしていた様子だ。


「それにセキさんには感謝してもしきれません……あたしができることがあればなんでも言ってほしいですっ」

「えっ? なんでも?」

「セキ、顔を輝かせるのやめよ?」

「そんな……セキ様のお望みでしたらわたしに言って頂ければ――」

「ルリ、状況考えよ?」


 セキの脳裏に渦巻いた欲望は、自制心を発揮するまでもなくエステルの一言で強制的に穏やかな波へとその姿を変える。

 頬を赤らめたルリーテの渾身の告白に至っては、セキの心に火を点ける前に消火される始末であった。


「で、でも……やっぱりこのパーティに入ってよかったです。エステルさんが止めてくれたおかげできっと……大事なものを今も持ち続けられたと思うので……」


 エディットの独り言にも近いその呟きにエステルは口角がじょじょに吊り上がり、ほんのりと色づいた頬を緩めていた。


『チピィー……?』


 そこにチピが小円盾バックラーの上にとまり、中心に埋め込まれた石を嘴でつつきながらそのつぶらな瞳がルリーテを捉えている。

 ルリーテもその仕草の意味を図りかねていたが、ふいにその口を開く。


「ダイフク様。昨晩のことをちゃんと覚えているのですね? とてもお利口です」


 すでに愛称がダイフクに変わっているのか、素直にその呼び名を受け入れているチピ。呼び名よりも呼んだ者に問題があったと思う方が妥当である。

 また、昨晩の宴会の際にオマスがしつこいくらいにお礼を述べていた内容を、チピは覚えていたのだ。


「無論覚えておるぞ。あれほどわびしい夜はそうそうないからの」


 静寂という名の心苦しい沈黙の中、脂汗を流し彼女たちは目を逸らす。セキがおもむろにカグツチを摘まみ窓の外に放り投げると、小屋の中に賑わいという名の活気を取り戻した。こやつはほんとに敬意の念というものが……、と目を細めたまま投げられたカグツチ。ルリーテとチピは不安そうにその目を揺らしていたが、


「んっ……んんっ……! それはきっと琥珀ですね。長い年月で樹木や光を浴びて形作られた石です。ですが、購入したばかりということもうかがったので『見える』かどうかはわかりませんが……それでもやってみますか? エディ」


 咳払いで場を取り繕ったルリーテが提案を持ちかける。それはオマスにも見せた石精種ジュピアの詩によって石の記憶を覗くという意味を示していた。

 ルリーテの提案に先に身体を揺らしたのはセキ。煙木タバコに火をつけると席を立った。


「セキ、どうしたの……?」

「良い提案だと思う。でも……おれはちゃんと挨拶できたから」


 そう言い残して部屋を後にする。

 残された三種さんにんはその姿を見送ると小円盾バックラーに目を向けた。


「あの……負担にならないのなら……ぜひお願いしたいです」

「あの……わたしも居ていいかな。エディがどんなひとと過ごしてきたのか、少しでも知りたい……」


 ぜひ知ってほしい、と自慢げにその顔に光を灯すエディット。エステルはその無言の返事を受け取り緊張からか少しだけ唇を噛みしめた。


「それでは、心の準備は良いですか……?」

「はいっ」

「うん、お願いルリ」

「チピッ」


 ルリーテは木円卓テーブルの上でその姿を晒す小円盾バックラーの中心に埋められた石。琥珀に手を添えると静かに力強くその詩を詠んだ。


「〈記憶の下位風魔術メモリア・カルス〉」



◇◆

「見んでよかったのかの?」

「ああ。どこが見えるのか分からないけど、きっと強烈な記憶から引き出されるならきっとワッツあいつの最後になってしまうんだろうし」

「立派な最後だったの」

「うん。立派すぎて一度見れば十分だよ。正直きつい」


 隣接する小屋同士の合間に生える木々にその背中を預け頭の上に乗ったカグツチと共に空を見上げるセキ。

 風も弱く雲一つ見えぬ青空をセキの吐いた煙が物悲し気に彩っていた。



◇◆

 その記憶が見せた最初の場面は、三種さんにんの探求士が目を輝かせながら盾を手にする場面だった。

 「これにしよう!」その姿を俯瞰する少女三種さんにんの脳裏に声が響く。

 少女の胸に抱かれる白い小鳥にも届いているのか声を上げることなくその目を向けている。

 それは少女にとって懐かしい声だった。

 手持ちのコバルと盾の値段へ何度もその目を向けては、その身に宿す水分を全て汗として放出しているガラン。

 もっと可愛い盾のほうが似合ってる、と少し頬を膨らませるリンネ。

 聞く耳を持たず少年のようにその顔を輝かせ会計場所へ走るワッツ。

 ただそれだけの行動でエステルとルリーテは少女とこの三種さんにんの探求士の絆の深さを痛烈に思い知ることとなった。


 だが直後にルリーテの表情に陰りが表れると同時に場面が変わった。

 発芽ジェルミ級探求士にとって死神とも言える存在、火眼獣ヘルハウンドと相対する姿を浮かび上がらせる。

 お世辞にも善戦とは言えないただの一方的な蹂躙劇の始まりだった。それでもエディットはその惨劇から目を背けることをせず、大切な仲間の最後の雄姿をその目に刻み込んでいく。

 見慣れた青年が割って入り、直後に起こった事実が青年の語る言葉とは異なることを知ってなお、それを見る少女たちは表情を曇らせることもなく、偉大な探求士たちのその姿を見届けていた。

 ワッツが全てを青年に託しその生涯を終えた時、琥珀はその輝きを潜めほんのひと時の思い出の時間は終わりを迎えることとなった。


「セキさんは信用できませんね……とっても噓つきさんです……」


 座っていた席からその身を立ち上がらせながらエディットが呟く。すでにその瞳には、大粒の雨を宿しはしているものの頬が緩んでいた。


「うん。困ったものだね。昨日聞いた時に驚いてたからバレるなんて思ってなかったんだろうね。でも……ワッツさんの言ったことは一言一句正確だった」


 そういい放つエステルの閉じた瞳は目元が和らいでいる。


「最初の場面。とても嬉しそうでした。まるで自分のことのように喜んで……」


 ルリーテはワッツたちの綻ぶ笑顔を思い出すように、琥珀を指先で撫でている。


「はい……ほんとに家族のような……素敵な……大事なひとたちでした……」


 立ち上がったエディットが、木円卓テーブルの盾へと手を伸ばす。震えるその腕で持ち上げると、両手で抱きしめるように抱えその場に崩れ落ちた。

 しだいに部屋に微かに漏れるすすり泣きの声に、エステルとルリーテは何も言わず部屋を後にする。

 小さな手で力いっぱい盾を抱きしめ、忍ぶように泣くその声が嗚咽に変わる。

 その姿を見ていたのは白い小鳥と窓の外で漂う煙木タバコの煙だけだった。

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