第49話 暗精種

「知っておるかの。うさぎは寂しいと死んでしまうということを」

「知ってるさ。それは嘘だということを」


 オカリナに戻ってきた四種よにんと一匹を迎えたのは一割の怒りと四割の寂しさと五割の空腹という感情に支配されたカグツチだった。


 エステルとルリーテは口が裂けても忘れていたとは言えず、その目を海ではしゃぐ子供のように泳がせていたがセキにそんなものは通用しない。おまけに、お前はうさぎなんて可愛いものでもない、と慣れたものである。


「――えっ……ちょっ……精獣様ですか!! ご挨拶が遅れました! この度このパーティに加入させてもらうことになったエディットといいます。」

「ファファッ……我はカグツチだの」


 頭が取れそうな勢いでお辞儀をするとその頭に乗っていたチピもカグツチのいる木円卓テーブルへ羽ばたいていく。

 その様子を好奇心で満ちた目で見つめるセキ。


「ん? お主はエディットの使役獣かの? 体躯サイズといいその色といいダイフクみたいだの」


 セキの口角が吊り上がる。出会った時と同様の軽いノリで昨晩の宴会でも感想を口にしたセキはチピの嘴をその額に深々と突き立てられていたのだ。その後エディットにこれでもか、というほどにチピは叱られていたが。


『チ~……チッピィィィィ!!』


 その背に決して曲がることのない芯を通したように伸ばした体、翼を顔の横に添え偉大な指導者への敬礼かのごとくカグツチに敬意を示す。


「ファファッ! なかなかよい心がけだのぉ……我を忘れていった者どもとは面構えが違うの。名前はダイフクでいいのかの?」

『チピ!』


 カグツチの言葉にあっさりと承諾の意を示したチピに釈然としない思いから胸を掻きむしるセキ。

 そのばつの悪さからか黒石茶を黙って淹れ始めているエステルとその手伝いに精を出すルリーテは作業中も下を向いたままだった。


(納得いかねえ……)


 ひとしきりカグツチの我儘をいなしつつ、エステルの淹れた黒石茶を味わう。精獣と勘違いしたエディットが想像以上に興奮していることに一同は目を見張ることになる。

 場の空気が落ち着いた頃を見計らったのかエディットが姿勢を正し咳払いをする。


「あの……パーティに加入したからにはお伝えしたいことが……特に……章術士であるエステルさんには……」

「う――うん。そ、それならわたしも伝えないといけないことがあったことを嬉しすぎて忘れていて……」

「あ、エステルさんの言いたいことは白霧病ですよね? あれだけ一緒に過ごしていれば癒術士として気が付きます」


 エステルの病気にも気が付いていたが気にする様子を見受けられない。


「あ……うん……それならよかった」

「はい、病気は闇雲に恐れるのではなく正しく恐れることが重要ですから。白霧病は感染しない。これは何種なんにんもの方の犠牲の上で証明されているれっきとした事実です。なので必要以上に怖がることはその犠牲になった方たちへの侮辱にすらなると思っています」


 癒術士であり薬術にも長けたエディットの説得力のある言葉に深く頷く一同。カグツチまで釣られて頷いている状態である。


「えっと……それで結果として隠していたこととなってしまうのですが……」


 エディットはその手を自身の耳にあてる。ぱちっと留め具を外すような音と共にその緋色の髪の隙間から出てきたのは受精種エルフ系特有の『葉のように尖った耳』だった。

 この耳は元々が受精種エルフは広い草原で暮らしを営む種族であったため、自分たちを狙う敵から身を守るため、微かな物音でも判別できるように発達したものと言われている。

 その場の全員が等しく目を見張り、言葉を発さずとも口が開いている。


「あたしは暗精種ダークエルフです」


 エディットの告白にエステルとルリーテの思考が凍る。セキも同様に思考に空白を刻んでいるが理由は二種ふたりとは異なる。

 暗精種ダークエルフは『魔性の種族』とも言われ、現状では他の受精種エルフ系種族よりも個体数が少ないため見かけることは珍しい部類に入る。

 エディットは少し居心地の悪そうな空気に落ち着かない様子で指を動かしている。

 だが、


「あ……暗精種ダークエルフを初めてみたことに驚いただけでわたしにとってエディはエディだよ?」


 エステルも先にエディットが答えたように本心をぶつける。


「えと……エステルさん章術士ですよね。だから……」


 その言葉の意味をすぐさま察したのかエステルは手に持っていたカップを置くとその身を乗り出し気味に木円卓テーブルへ近づける。


「――え、黒衣の魔女ダークウィッチの話かな……? あの事実は悲しいけどそんな過去の話と暗精種ダークエルフを結び付けたりは――」


 ルリーテは事情を把握しているように見守っているがセキはまたも置いて行かれている状況である。

 ここを看過することは得策でないと感じたセキは二種ふたりの話へ割って入る。


「え~っとごめん。黒衣の魔女ダークウィッチってどういう話なの?」


 セキの質問に沈黙を貫いていたルリーテが口を開く。


「はい、過去に実際にあったことなのですが……簡潔にいいますと――」


 その言葉に視線が集まったことを察したルリーテは淀みなく言葉を続ける。


「今からだと……千年近く前の話になります。魔女と呼ばれた章術士が暗精種ダークエルフと手を組んで大陸を荒らしまわったという話なんです」

「はい、そして暗精種ダークエルフたちは討伐され生き残った者も北大陸キヌークに追いやられました。そしてそれを先導したのが黒衣の魔女ダークウィッチという章術士であり、そのことで章術士さんたちの立場がひどく悪くなったというお話です」


 ルリーテの説明に続けてエディットが補足する。


「うん、だからやっぱり今のエディとは種族が一緒であれどそんな気にすることじゃないかな。悪いのはその当時の魔女と暗精種ダークエルフなんだから」

「はい、これがの通説ですよね」


 エディットの含みのある一言に否が応でも耳をそばだてることになり、三種さんにんは喉を鳴らす。

 木円卓テーブルに置かれた黒石茶はその香りを振り撒くように立ち昇らせていた湯気をすでに失っている。


「当事者である暗精種ダークエルフに伝わっている話なので都合のよい改ざんなのかもしれません。でもあたしたちに伝わっている話は一部の明精種ライトエルフたちから弾圧を受けた暗精種ダークエルフたちを守るために魔女さんは戦ってくれたという内容なんです」

「真逆……?」


 エディットの話を訝しむように眉をひそめるルリーテ。だがエステルの表情は変わらずなおもエディットをその瞳で見据えている。


「だから……その言いたいことがうまくまとめられないのですが……」

「うん。解釈の食い違いで意見がぶつかっちゃうかもってことだよね? この場合、魔女もたしかに章術士の中でも文献の中でも散々な言われようだけど……」


 喉の渇きを癒すかのように冷めきった黒石茶に手を伸ばす。波紋を広げるカップ内に視線を落としながら大きく息を吐くとエディットへその目を向ける。


「でも……やっぱり今この場にいる暗精種ダークエルフであるエディを色眼鏡で見る理由にはならないと思ってる。わたしたちはそんなエディを見て一緒に冒険をしたいって思ったんだから――でも話してくれてありがとう」


 種族の話というものは往々にして過去の行いや他人の定規で測っただけの印象イメージで語られることが多い。

 だが、印象イメージだけで勝手に自身を語られることの辛さは白霧病の感染者キャリアのエステルは身をもって体験している。

 だからこそ種族という印象イメージではなく、エディット自身を知った上で共に歩みたいと思った以上、今さら種族が暗精種ダークエルフであろうとエステルの気持ちが揺らぐことなど決してなかった。

 どちらの話が真実なのか。それは現時点ではどちらにもわからない。だが、こうして話し合いの場を持てることで共に歩む道を探っていけるとエステルは考えていた。


 エステルの言葉に幼い瞳を潤ませるエディット。先ほどまで握りしめていた拳もすっかり力が抜けたようで木円卓テーブルの上で静かにその指を絡ませている。

 その場を見守っていたセキも和らいだ表情で心なしか口元も弧を描いているように見えた。


「はい……ありがとうございます……! あたしも一緒に頑張っていきますので!」

「あはっ。こちらこそ! でも……やっぱり誘って正解だった! わたしがエディの年くらいの時はそんな難しいこと考えずに走り回ってたし……」

「へ? あ、そうだ。忘れてました。あたしは三十三歳です」


 その場にいた全員が席を立つと椅子が背後の壁に激突する音が響き渡った。暗精種ダークエルフと告げられた時よりも激しいその反応に怯えるエディットの姿があった。


暗精種ダークエルフって魔力形成優先で身体の成長は遅れるっていうけどそんなに遅れるの……? 村にもいたけど子供は半血種ハルプしかいなかったからなぁ……」


 故郷の村等で純潔の暗精種ダークエルフを見たことがあるセキだが、すでに立派に成長した姿しか見たことがなかった。他の種族と子供を作った場合だとまた状況も変わってくるため、ここまでの差があるとは思ってもいなかったのだ。


「はい。だいたい身体つきが変わってくるのが三十五を過ぎたくらいですね。それで六十くらいまでゆっくり成長していきます、それに心も体の成長に結構引っ張られるみたいで……明精種ライトエルフとは反対と思ってもらえれば……」


 魔力の成長を優先させる種族特性のため、感受性を十分に育みながら肉体ではなく魔力を充実させる、とひとは言うが、実物を見てもなお信じられないというのが各々の本音でもある。


「うん……だって周りからするとどうしても背伸びが上手な子供に見える……」


 あまりの唐突かつ特大の衝撃に呆然としながら普通に失礼な言葉を重ねるエステル。


「なるほど……『魔性の種族』と言われる所以が今わたしの中で腑に落ちました……」


 ルリーテもエステルと同様に話す内容の吟味ができていないことが聞いて取れる。


「あ~でもちょっと納得かも。だから暗精種ダークエルフって使術士が多かったりするんだよね? 自分が戦うというよりも肉体魔力アトラを魔獣に供給して――で、ようするに魔獣と契約をしてその成長を守るみたいな」


(胸は完熟だったけど、ここで言ったらパーティ追い出されそうだ……)


「はい。その傾向は強いです。今は国や町で暮らしてれば身を守る術はありますが、もともと森や自然で暮らしている時は肉体が成長しきる前に魔獣等に襲われることも多かったので」


 エディットの体術をその目で見ている三種さんにんにはいささか説得力の欠ける説明である。

 使術士とは精霊ではなく、実体を持つ魔獣と契約する術者を指す言葉である。その際に契約した魔獣を『使役獣』と呼んでいる。

 術者は肉体魔力アトラを供給して使役獣を強化して戦う術者や、本種ほんにんと使役獣の両者で戦う術者などが存在する。


「あれ、ダイフクは使役獣じゃないって認識であってるよね? そもそも魔獣でもないし」

「はい、チピはまだ北大陸キヌークにいた頃、森で怪我しているところを助けたらなついちゃってそれ以来の相棒パートナーですね」

『チピーピ!』


 エディットは、伝えたいことは言い切った、と言わんばかりに息を吐きながら肩の力を抜いた。

 その表情を見たセキはおもむろに顔を俯けた。周りの者に気が付かれないよう瞳を力の限り閉じ歯を食いしばる。

 だが、ピースのはめどころに悩んでいたはずのパズルは思いがけぬ形で完成してしまったのだ。ならば伝えるしかない、セキはゆっくりとその目を開く。


「そしたらエディからおれたちへの話も区切りがついたようだし……えっと――エディ……二種ふたりで話をしたいんだけどいいかな?」

「――へ? どのようなお話かわかりませんが、あたしはみなさんと一緒に聞いても構いませんが」


 セキ同様にエステルとルリーテの表情も自然と引き締まっている。それは出会った時に騒動の原因となった話だということを瞬時に悟ったからだ。

 セキは唇を噛みしめながら熟考するようにその目を閉じる。決心したセキがその目をもう一度エディットに向けその重い口を開いた。


「うん。ワッツから預かっているものがある」

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