第61話 鍛冶街へ その2

「それじゃー出発しましょー! もうあたしたちを妨げるものは何もないわっ!」


 翌朝、光星が輝きだした時には既に全ての準備を終えていた三名。

 昨日は宿に戻り消耗品等の買い出し物をお互いに確認するや否や寝台ベッドに直行したため、睡眠時間も十二分に確保できておりハープ西から走行獣レッグホーンで駆け出した所であった。

 ハープから西は岩石地帯が続くため歩いた場合、数時間かかる見込みであるが、単独騎乗用の走行獣レッグホーンである『ゴートホーン』ならば、かなりの時間短縮が望めるとの算段だった。


「急ぎつつも周囲の警戒は怠らないようにしよう!」


「ええ! 任せておいて! あたしは探知に集中しておくようにするから道のりの誘導をお願い!」


「了解! 僕が最後尾に付くのでブラウ先導よろしくね!」


 普段のクエストの数段階上の集中と連携である。夜を避けたとはいえ、ここは南大陸バルバトス、町に近いとはいっても、いついかなる魔獣と遭遇するかは分からないのだ。


「……〈方角の中位水魔術レギオ・ミルライザ〉」


 クリルの両手の上に水の魔布キャンパスが現れる。自身を中心として周囲を索敵する魔術であり、現状では近場に魔獣を示す水滴は見受けられなかった。


「今は問題ないわ! ここから南に少し反応があるけど、まだまだ遠いから出会うこともないわ!」


 クリルの言葉にブラウは口角を吊り上げながらゴートホーンに手綱を入れる。

 周囲に魔獣がいないのならば、のんびりと向かうような気持の余裕は持ち合わせていないのだ。


 砂埃を巻き上げながら岩石地帯を走り抜けていく。ブラウたちは何度か鍛冶街に足を運んだことはあるが、このように走行獣レッグホーンで駆け抜けることは初めてである。

 徒歩での移動の場合は合間合間に休憩を挟みつつのため、時間もかかるがそれ以上に魔獣との遭遇も少なくはなかった。

 だが、天も三種さんにんの魔装を祝福しているのか、現状魔獣との会敵は一度として起こっていない。

 見覚えのある巨大な岩が視認できる。この巨大な岩を超えればもう鍛冶街までは草原を走り抜けるだけである。

 さらにブラウが速度を上げようとしたその時だった。


「――待って!! 待って待って待って待って! ほんとに止まって!!」


 ただ事ではないことを聞く前に理解できるほどにクリルが声を張り上げた。ブラウとゴルドも急停止するといち早く止まったクリルの元へ近寄る。


「何よ……これ……こんなの見たことないわよ……」


 普段の朗らかな笑みが一切消え、遠目からでも分かるほどに顔色から血の気が失せ、その表情は蒼白という呼び名が相応しいほどに青ざめている。

 艶やかな唇が絶え間なく震えその振動が伝染したかのように震える指先が水の魔布キャンパスを指し示す。

 その指先が示した場所には水滴と呼べるものではない、水の塊が鎮座していた。


「何がいるか気掛かりだが、興味本位で見てただで済むようなものではなさそうだ。迂回して鍛冶街に向かおう……」


「そうだね……時間はかかりますが海辺沿いを進もう。鍛冶街に付いたらこのことは駐屯兵に伝えて危険を知らせないと……」


 先ほどまでの弾むような鼓動の高鳴りは一転して絶望へのカウントダウンへと早変わりしていた。


「やだ……嘘でしょ……二匹いるわ……しかもこっちに近づいてきてる……」


 その愛らしい瞳は、すでに魔布キャンパスに描かれた水の塊にも負けないほどの大粒の涙を蓄えている。


「逃げるぞ、モタモタするな!! 来た道よりも海辺沿いのほうが走りやすい! 北東へ向かって進めぇー-!!」


 信じられない状況と突然襲い掛かってきた緊張に、からからに乾いた喉をブラウが必死に震わせる。同意の声を上げる間も惜しいのか、クリルとゴルドも手綱を入れ一目散に走り出す。

 先ほどまで鋭角に避け気になりもしなかった岩が、まるで自分たちの行く手を遮っているような感覚にさえ陥っている。

 ブラウたちの緊張はゴートホーンにも伝わっているのか、ここまで乱すことのなかった息を荒げながら海沿いへと疾走していた。


「嘘よ……!! なんなのよ! 二匹とも向きを変えてこっちにきてる……」


 クリルが手綱を血が滲むほどに握りしめ、その顔がゴートホーンの首へ項垂れかかる。ブラウが背後を見ると遠目に砂埃を視認し、クリルの勘違いという淡い期待さえ簡単に打ち砕かれていた。

 ゴルドも祈るように目を閉じながら一切の速度を緩めずに進んでいた。

 しかし、不運は重なるものである。

 突如として先頭を走っていたクリルの前方の砂が盛り上がりを見せる。さらにその砂のシャワーから這い出てきたのは『老蠕虫エルダーワーム』だった。


「――え! きゃああっ……!!」


 下から突き上げられる形でゴートホーンと共に背後へ吹き飛ばされるクリル。名前の響きとは裏腹に『巨蠕虫ジャイアントワーム』を超えるほどの巨躯まで成長した老練な蠕虫は、その貪欲な口を惜しみなく開け広げ歓喜ともとれる鳴き声をブラウたちの耳へと響かせた。


「くそっ……! こいつは振り切れない片付けるしか……!」


「クリル!! 怪我は……!」


 『老蠕虫エルダーワーム』はこの岩石地帯の他にも生息地域は多岐に渡るため、ブラウたちも討伐経験はある。だが、問題なのは討伐にかかる時間だ。冷静に戦えば順当に倒してきた相手とはいえ、今はそんな状況ではない。

 ブラウが背後に一瞬の視線を向けたその時。

 老蠕虫エルダーワームは、その消化液を無残に垂れ流す口から砂粒をふんだんに含んだ魔力の塊を吐き出した。


「しまッ――」


 背後に危機が迫る中とはいえ、目の前に捕食者として立ちはだかった魔獣から目を逸らすという致命的なミス。

 砂地に投げ出され尻もちを付いていたクリルを庇うようにその体で覆い隠すゴルド。少しでも致命傷を避けるために腕を十字に耐える構えを見せるブラウ。



 ――だが、その魔力の塊は足元から一気に突き出すように生えた巨岩の壁にあっさりと阻まれることになった。


「な、なんだ……これ……壁……?」


 呆然と目の前に現れた岩の壁を見上げるブラウ。そこに光星の光を受けた一つが影が浮かんでいた。

 思わずその影の正体を確かめるべく、振り向いてしまったブラウ。


『グルルゥ……』


 後方の岩場の上で静かに唸る一匹の魔獣がいた。


 大きさを抜き、姿、形だけで言えば四足歩行の獣たちと似ているが、焼け付くような視線を送り出す鋭利で容赦のない瞳、それ以上に存在感を醸し出している巨大な顎には湾曲した鋭い犬歯、骨すら容易に噛み砕く巨大かつ頑強な臼歯と切歯が生えており、どれもが非常に大きく強靭にできていた。


 その牙に見劣りしない鋭い爪は己が立つ岩場に深々と食い込んでいる。焦げ茶色の毛が体を覆うように生えそろっており毛の一本一本にさえただならぬ魔力が纏わりついていることが一目で理解できる。

 その魔獣はブラウも初めて出会った魔獣だが、見間違えるはずはなかった。先日の『火眼獣ヘルハウンド』など、千匹いてもなお足りぬ、出会ってはいけない魔獣。


 『断爪破獣アンドルクス


 極獣に次ぐ『恐獣』に分類されるその魔獣は大断崖を主に生息地域としており、南大陸バルバトスの探求士でも実物を見た者は数えるほどである。

 こうして不幸にも断爪破獣アンドルクスを見かけた以上、ブラウの脳裏に浮かぶのは自身の死という運命だけだった。


 その強者の貫録が滲み出る立ち姿に全身の力が見るも無残に抜けきった時、ブラウたちの頭上を一陣の風が吹き抜けていった。

 その風はブラウの前に生えていた巨岩の壁を容易く突き破り、その奥に待ち構えていた老蠕虫エルダーワームを易々と貫いた。



 勢いのままに引きずられていく老蠕虫エルダーワームは、その巨躯が摩擦で引き千切られその生涯をあっさりと終えることになる。


「なんなんだよ……悪い夢なら覚めてくれ……!!」


 それは風ではなかった。その特徴的な角を振り息絶えた老蠕虫エルダーワームを放り投げると、ブラウに向き合うように嚙砕破獣アンドルクスに劣らぬ巨躯を翻した。


 『穿角貫獣リケラクス


 断爪破獣アンドルクス同様に恐獣に位置付けされる魔獣である。


 口先は鳥類のくちばしのように尖っており、身体を覆うのは毛ではなく重厚な赤みがかった輝きを放つ鱗と言っても差し支えないほど頑強な皮膚である。

 根元からその切っ先にかけて強く湾曲した鉤爪は地を掴むためなのか、それとも獲物を引き裂くためなのかは定かではない。

 そして何よりも特徴的なのは頭に禍々しく広げられたフリルとその額から悍ましく突き出した三本の角である。

 恐獣一匹でも最上級の星団が総掛かりで倒せるかどうかの相手が、この無力なパーティの前にその姿を二つ晒していた。


「どうして……さっきまであんなに順調だったじゃない……なのに……どうして……?」


 すでに止め処なくその瞳から泉の如く湧き出る涙を止める術はない。

 何がいけなかったのか、どこで間違えたのか、そんな思考だけが頭を目まぐるしく駆け巡り逃げるという思考さえ放棄した状態だ。


「こんなの……ありえないよ……恐獣が……こんな町近くに二匹も……」


 降霊詩を詠むということさえ思考の隅どころか、その居場所を無くしていた。仮に詠めたとしても一切の状況の好転にならないことは確実ではあるが――。


 穿角貫獣リケラクスが絶望への一歩を踏み出す。地震が発生したかと錯覚するほどの振動とともに一歩、また一歩とその巨躯がブラウたちへ近づく。


「――あ……ああ……セキすまん……せっかくの好意を無駄に……。クリル……ゴルド……と、とにかく後ろに逃げろ……」


 力無くその場に立ち上がったブラウが辞世の句として選んだ言葉は、快く魔装の提供をしてくれたセキへの感謝と仲間への言葉だった。

 クリルとゴルドはそれでもなお身動きが取れない。震えるその身を抑えるだけで精一杯だ。

 穿角貫獣リケラクスの角がゆっくりとブラウへと迫った時、ゴルドはクリルの上に被さり、ブラウは天を仰ぎその瞼を力の限り下ろすことしかできなかった。


『ヴヴォウ……』


 その角が触れることはなく、ブラウの胸元に鼻先を近づけていた。鼻息が当たっていることが分かるが、何をしているのかが一切理解できなかった。

 硬直から解き放たれたブラウが片目を恐る恐る開けると、穿角貫獣リケラクスがその首を傾げている。

 

『グルルゥ……』


 岩の上でその様子を見ていた断爪破獣アンドルクスも同様に首を傾けるように捻っている。


『グルォ……』

『ヴォウ……』


 二匹の間でどのようなやり取りが成立したかは定かではない。


 だが、断爪破獣アンドルクスはその岩から元来た道へと跳び、穿角貫獣リケラクスもその後を追うように地響きを奏でながら駆け抜けていった。


 その後、小一時間三種さんにんはその去っていった跡を漫然と見つめ続けていた。安堵の言葉を口にすることも緊張から解き放たれた絶叫を吠えることもなく、ただただ静かに時が刻まれていた。

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