3.1章 閑話 ブラウ奮闘記

第60話 鍛冶街へ その1

「いや~やっとハープに帰ってきたな~……」


 夜空で優しく輝く光星に向かって伸びをする男は、口調とは裏腹に目はギラついていた。


「さっそく鍛冶街へって言いたいけど……遅いし明日よね? 夜道で魔獣に遭遇なんて普段でも嫌だけど、今はなおさらよ!」


 はきはきと喋る女性は逸る気持ちを抑えきれないといったように目を輝かせながら語り掛ける。


「クリルの言う通りだね。もう今すぐにでも出発したいけど、一泊してから走行獣レッグホーンで向かうほうが僕もいいと思う。どうかな? ブラウ」


 ここは南大陸バルバトスの入口とも言われる港町『ハープ』。

 ブラウ、クリル、ゴルドの三名はセキと別れた後の護衛を無事に終え、町に降り立ったばかりだった。

 もちろん三種さんにんの頭の中は魔装一色であり、他のことを考えるゆとりを一切持ち合わせていないことが明白であった。


「ああ、もう緊張で手が震えてるがこういう時に限って出会っちゃいけない魔獣にあったりする話はよくある……一泊してから向かおう!」


 三名は名残惜しそうに西の方角を見やるが、歯を食いしばりながらその涙が溢れんばかりに浮かんだ目を逸らす。


「ハープなら宿はいつもの所でいいわよね? あたしが宿は取っておくから、バラけて消耗品調達しちゃわない? もうほんとに明日は朝一番に出発したいわ。夕食は~……ご自由にって感じで?」

「大賛成! 僕も薬を補充したいと思ってたしね。それに夕食みんなで食べてても上の空になっちゃいそうだろうし、僕も調達の隙間時間に食べて宿に向かうよ!」


 クリルの提案にゴルドは手を挙げながら賛成の意を示す。


「ああ! 俺も賛成だ! それなら俺は紹介所に行って走行獣レッグホーンの手配をしておく! あと、ゴルドの言う通り食事にすら集中できそうにない……俺も食べてから向かうようにしよう!」


 今を急いでも早く朝が来るわけではない。だが、じっとしていられるような状況でもないことは三名の共通の認識である。

 予定を決めたブラウたちは足早にその場から散り、各々の目的地へ駆け出していた。



◇◆

「てめぇ~……!! もういっぺん言ってみろ!!」


「何度言っても変わらねえだろ? 精選期間の守護に応募なんざ南の探求士がするもんじゃねえんだよっ。お前もそう思うだろ? シグ~」


「ギャハハッ! あんまり虐めすぎるなよ~? 応募が少なすぎてギルドに怒られちまったらおっかねえぜ~? ギャッハハハッ!!」


 クエスト紹介所に併設されている酒場では、普段の喧騒に包まれた雰囲気とは異なる緊張感が漂っていた。


 精選期間中は、中央大陸ミンドールの探求士がこぞって南部に集中するため他の地域が手薄になる傾向が強い。

 精選を管理する国が自国の騎士を派遣はするが、それとは別にギルド側から報酬付きで町の守護探求士の募集も行われるのである。

 この守護探求士の応募はなかなかの報酬ではあるが、南大陸バルバトスに居る探求士がこの募集に応募した場合、往々にして小馬鹿にされる傾向がある。


 そしてまさにこの酒場でも同様の事態が発生したということが、事の発端であった。


「おいおい震えてねえで剣でも抜いたらどうなんだ? 睨めっこしてえわけじゃねえんだろ?」


「ギャハ! バルガ~おめーのほうが虐めすぎじゃね~か~? 俺たち『風の牙虎ヴィントティガー』と事を構える覚悟なんざあるわけねーじゃね~か~」


 数ある星団の中でも抜きんでて強い星団はいくつか存在する。そして現状でもっとも強い星団と問われた場合に必ず名が挙がる星団の一つ『風の牙虎ヴィントティガー』。


 その所属団員の一種ひとりである、『バルガ』。

 夜叉種ヤグル特有の恵まれた体躯。頑強な額の上に乱れ逆立ったダークブラウンの髪。自然体でなお、他種たにんを蔑むその口に見合った貪欲な表情はそのぎらついた瞳により一層の畏怖の念を際立たせていた。


 隣に立つは同団員である、『シグ』。

 バルガ同様に夜叉種ヤグルであることが一目でわかる体躯、ダークブラウンの髪を生え際から後ろへ流し、耳より後ろでは、少し広がって肩に触れる程度にかかっている。

 バルガの目とは異なる、ひとを小馬鹿にするような驕慢な光をその瞳から射出いだしていた。


 共に軽鎧ライトアーマーに加えて手甲ガントレット足甲グリーブを身に着けており、そこらで買えるような安物とは一目で見分けがつくほどの重厚な輝きを放っている。


 二名の夜叉種ヤグルが放った言葉は非常ながらも真実である。

 守護探求士に応募する探求士は高くて花芽ラワード級であり、多くは本葉トゥーラ級探求士である。

 それに引き換え『風の牙虎ヴィントティガー』は探求士ランクの最上級である開花アペル級を複数名抱えている強力な星団なのだ。

 並の星団では歯が立たないことは明白であった。


「おい! 言いすぎだぞ! 守護探求士だって立派な探求士の仕事だろ!」


 そこへクエスト紹介所の受付で走行獣レッグホーンの手続きをしていたブラウが騒ぎを聞き駆け付けた。


「ギャハ! 今度は『掃除屋』のブラウさんじゃないですか~! いまだに本葉トゥーラ級でしたっけ~? 弱い魔獣ばかりせこせこ狩りにいく『掃除屋』さんじゃ~しょうがないですかね~?」


「馴れ馴れしく話しかけんじゃねえよっ……! 精選の同期だからっててめーと俺たちじゃ天と地の差があるってことを忘れんなよ?」


 酒場の入口から叫んだブラウに威圧感と共に歩み寄るバルガとシグ。


「おい! オレも同意見だ……!」


 そこにカウンターで飲んでいた一種ひとりの探求士も立ち上がる。

 立ち上がった拍子に足元に置いていた二つの盾が音を立てて倒れることも意に介していない。


 男はブラウを超える長身に引き締まった肉体。後ろへ撫で付けたように流した灰色の髪が堀の深い彫刻のような顔立ちを際立たせている。

 鼻筋も凛々しく通ったその端正な顔は怒りという色に染め上がっていた。


「グレッグ……? お前もいたのか……!」


 『グレッグ』と呼ばれたその男はブラウの隣に歩み寄るとバルガとシグに向き合った。顔をやや俯き気味に傾けてはいるもののその視線は二種ふたり夜叉種ヤグルを捉え続けていた。


「なんだぁ~? 今度は『死神』様のお出ましか~? まだ盾術士なんつーカビの生えたもんにすがってる時点で眼中にないって気付けや?」


 ブラウとグレッグが睨みつけるも怯む気配など見せず、無遠慮に距離を詰めるバルガとシグ。

 次の瞬間にブラウとグレッグは腹部を蹴り飛ばされ、酒場入口の扉を自身の体で突き破っていくこととなった。

 扉を突き破った先にいた男にぶつかる矢先、なぜか二種ふたりはその蹴り飛ばされた勢いの一切がなくなり、その両足で地面に着地する。


「なんだお前らは?」


 安堵も束の間。背後からかけられた声にブラウとグレッグが同時に振り向くとそこには、足の甲から角を生やした夜叉種ヤグルの男が立っていた。

 グレッグと同等の背丈だが、その鍛え抜かれた肉体は筋肉質なグレッグよりもさらに分厚く、その黒髪の下に持つ秀でた眉と瞳から発せられる圧倒的な威圧感。

 靭く通った鼻筋ときつく結んだ口元が風格を漂わせている。

 武器を身に付けている様子は見受けられず、肩にかけた小汚い荷袋に目をひかれた。


「い、いや――すまない。いざこざに巻き込むつもりじゃなかったんだ」


「ああ、こっちのドタバタだ。お前さんに何かしようとしたわけじゃない。すまねえ」


 そんな言葉を交わしている間に二種ふたりを吹き飛ばした張本種ちょうほんにんであるバルガが店の中から悠長に歩み出てくる。

 二種ふたりの姿を目の前にして、しゃくり上げるような不快な声が絶え間なく洩れている。


「ヒヒヒッ……軽く撫でたくらいでぶっ飛んでくとはなぁ~。少しくらい意地を見せたらどうなんだ~?」


 歪んだ笑みを向けるバルガだが、その二種ふたりの背後に立つ夜叉種ヤグルの男へと視線を移す。


「お前が俺に用があるのか?」


 男はバルガの視線を避けることなく、真っ向から視線を交わす。一切の怯みどころか、先程まで結んでいた口元が僅かに弧を描き始めてるようにさえ見えた。


「ヒヒッ……お前のように小汚い夜叉種ヤグルに用があるわきゃねーだろうが……まぁ歯応えもなさすぎて興が削がれちまったなぁ~おい! シグ!」


「ああ。こ~んな辛気臭え所で酒なんて飲んでられねーぜ! 次の店で飲み直そうぜぇ」


 睨みつける二種ふたりに、声どころか一瞥もせずに歩き出す。ブラウとグレッグはその後ろ姿を見てなお、歯を軋ませ拳を握りしめるしかできない自身に苛立ちを覚えるしかなかった。


「結果的に場を取り持ってもらった形になったかもな。重ね重ねすまない。礼を言うよ」


 ブラウが我に返り、黒髪の夜叉種ヤグルへ向き直した。


「――フンッ……事情は知らんがあの程度の男に小突き回されるなら、この大陸で探求士なんぞ止めておけ」


 男はそう言い放つと扉が破られた酒場へとその姿を消していった。


「なかなか痛快な言葉をもらっちまったな……ブラウ」


「ああ、前回の精選からここまで差を付けられてるなんてね……」


 溜め息を吐き出しているかのように呟いた言葉はようやく取り戻してきた喧騒にかき消されていく。


「まぁこんな所で再会したのも縁だ。良かったら飲み直さないか?」


「ああ、だがお前――クリルとゴルドはどうした……?」


「ああ……、今日は夕食も含めて自由行動なんだ。だから二種ふたりも今、消耗品の買い出しや夕食を好きに食べている頃だろう」


「そういうことかっ。それなら付き合おうじゃねーか。さっきの今で腸は煮えくりかえってるんだ。酒で収めるのも悪かねえ」



◇◆

 二種ふたりが酒場へ入り席を見渡すと先ほどの男もカウンターに向かっていた。


「おい、これで何か食えるか……?」


 夜叉種ヤグルの男は、衣嚢ポケットから薄汚れたコバルを取り出す。遠目に見ても十コバルにも満たないまさに端数だ。

 カウンターの中にいた適受種ヒューマンの男は白い目で男を見ている。


「そんなんじゃ、つまみ程度か酒一杯ってとこだ」


 呆れ顔を向ける適受種ヒューマンに視線を向けることもなく、取り出したコバルを衣嚢ポケットの中へ仕舞いカウンターに背を向ける。


「よかったら俺たちと一緒に食事はどうだい? さっきの詫びと礼を兼ねてこちらが持つよ。まぁ男三種さんにんで残念ながら色気はないけどね」


 遠巻きに眺めていたブラウが店を出ようとする男に声をかける。男はその声に反応すると振り返りブラウとグレッグに視線を向ける。


「いいのか……?」


「あんたが問題ないなら、オレたちも問題なしだ」


 グレッグが放った言葉に男が頭を下げると、奇妙な組み合わせの三名が酒場の木円卓テーブルを囲み食事が始まった。男は食事の席につくと、自身の名を『アスラ』と名乗り、目の前に来た食事に向かい手を合わせ敬意を表する動作と言葉を口にしていた。

 その威圧感のある風貌からは想像できない礼儀正しい所作の数々にブラウとグレッグは目を見張ることになるが、やがて酒も進むと各々饒舌となり、他の卓にも負けない喧騒で酒場の賑やかしに一役買うこととなった。


「馳走になった。美味い飯だった……礼を言わせてもらう――」


 深々と頭を下げながら感謝の言葉をブラウとグレッグに伝える。頭を下げてもなお威厳の欠片すら損なわないその貫録になぜかまったく共通点のないセキを思い浮かべたブラウ。


(セキも腰が低かったけど、あの強さだもんな……いや――本当に強いやつはきっと芯があるから……)


「いやいや、大したことじゃないさ。また生きて出会えたら食事を楽しもう」


 咄嗟に思い浮かべてしまったセキとの思い出に頭を振りながら回答するブラウ。


「ああ、次は紹介所の酒場じゃなくてもっと美味い酒を出す店にいこうや」


 グレッグも慣れた様子で受け答えをしている。次に会える保証などどこにもありはしないが、出会えないと決まったわけでもない。

 一期一会の気持ちを常に持つ探求士たちの別れは物寂しさを伴うことも事実である。気が合ったならばなおさらだ。

 だが、その気持ちを引き摺っていては冒険に踏み出すことなどできるはずもない。

 三名は再会の言葉を交わしながら背を向け、魔具の灯りが照らす道へとそれぞれが歩みを進めて行った。

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