第163話 奇襲

「構えろッ!!」


 グレッグの叫びが静寂を切り裂いた。


「チピおいで! ……――〈再生の緋炎よ 祝福と成れ〉」


 パーティ内で唯一降霊詩を操るエディットが即座に戦闘態勢へ入る。

 エステルとルリーテも斜面を睨み、力無く倒れた男の死体周辺を注視しているが。


「あのひとが斬られた時、たしかに首元へ影が見えたけど、一瞬だったよね……」


「ええ。わたしもはっきり見えたわけではありませんが……この斬り口は……」


 やや目を背け気味ではあるが、グレッグの足元へ転がった首に視線を落とすルリーテ。


「オレもルリーテと同じ意見になりそうだ。この傷口は……殺蟷螂キラーマンティスだろ」


 つい先ほどまでクエストの討伐対象として、相手をしていた魔獣である。

 

「あたしもそうだと思います。ここまで鋭利な切り方はこの周辺の魔獣では考えにくいので……お猿さんが武器を持っている可能性は捨てきれませんが……」


 エディットは転がった首の切り口を指でなぞりながら己の考えを口にした。

 癒術士として数多の傷や死と向き合ってきた彼女にとって、目を背ける理由にはならなかった。


「オレが胴体の場所まで詰める。周囲の警戒を任せていいか?」


「うん……分かった。ルリは右前方を。エディは左前方を中心にお願い」


 グレッグの叫びによってすでに鳥の囀りさえなくなった今、耳に届くのは風に揺られる木々の息吹だけだ。

 その中をグレッグが慎重に歩を進めていく。


 枝を踏みしめた際の音でさえ煩わしく感じるのは、この急速に渇いた空気に心が驚いているからだろうか、そんな思いがエステルの脳裏にぎる。


 空から照らす日光石の明かりが、木々の陰影を作り出す中、大樹の横をグレッグが通り過ぎようとした時。

 大樹の陰に生える枝が、不自然に持ち上がったことにエステルは気が付いた。


(……? あんな動き……――違うッ!!)


「グレッグさん!! 左に跳んでーッ!!」


 エステルの叫びに体を動かすよりも先に振り返ってしまったグレッグ。


 そこへ大樹の枝――ではなく、漆黒の鎌が振り下ろされた。


「ぬがぁぁぁ――ッ!!」


 そこへエディットが抱き着くようにグレッグへ飛び込み、寸でのところで鎌を避ける。

 勢いのままに転がった後、立ち直ったグレッグとエディット。

 そして武器を構えたエステルとルリーテの前に、その身をドス黒く染め上げた殺蟷螂キラーマンティスが現れたのだ。


 いや、現れた、という言葉は正確ではない。

 この蟷螂はその漆黒の体を影にじっと潜め、景色と一体化していただけであり、言うなればその身をずっと晒していたのだから。


『ギチィ……ギチチチチチッ――ッ!!』


 本来鳴くことのない蟷螂も、魔獣となれば話が変わる。

 グレッグの背丈を超える体躯に加え、その両手に備わった鎌は大剣なみの厚さを誇る。

 そして不快な鳴き声を出すその口から滴るのは唾液、ではない。

 捕食後ということをはっきりと告げるように、朱に染まった肉片とそこから垂れる赤黒い液体を啜っていた。


「――深淵種アビス!?」


 先程まで討伐していた個体とはっきりと異なる色。

 体躯も一回り、いや二回りは成長しているであろう姿にエステルが思わず叫ぶ。


「――なっ!? この周辺はついこの前、百獣討伐隊で掃討したばかりだぞ!!」


 エステルの言葉に目を見開くグレッグだが。

 現実として今、目の前にいる個体がただの魔獣でないことなど一目で理解できていた。


『ギュチィィィィッ!!』


 直後。

 蟷螂はその強靭な鎌を横薙ぎに振るう。


「下がれッ!! ――な……――ぐおあああっ!?」


 咄嗟にグレッグが詰め寄り薙いだ一撃を自身の盾で受けるも――

 激しい火花と共に吹き飛ばされていく。


「力もただの殺蟷螂キラーマンティスの比じゃねーみたいだな……」


 グレッグが起き上がりながら、鎌を受け止めた盾に目を落とす。

 すると……自慢の盾に鎌の跡が深々と刻み込まれていた。


「周囲を囲んでも振り回されるだけ! 集まって陣形を!」


 この緊急の状況に陥りながらも勢いに任せるという思考放棄を良しとせず――

 エステルの気持ちを込めた一声は、グレッグたちに冷静さを取り戻させるに十分な熱意が込められていた。


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