第261話 その頃のグレッグ

 ここはエステルが舞い降りた崖底の森場所だ。


 今はどこまで見渡そうとも葉の一枚さえなく、一面全てが火の海と化している。


 すでにセキは立ち去った後であり、あれだけのおびただしい数の魔獣は亡骸の一欠片を残すことさえ許されなかった。

 そして溶岩となり果てた崖の岩が泡立ちを見せ、川のようにゆっくりと流れ落ちるという静寂だけが刻まれている。


◇◆


 崖の底が緑から赤に染まり上がった頃、崖上では――


「ルリ……エディ……いいか……オレが振り向き様に……盾を投げる……それがだ」


「は……い……見なくても……分かります……背後の魔獣にわたし程度の詩では通用……しません……」


「はや……く……あたし……これ以上……この圧に耐えられる気が……しません……」


 崖の底へ身を投じる決意を固めた三種さんにんの姿があった。

 一切の迷いを含む余地のない選択。


「……い――ッけぇーーーッ!!!」


 グレッグが渾身の叫びと共に身を翻す。

 そして盾術士の命とも言える盾を投げることに一切の疑問もなかった――はずだった。


「――ッ!?」


 だが。

 振り向いた先に佇む魔獣。

 『断爪破獣アンドルクス』の姿を見た途端、金縛りにあったようにその動きをぴたりと止めることとなった。


 焼け付くような視線を送り出す鋭利で容赦のない瞳。

 一本だけでも自身の魔力量を超えるであろう鮮やかな焦げ茶の毛並み。

 巨大な顎に湾曲した鋭い犬歯。

 そして……眼前に立つ者全てを捻じ伏せ切り裂くであろう強靭な爪。


 その姿を目の当たりにした時、グレッグの身体が――全身の細胞が盾の一振りすら抗うことを良しとしなかったのだ。


「あ――……うっあ……――くっそぉぉぉぉッ!!!」


 微動だにしない魔獣から逃げるように目を逸らし、さらに反転するとルリーテとエディットに遅れて崖へその身を投げ入れる。


「飛翔系の魔獣が来たら撃ちます!! 二種ふたりともわたしのそばへ!」


「降霊します! レイさんもこちらに――ッ!?」


 三種さんにんが、底の見えぬ崖へ落ちていくその瞬間に理解の及ばぬ事象が起きた。


 けたたましい轟音を響かせ、崖の縁がまるで床を構築したようにのだ。


「――……え?」


 三種さんにんの声が重なった。

 そして床代わりのように伸びた岩の上に着地することとなる。


「土の……魔法……か?」


「逃がさない……ということでしょうか……」


「振り向いちゃダメです……一気にもっと奥まで……走ってください!!」


 エディットの掛け声と共に前傾姿勢をとり走り出すが――

 さらに岩の床から三種さんにんの行く手を阻むように壁が作り上げられた。


「ははっ……!」


 グレッグはすでに壁を見上げながら渇いた笑いを絞り出すだけだ。


「……――」


 ルリーテは自身の胸を抑えすでに思考が白みがかっている。


「――ぐ……うぅ……」


 エディットは力無くその場に臀部を落とした。


 しかし、その後不自然なほどに背後の魔獣が動く気配を見せない。

 だからといってグレッグたちも身動きをするような選択を取れるような心境ではない。


 そこに足元から響き渡る魔獣たちの叫びが三種さんにんの耳に届いた。


「セキ……か?」


「そうです……きっとそうです……!」


「動かず……このままで……こんな状態なら……すぐに気が付いてくれます」


 虚ろ気な眼差しに光が宿り始める。

 じょじょに――だが、確実に近づく音は魔獣の咆哮でありながらも、グレッグたちにとって福音そのものに聞こえていた。


 そして。


「みんな! 遅くなった――ッ!! この状態は……!?」


 グレッグたちの背後に魔獣を引き連れたセキが舞い降りた。


「すまねえセキ!! 崖側に魔獣だッ!! 『断爪破獣アンドルクス』!! この岩はあいつの魔法だ――ッ!!」


 グレッグの叫びがセキに届くか否かの刹那。


 床や壁を構築していた岩が軋みをあげ――


 数えきれないほどの岩の棘が突き出された。

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