第251話 大断崖

「これは……下が深すぎて見えないんだけど……」


 セキの腕を力一杯に握りしめエステルが崖下を覗き込む。


「対岸ってあのちょろっと見えてるやつか? もう凹地とか言ったほうがいいんじゃねえかこれ……」


 グレッグは視線を遠くに置きつつ、呆然と喉を振るわせるだけだ。 

 

「うん。深さも長さもどっちもやっかいだよぉ……落ちるのはあっという間――というか落ちた時は意識なかったけど……おれは登るのに三年かかったからね~……」


「まず落ちて助かることと、登るまで生き残れる気がしませんが……」


 話として知ってはいても、いざ断崖を目の前にしたエディットは思考の放棄を始めている様子が窺えた。



「落ちた時は魔具のおかげで助かったかな。まぁ強力な緩衝材代わりみたいな感じで崖に削られることと、落下で潰れることを防いでもらえたっぽい……」


「五才くらいって言ってたよね……? よくそこで諦めなかったなぁって素直に思う……」


 エステルの声色トーンは平常通りだが、相変わらずセキの腕を掴む力は衰えることはない。



「たまたま強力な魔獣のナワバリだったからね……その姿を見たら今の状況でうじうじしていることが小さいことに思えたことがよかった……のかなぁ……」


「そこで前を向けることはセキ様だからこそではないかと。どのような状況でも決して諦めることなく希望の光を見出す、そう偏に――……」


 ルリーテの賛美が終わりを見せる気配がない。

 セキが笑みを向けながら反応を示すも、エステルを含めた回りの目は遠くに向けられていた。



「その環境が想像もできねえな……――んで、渡る方法も同じに……な」


「んや、それはそうだと思う……おれ自身だって魔具とか魔獣の魔法を散々見て来た今でもちょっと納得できてないから……」


 グレッグの疑問を解消するべくセキが周囲に視線を飛ばす。

 すると、周りの木々の中で一際大きい大樹に向かって歩を進めた。


「おれはもう慣れっこだけど、最初はかなり怖いと思う……」


 エステルたちを制止するよう手の平を向けると崖に向かって歩き出す。

 歩きながら土をすくい片手で握りしめるも、歩みを止めることはない。


 そしていよいよ崖の縁に近づいた時、エステルたちは目を細めた。


「……? セキの足ちょっと浮いてる……?」


 上体を前のめりにするも必要以上に崖の縁へ近寄ることはないエステル。

 最大限の警戒意識が見て取れる光景でもある。


「そう……だな……浮遊ってよりもきっちり踏みしめてるように見えるが……」


 グレッグは好奇心に負けているのか、じりじりと縁へ歩み寄っている様子だ。


「認められた者だけが踏みしめられる透明な大地ということでしょうか。いえ、むしろ自然に愛された証を今わたしたちに見せていただいているという――……」


 ルリーテの羨望の眼差しと共に放たれる言葉であるが、その場の誰もが耳を素通りさせているようだ。


「魔具……じゃないんですよね? セキさんが魔術を使えない以上、風を操ってるわけでもないんですよね……?」


『チプ~……?』


 エディットの言葉に反応したのか、チピがセキの元へ羽ばたいていく。


「ダイフクは最悪落ちても大丈夫だから警戒心が緩いかもなぁ……ちょっとそこに下りてみ?」


 セキが指差した先はすでに縁が途切れた空中だ。

 だが、チピがそこへ舞い降りると大地に立っているように、空中へ着地することとなった。


 そこへさらにセキが握りしめていた土を放ると、着色したようにその形を目で捉えることが可能となった。


 その光景に神経を注いでいる面々は喉を震わせることさえも忘れたようだ。


 そして。

 セキが改めてエステルたちを振り返った。


「うん。みんなの想像通り……ここ透明な橋が架かってるんだよね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る