第185話 休息日のエステル その11
「――ッ!?
父と呼ぶ巨躯の男の顔を見たユエリが初めて取り乱したように叫ぶ。
「ユエリ……か」
返事を待たずにユエリが駆け寄った。
それに続くエステルたち。
すると、そこには床に敷かれた藁の上で息を荒げる
体全体が脈を打つかのように――
拳大の虫が這いずっているかのように――
皮膚が膨れ上がっては萎んでいる。
蓄積され行き所を失った魔力がここまで禍々しい動きを見せること事態が、エステルにとって決して少なくない衝撃をもたらしていた。
初めて見るその光景に、足の先から来る震えを止めることができない。
魔獣によって無残に食いちぎられると同等、下手をすればそれ以上におぞましい光景である。
「母さん……――母さんっ! しっかり! 強く意識を持ってっ!! もうここまで症状が進んで……」
駆け寄ったユエリが母の手を握りしめ力強く言葉をかけた。
エステルも果実を差し出すべく足に力を込めるが、思うように力が入らず思わずフラつくと隣のイースレスがそっと手で支えた。
「――ユッ……エリ……わた……しの……ために……現域まで……行……って……くれた……って……苦労ばかり……かけて……――ごめん――ね……」
母の言葉によって込み上げた思いは、ユエリにそれ以上口を開かせることをさせなかった。
両手で握りしめ額を押し付ける。
その姿はまるで神に祈るようであった。
しかし――
「これすぐ食べてくださいっ!!」
か細き静寂を破り捨て――
エステルが母の枕元へ膝をつき果実を差し出した。
母の言葉に思いが込み上げたのはユエリだけではなかったのだ。
力の入らなかった足。
思考を放棄し始めていた頭。
そんなものは、この状況でさえ母であろうとする姿を見せられた以上、甘えに過ぎないということを悟ったのだ。
衝動に身を任せた。と言われれば頷くであろうエステルの行動。
少なくともこの瞬間。エステルは目の前のユエリの母を助けることに疑問の一切を挟むことはなかった。
「も……もう……飲み……込むこと……でき……ないから……」
「おまえ――ッ!!」
エステルの行動に思わず立ち上がろうとする父を、ユエリが手の平を向け咄嗟に制止する。
父はこの場の大気を怯えさせるに十分な威を発していた。
だが、ユエリの力強い瞳。エステルの曇りのない瞳をその目で見ると、立てた膝を静かに下ろした。
「硬いわけでもないです。感触もフワフワしてるし……だから歯で削って飲み込んでください……!」
かなり強引に口元へ果実を押し付ける。
前歯に果実が当たった感触を以ってエステルは手首を捻り、前歯で果実を削るように回した。
削られた果実は母の口の中へ落ち、荒ぐ呼吸と共に滑るように喉へ落ちていく。
固唾を飲んで見守る中。
突如。
まるで体の芯から全身へ帯電したかのように淡い光を帯び、母の体が軽く跳ね上がった。
「おい……!! それは――」
さらに詰め寄ろうとするも、背後からイースレスが肩に手を置く。
父が反射的に振り向いた視線の先で、端整な顔立ちに見合う粛然とした様で首を振った。
「かっ……カハ――ッ!! ケフ――ッ!! ケフッ……え……?」
だが――
「クユナ! お……お前!? 起きれる……のか?」
そう、先程まで床に臥せていた母が上半身を起こしたのだ。
咳き込む息も弱弱しいものではない。
むしろ体の中に潜んでいた病弱な息を押し出すように力強く咳き込んでいる。
お世辞にも血色が良いとは言えない。
だが、母は横で見守っていたエステルへたどたどしく視線を向けた。
するとエステルは一筋の涙を拭い、星の煌めきの如く笑いかけ、再度口元へ果実を運んだ。
言葉を交わす以上に今必要なことを自身の行動で示すように。
やや戸惑いながらも、エステルの手に己の手を重ねゆっくりと……だが、今度は自身の力で果実を噛み、喉へ流し込んでいく。
静けさに包まれた部屋に響くは、奇跡の果実を食す甘美な音色だけだ。
「ユエリ……この果実……もしかして……」
「後で全て話す。だから今は……」
子供のように果実を食べる母の姿を涙で滲んだ瞳で見つめる。
里に入り一度も収まることのなかったエステルの鼓動は、ここにきてやっと落ち着きを取り戻していた。
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