第258話 崖上のグレッグ

「下手に動いてはいけないのは分かっていますが……」


「ああ――ルリ。オレも同じ気持ちだぜ……くそっ! 何もしないことが最善なんてのは……」


「『今は』ですよ。だからあたしたちはこの気持ちを忘れずに持ち続けなければいけません。少し都合のいい言葉ですが、セキさんを信じましょう」


 苦汁に満ちた表情を浮かべるルリーテとグレッグだが、エディットが窘めるように喉を震わせた。


「そしてあたちたちも無事でなければいけません。なので……」


 続けて言葉を紡いだエディットが降霊を解くと、


『チピピッ! チピ~!』 


 チピが頭の上に乗り羽で自分の胸を叩く動作をしてみせた。


「ど……どういうこった……?」


「なるほど……ダイフク様が飛んで探知範囲を……」


『チピっ!』


「そうです。チピが提案してくれました。半精霊となった以上、あたしが死ななければチピが死ぬこともありません。その特性を利用してチピが砂漠側を少し見回ってくれるようです」


 徐々にチピの考えを咀嚼できる間柄になっていることが窺える一幕である。

 グレッグは顎に手を添えながら考えているようだが、同じように咀嚼できるような関係になる日はそう遠くないであろう。


「それは心強い提案です」


 ルリーテが胸に手を当て、さながら感謝の振る舞いの如くチピへ頭を下げる。


「ないものをねだってもしょうがねえ……ダイフク……頼らせてもらうぜ!」


 指先でチピを突きながら感謝の意を示すグレッグ。


「後方を崖に阻まれている以上、逃げ場は限られています。セキさんは探知ができないので、逃げる時は砂を踏んでせめて足跡を残すようにしましょう」


 少ない手札だからといって思考を放棄する――という思考を持たないエディット。

 ルリーテとグレッグは改めて北大陸キヌークを生き抜いたエディットの強さを目の当たりにしている、と実感した。


「ですが……最悪の場合は……」


 そう言いながらもエディットは背後の崖を見下ろす。


「そう……ですね。命を投げ出すためではなく、最後まで縋りつくための選択肢として必要になるかもしれませんね」


「ああ。そうならないことを祈っちゃいるが……どうやら神様とやらはこの世界には不在らしい。だからこそ運命はオレたち自身で手繰り寄せなきゃならねえ……!」


 三種さんにんが拳を突き出し軽く合わせると、チピがその上に舞い降りた。

 自身も同じ気持ちだ――そう伝えたかったのだろう。


 だが、決意を胸に宿したところで期待した結果が付いてくるとは限らない。


『チ……ピッ……チピィィィ!!』


 飛び立つこともなく、突如チピが北東の方角を羽で示し鳴き立てた。


「どんな魔獣かは関係ねえ。この地域じゃどの魔獣でもアウトだ……南に向かうぞ!」


「一匹なら……出し惜しみはしません――会敵直後に詠みます」


「なら二匹までです。命と腕一本なら天秤に乗せる必要もないので……!」


『チピッ!! ピィッ!! チピッ!! ピィィィィィーーーッ!』


 走り出す姿勢さえ、とれていたかは定かではない。


 だが、確実なことがある。


 南に向いた三種さんにんの背後にその絶望はすでに居たのだ。


 チピが鳴いてから数秒の時、それは背後に立つ魔獣が距離を詰めるに十分な時間だったということだ。


 背後を振り向くどころか、身動きさえも許されない圧倒的な威圧感。

 命を舌の上で転がされるという感覚。

 さらに背後に佇むであろう魔獣から漏れる音色。


『グルォ~ウ……』


 それは彼等にとって死神の囁き以外の何物でもなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る