第259話 魔獣の森

 自然そのものを体現した森を見回す彼女。

 あまりの静寂に自身の心拍数が跳ね上がっていることを自覚していた。


(だっ……大丈夫! まだ周囲には来てない! 隠れるところを探すんだ……早く! モタモタしてる時間なんてない!)


 だが、彼女は周囲の木々を除ける音さえも躊躇した。

 糸がぴんと張り詰めたような静けさはその場にいるだけでも神経をすり減らすほどの緊張感を漂わせていた。


(気持ちの持ちようだよ! 弱気になっちゃダメだ……!)


 どれだけ息を殺そうとしても、胸の内を叩く鼓動がそれを許さない。

 手で抑えても気休めにならないほど彼女の息は乱れきっていた。


(もっと森の深く……できれば何か身を隠せるもの……)


 自身の身の丈以上の草を掻き分けながら、眼球が左右に忙しなく移動する。

 だが、今の彼女は視界をなめているに過ぎず、不安に揺れる瞳では目が滑るばかりだった。


 だから彼女が先に気が付いたのは、その異質さが目を滑らせることを許さない存在だったということだろう。


(――ハッ! ヒッ! ハヒ……! ……み……『猛狂牛獣ミノタウロス』……)


 精選で出会った魔獣『怪触蛸獣クラーケン』同様、禍獣に分類される魔獣だ。

 エステルの三倍以上の体躯を誇る二足歩行の魔獣だ。

 ひとの形に近いが、顔がひとのそれよりも牛に近い造形をしている。

 筋骨隆々の体を持ち、手は物を握れる点が厄介極まりないとされているが、エステルにとってあの手に掴まれればそれだけで握りつぶされるだろう。


(鼻をヒクつかせてる……探してるんだ……もっと……もっと奥に……!)


 震える手で草を掻き分けた時、彼女の手が止まった。


(……か……べ?)


 エステルは森の奥に進もうと意識はしていた。

 だが、それはただただ崖の壁に向かっていただけだった。深い木々に覆われたこの場所では空を確認することも容易ではないのだ。


(のぼって……違う! どこか崖の影に……)


 彼女が崖に沿って視線を向けた時、左側に佇む巨躯を捉える。

 右手に骨棒を握りしめた魔獣。


(――『単眼鬼獣キュクロプス』!?)


 さらに右側へ視線を泳がせた先に控えていたのは三匹の獣型の魔獣だ。


(『喉噛獣ガルム』と『追月獣ハティ』に『追陽獣スコル』って……)


 『単眼鬼獣キュクロプス』は『猛狂牛獣ミノタウロス』と同様の禍獣。

 『喉噛獣ガルム』、『追月獣ハティ』、『追陽獣スコル』は、『火眼獣ヘルハウンド』と同じ百獣に位置付けされる魔獣だ。


 そして共通する点は四匹全てが……


 エステルを瞳に映しているということだった。


(に……げ……どこ……に)



『ゴアァァァーーーッ!!』


 歓喜の咆哮と共に喉噛獣ガルムがエステルへ飛び掛かる。

 だが――


『ヴァアァアアーーーッ!!』


 グシャリ――と、飛び掛かった喉噛獣ガルム単眼鬼獣キュクロプスの骨棒が叩き潰した。


(守っ……――違う! 獲物わたしを奪い合って……!)


 さらに叩き潰した骨棒が崖を抉り、彼女以上の巨岩の雨が降り注ぐ。

 即座にエステルは飛び込むように身を躱すが――


(うぎッ!! ぐ……――ぅぅぅぅぅ――ッ!!)


 身を投げ出した彼女の左足を、巨岩はいとも容易くいた。

 それでも痛みに悶えている暇はない。

 それはエステルへ追月獣ハティ追陽獣スコルが牙を剥き飛び掛かってくる姿を捉えたからだ。


(足を……切って……切る物がない――ならっ!!)


 エステルは生き延びるという一点に思考を集中させた。

 生きていれば次がある――そう決断を下した。


「うあぁぁぁッ!! ――〈星之煌きメルケルン〉ッ!!」


 自身の足を圧し潰している岩を詩の爆発にて破壊する。

 彼女自身も吹き飛ばされると同時に、爆風で身を焼かれることとなるが、それは承知の上だった。


(あし……潰れてる……走れ……ない)


 徽杖バトンを支えに立ち上がろうとするも、左足はすでに機能していない。

 それでも魔獣たちに背を向けて逃げようとした時、崖の壁に穴を見つける。


(洞……窟? ほら穴……? 魔獣の巣かも……考えてる暇なんて――ッ!!)


 今のエステルの思考に迷いを挟む余地はなかった。

 サテラを洞窟へ滑り込ませ詩を詠む。


「〈引月ルナベル〉――ッ!」


 洞窟の中へと体が引きずられ、身体が滑り込む直前。

 追撃を試みた追月獣ハティ追陽獣スコルの身が跳ね飛んだようにエステルの頭上へ舞い降りようとしていた。


 エステルは徽杖バトンで受けようと突き出すが――


『ゴアァッ!?』


 一瞬の戸惑いを見せた後、大きく飛び退いた。


(なん……で? いい――理由はあと!!)


 さらに奥へサテラを飛ばし自身の身を引き寄せる。

 洞窟の入口では、覗き込むように単眼鬼獣キュクロプスが顔を出している。


(入口を崩す……生き埋めでも今の状況よりはきっといい――! 絶対に諦めてなんかやるもんかッ!!)


 プラネを入口へ向けて飛ばし、喉に力を込めた時。


 ズルリ――と、単眼鬼獣キュクロプスの首が地に落ちていた。

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