第181話 休息日のエステル その7

「そういえば……幻域種ティティスの……獣の血が――と言っていたが……」


 木々の密集していた街の広場はおろか、すでに三名はレルヴを抜けて南下している最中である。

 魔獣との遭遇もない順調な道のりの中、ユエリがふと疑問を口にした。


「――えっ……あ、はい。お母さんが適受種ヒューマンとは思ってなかったので……幻域種ティティスは限界まで力を使うと、血に流れる獣の本能が……っていう――」


「エステル様。ちょっとそれは認識が違うやもしれませんね」


 疾風の速度で巻き込む風に耐えながらエステルが答える。

 だが、そこでイースレスの柔らかな口調に遮られることとなった。


「街に出た幻域種ティティスもそう多くはないからな。その認識が浸透したままなのはしょうがないが……」


 その顔は見えずともやや沈んだ声色トーンから、侘し気な表情をしていることが伺えた。


「前提として幻域種ティティスは――獣の特性を色濃く受け継ぐ獣種じゅうじんと呼ばれる者。そして魔法の特性を色濃く受け継ぐ魔種まじんと呼ばれる者がいる」


 ――一種ひとりでも多く誤解を解きたい。

 そんな強固な意思を乗せた声が響く。


「他にも幻域種ティティスと呼ばれる者はいますが、今は置いておくほうがよいでしょう」


 認識の整理に一役買うべくイースレスが補足を請け負った。

 二種ふたりはエステルに意識を向けつつも、進行速度は緩むことなく、時には木々の隙間を立体的に突き抜けていく。


「そのどちらも限界まで力を使ったとしても、血に流れる獣や精霊に支配されることはない」


 想定外の真実にイースレスの首に回していた腕へ反射的に力がこもる。

 イースレスもその反応を肌で感じ取っているが、そのことにわざわざ触れるようなことはなかった。


「それほどに……ひとの意思というものは強い。誤解に怯える者もいるが、いずれ……分かり合えたら――とは思っている」


 エステル自身、幻域種ティティスとの面識はない。

 言わばグレッグの話や噂話で知った表面だけの情報である。

 少なくとも現状エステルの目には、幻域種ティティスに対して噂話に聞くような凶悪さは見えなかった。


「だが……誤解が広まった原因は明確だ。たしかに血に意思が負けることはない……――だが、意思が途切れれば話は別だ」


 話の流れと共に明らかに空気が変わった。

 それは語り手から聴き手に対する無言の配慮――心構えが必要なのだと、エステルは感じ取った。


「そ……それって……」


「命を落とした後、血が体を支配することが稀にある」


 望みとはかけ離れた真実。

 だが、配慮した結果、真実が歪んだ形で伝わっては意味がない。

 そう示すかのようにユエリは言葉を続けた。


「それが心残りというから来るものなのか。それとも怨念と言える負のが血に呼び掛けたのかは分からない。だが――意思なき本能の塊。それこそ魔獣の如くその身を堕とす者は少ないながらもいたことは確かだ」


 ユエリが鋭い爪を軋ませる。

 その姿は、自身の経験してきた苦い過去を掘り返している、そうエステルとイースレスに告げているようだった。


「その者たちを私たちはこう呼んでいます。『動種混獣ライカンスロープ』――と。肉体という器も意思がなければ容易にその形を変えていきます。ひとの形から血が求める形へと。だから動種混獣ライカンスロープは狼のような顔であったり、猫に似た顔付きであったりと……特徴が個体によってまったく異なっているのです」


 イースレスの補足は幻域に対して、と呼ぶこの世界の探求士に伝わるよう配慮されたものだ。

 事実としてエステルは『動種混獣ライカンスロープ』と呼ばれる魔獣を知識として知っていた。


「そ――んな……そのひとはもう戻ることは……できないんですか……?」


「不可能だ。肉体が動いているだけであり意思――魂と言ってもいいだろう。それはもう肉体に留まっているわけではないのだからな。それこそ戻る――とは死んだ者を蘇らせることと同義だ」


 ユエリの突き放すような物言いは、自身がその身に、その心に、幾度も刻まれた末にたどり着いた自己防衛のように感じられた。

 そんな思いと共に明かされた真実にエステルは黙って俯く他なかった。


(もし……グレッグさんの友達もその状態だとしたら……――でも……グレッグさんは相対しても無事だった……なら……!)


「だから幻域種ティティスが死んだ場合、火葬などの形で送り出すことが多い。未練や心残りは……生きている者が叶えてやればいい――とな」


「誰しも仲間を……肉体魔力アトラを求めて彷徨う魔獣にしたくはありませんからね……」


 疑いようのない幻域種ティティス本種ほんにんから告げられた真実。

 疾風の如く突き進む中で、エステルは頬が切る風がやけに冷ややかに感じられた。

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