第182話 休息日のエステル その8

「まぁ……体が動いている以上信じられないという気持ちは痛いほど分かる。だから……――見分け方を伝えよう」


 エステルの身に纏う空気が逼迫していることを、ユエリは背中越しに感じ取っているのか。

 さらに言葉を付け足した。


「オレたちの里では『精霊の涙ラクリマ』と呼んでいる器官がある。ひとで言う心臓に当たる器官だ。そっちでは……」


精霊の涙ラクリマでも通じるが、『魔核まかく』と呼ぶ者もいるな」


 エステルは一言一句聞き逃さぬよう、ユエリの背中を凝視し続けたままだ。


「もちろん精霊の涙ラクリマひとが持つ器官ではない。だが、死んだ後も血が体を動かす場合、胸の中央あたりに玉のような腫瘍ができる。それが精霊の涙ラクリマの元となるものだ」


 岩石地帯に差し掛かり巨大な岩場の斜面を駆け抜けて行く。

 景色としてとても壮大ではあるが、今のエステルに風景を楽しむ余裕は一切なく、


「止まった心臓の代わりに自然魔力ナトラのみを取り込む器官だからな。元々獣種じゅうじん魔種まじんが持つ心臓とは異なるものだ。そして……それができていたらもう手遅れだ。腫瘍は自然魔力ナトラを取り込み徐々に心臓部としての機能を持ち始める」


 次々と語られる真実に耳を澄ませていた。


「それと同時に肉体も血に従って魔獣の形に変化していく。そして……完全に魔獣となった時、腫瘍は精霊の涙ラクリマとなり、肉体の内部に吸収されるんだ」


 まるで何かを悔やむように声色トーンが沈んだことが聴き手である二種ふたりに伝わってくる。

 だが、それでもユエリは口を止めることはなかった。


「だから……エステル……。お前がどのような気持ちでオレの話を聞いているかはなんとなくは伝わっている。だから……もしも獣種じゅうじん魔種まじんを……せめてひとの形のままで送ってやりたいのなら、精霊の涙ラクリマが完全に体内に取り込まれる前に……破壊してやることが最後の救いだろう。きっとそれは自分にとっても……そして――相手にとっても」


 そして、ユエリは最後にほんの一滴の救いの手立てを伝えた。


「あ……ありがとうございますっ! 知らないことばかりで……ほんとに助かりました!」


(グレッグさんに伝えて……そしてテノンさんにも会わなくちゃ……グレッグさんの言ったことが真実なら……きっとまだ自我を持っていたはずなんだから……――ッ!)


 エステルの中でほのかな決意が芽生える。

 ――意思の力は血の本能を凌駕する。

 目の前にいる獣種じゅうじんの言葉に疑問を挟む必要はない。

 思わぬ形での巡りあわせは、書庫に足を運ぶと同等以上の知識をエステルにもたらしていた。


「知りたいことは今の話で足りていたか……?」


「――はいっ! まだまだ他の種族のこと……知らないことばかりだったなって……」


 肩越しにエステルへ視線を向けたユエリは、返事に対してわずかに口角を上げた。

 それは果実を譲った恩種おんじんであるエステルに、ささやかながらも役に立てたことから来た笑みなのか、それとも自身の種族に対する理解を深めようとする姿に自然と漏れたのか、それはユエリのみ知ることであった。


「それじゃ……もう一段速度を上げるぞ……ここからは魔獣も厄介なやつばかりだ。大丈夫か?」


「ああ。問題ない。エステル様しっかり掴まっていてくださいね」


「はいっ! よろしくおねがいします!」


 決して遅いということはない速度の中、さらに一段ギアを上げる。

 二種ふたりの足が蹴りだした岩場に、粉塵が舞い、つま先の形に抉れていく。


 エステルではまだまだ到達できないであろう地域にも関わらず、気持ちは落ち着いていることに気が付く。


 背負われたイースレスの温もり。

 前を走るユエリの背中。

 そんな二種ふたりになぜかセキに似た安心感を覚えていた。

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