第183話 休息日のエステル その9

「到着だっ! 一切の休憩もなく獣種じゅうじんのオレに付いてくるとは……すごいな」


 ユエリは静寂の森の奥深くで足を止めた。

 しかしエステルが回りを見渡した所で静寂を破るような賑やかさはおろかひとが住むような環境にはとても見えない。

 獣道すらない、ただただうっそうと茂る草木だけを視界に収めていた。

 唯一可能性が見えたのは、草木が意図的に積まれた一角だったが。


「それはうれしい労いだ。そして……まぁ魅力的だが、とても……やんちゃな女性と付き添う必要が私にはあってね、体力はいくらあっても足りないほどだからな。それに……肉体魔力アトラの扱いは私など足元にも及ばない優秀な方に教えてもらったことも大きいだろうな」


 ――やんちゃな女性。

 エステルの脳裏に、失礼という気持ちと共にフィルレイアの顔が浮かび上がった。

 式典セレモニーの僅かな接触では、場面が場面ということもあり、そのような印象はなかったがゆえに、エステルは少しだけフィルレイアの種物像じんぶつぞうに触れることができたような錯覚を覚えていた。


 そしてそんな思考に耽っていたこともあり、その後にイースレスが自身にちらり、と視線を向けたことも気が付くことはなかった。


「あの……ここから後どれくらいなんですか? 村とか街があるようには……」


 丁寧にイースレスの背中から降りたエステルは、体ごと回転しつつ辺りを確認していた。


「もう着いているぞ。ここだ」


 草木が積まれた場所へ視線を向けていたユエリだが。

 僅かに首を傾げた後、幹に特徴のある二本の樹木の間へ手を伸ばすと――


「――えっ!? 手がっ!!」


「この先がオレの里に繋がっている幻域だからな」


 肘から先が突如消失したことに声を上げるエステル。

 森の木陰という暗闇で見えなくなったわけではない。


「『幻域』という名称の通り、すでにこの世界『現域』とは違う空間に存在するのです。恐らく一般的なイメージですと、洞窟内であったりするのでしょうが、幻域の入口はどこにでも発生しうるものなのです」


 イースレスの補足に口を閉じることも忘れ頷く。

 すると――


「それでは行こう」


 ユエリがさらに足を進めその体ごと消え、


「エステル様。行きましょうか」


 イースレスが、先にどうぞ、と自然な振る舞いで手を向けた。


「は……はい!」


 戸惑いを覚えながらもユエリが消えた入口へ歩を進める。

 恐る恐る手を伸ばすと、先ほど同様に自身の手が消えた。

 一歩、また一歩と前に出るに連れ、消えていく感覚。


 消失箇所が己の眼前に迫った時、エステルは唾を飲み、意を決して飛び込んだ――


 途端、心地よい風が頬を撫でた。


「わ……わあぁ……すごい……」


 佇むエステルの足元に広がる草原。

 薄暗い森から一転、眩いほどに照らし出された草木の反射に思わず目を細めた。


 徐々に目が慣れ、草原から横に目を向ける。

 そこにはユエリ。さらにその奥に村と思われる建物群を視界に収めた。

 どこか懐かしく感じるその光景。


(少し……だけスピカ村の雰囲気と似てるかも? でも建物の材料は木だけじゃない……?)


 木で造られた小屋の他、土で造られたと思われるような色合いの建物に興味を惹かれたエステル。

 雰囲気に浸るエステルの隣へイースレスが立つとユエリは手招きをしつつ、村の入口へと先行した。


 村の入口で木円卓テーブルを囲んでいた獣種じゅうじんがエステルたち……正確に言えばイースレスを凝視する。


「ゆ……ユエリ!! お前……あいつイースレスじゃねえか! プリフィックだぞ!! この場所をバラしちまったら……!!」


「ん? ああ、そうだったのか。だが……今はプリフィックとしてではない。あの少女の付き添いとして来ただけだからな」


 楽観的なユエリとは対照的に獣種じゅうじんたちは訝し気な視線のままに、村の中へと駆け出していく。


「あまり……と言うか外部から客が来ること事態が珍しいからな。騒がせてしまってすまない」


 ユエリが振り返りながら言葉を投げると、エステルはイースレスに優しく腰を押され歩き始める。

 そして木の門アーチを潜り抜け幻域種ティティスの里へ足を踏み入れることとなった。

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