第180話 休息日のエステル その6

「――なっ!? お待ちください。もう少し考えても……――千幻樹の果実ですよ……? それに――」


 イースレスが動揺を隠すことなく止めに入るも、エステルの瞳を直視した途端その口を閉じた。


(濁りのない……真っ直ぐな瞳……ですね。直感なのか、それとも彼女の中で根拠があるかは分かりませんが……少なくとも私には止められない……か)


 自身の言葉での説得が無意味と悟ったイースレスはそっと瞼を下ろすも、その口角は心なしか吊り上がっているようにも見えた。


「ごめんなさいイースレスさん。でも……心配してくれてありがとうございます」


「――ほ……本当にいい……のか?」


 地に伏していた頭を勢いよく振り上げたユエリは、その瞳に大粒の雫を滲ませている。

 あまりにも唐突。

 自身の願いも彼女からすればそうであったに違いない。

 だが……ユエリは決定を委ねただけだ。彼女のように決定の意思を決めたわけではない。

 それでもユエリは、彼女がその場しのぎの言葉を謳っているなどとは、なぜか思えなかった。


「はいっ。もし……もしもわたしのお母さんが同じような状況になったらって思ったら……断る理由が見つかりませんでした」


 自身の病気を軽んじているわけではないこと。

 エステルという少女が両親から惜しみない愛情を注がれていたこと。

 その思いが数多あまたの言葉で綴る必要がないほどに、二種ふたりの男には確かに伝わったのだ。

 エステルの決断の速さへの疑問が払拭されたわけではない。


 だがそれでも……


 イースレスは沈黙の中、空を仰ぎ――


 ユエリはただただ頭を下げた――


 言葉を紡ぐことさえも憚られる荘厳とも言える静寂が流れ――




「そうと決まったら……早速連れて行ってください! ユエリさんのお母さんのところへ」


 エステルは、自身が作り上げた静寂を破り有言実行の姿を見せた。


「『ユエリ』でいい。そして……ありがとう……本当に……感謝するしかない……今はただ――この言葉しかきみに贈ることができないことを許してほしい」


 涙で滲んだ瞳でエステルを見つめ、


「――ここからなら夜通し駆ければ明日の日光石が落ちる前には着けるだろう」


 涙を拭いながらユエリが立ち上がり、エステルへ歩み寄ろうとした時だ。


「この空気に水を差すつもりはない……――が、エステル様はわたしがお連れしよう。問題はあるか?」


 当初の殺気はすでにない。

 言うなればただの提案だ。


「いや……道中で魔獣との衝突を考えればそのほうがいい。頼む……イースレス」


「成立だ。任せておけ。ユエリ」


 互いの名を呼び合い、微笑を纏う。

 またもや当種とうにんでありながら蚊帳の外のエステル。


「え、あのイースレスさん……そこまでしてもらわなくても――」


「いえいえ、ここまで来れば乗りかかった船でしょう。遠慮はいりません。ただ個種的こじんてきに私が女性の手助けをしたいだけなのですから」


 そう言いながらイースレスは膝をつき、背中を向けた。


「あ、荷物……重いから置いて……」


「それはオレが持とう」


 特大の背嚢リュックの扱いに戸惑うエステルから、軽く荷を奪ったユエリ。


「えと……荷物がなくてもわたしが重いかも……」


 恥ずかしさが込み上げ趣旨からズレ始めるエステル。

 赤らめた顔でポツリと呟くと、


「女性らしい配慮ですね。ご自身で重いというのは自由ですが……私は女性一種ひとり背負えないような貧弱に見えてしまうとは少々残念です」


 肩越しに微笑む姿さえも絵になる男である。

 明確な実力はエステルに計れずとも、この二種ふたりと共に行動をするならば身を任せるのが英断である。

 この果実がいつまで残るのか、そしてユエリの母親の容態は未だに安定しているのか――という共に不明の状況も相まった結果、エステルはイースレスの広い背中へその身を預けた。


「オレが先導する。警戒はするが、魔獣に気が付かれないことよりも速度を優先したい」


「承知した。背後はある程度私の魔術で掃除する――が、行く手を阻む魔獣は任せよう」


 簡単な認識の確認を済ませると、


「それでは……行くぞ――ッ!!」


「ああ。エステル様しっかりとは言いませんがもう少し強く掴んで頂いて大丈夫ですよ」


「は――はいっ! えっと~よろしくお願いします!」


 夜光石の明かりだけが見守る中、三名は幻域種ティティスの里へ向け、その身を疾風と化した。

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