第19話 竜の絶望

 兵に見送られ門から出たセキを待っていたものは陸路の横に大海原のきらめきが壮大に広がり続けるという圧巻な光景だった。

 陸路上には建造物や遮蔽物もなく強めの海風がセキの外衣コートを揺らしている。

 セキは探知系の魔術は得意なほうではない、というよりも使えない。

 セキ自身に意識を向けられればすぐさま気が付くことはできるが基本的にセキの索敵は目や音が頼りとなる。

 したがって、大海原を見ながらも警戒を怠ることはない――そしてセキの見る限り魔獣の姿は見当たらなかった。


「精選も近いからもう少し魔獣もいるかと思ってたけどな……」

「ふむう……だからこそ精霊の誕生地のほうに密集しているのかもしれんの」

「それならそれで都合がいいか……大海原もいいけどのんびりしすぎもあれだしね。ちょっと走ろうか」


 セキの言葉を聞くと同時にカグツチは頭の上で姿勢を低くしセキの髪をぎゅっと掴む。

 カグツチが姿勢を変えたことを確認した次の瞬間セキの足が地を蹴り突風のように走りだす。


「船で半日だっけ? 何もなければその半分もかからないかな」


 その瞬間――

 左前方、海との境目の崖から海風を切り裂くように触手が襲い掛かってくる――

 が、襲い掛かってきたはずの触手はセキに触れる前に細切れとなり海風に攫われていく。それと同時にセキが陸路から崖の壁面へと飛び込む。

 本体である『巨植ジャイアントプラント』自身が気が付くことすらない速度で、触手同様に切り裂いていた。

 断片と化した魔獣の身体が崖に舞うことも気に留めずセキは壁面から突出した岩を蹴り何事もなかったかのように陸路に戻ると勢いを落とすことなく駆け抜けていく。

 探知は苦手でも相手が敵意を自分に向けていた以上セキが気が付かないはずもない。

 セキは駆け抜けながら右手に逆手で持った小太刀を腰に付けている鞘にしまう。


「少しは魔獣もおったの……五匹ほどかの? 見た感じ生まれたばかりな魔獣だったようにも見えたの。戦闘が稚拙すぎる」

「でも前に出ずにそろって崖側から仕掛けてくるのは賢いんじゃないか? みんなで合わせて触手振り回してきてたぞ」

「んや、お主に仕掛ける時点で賢くはないの。それに巨植ジャイアントプラントはそうそう動けんからの。たまたま崖側に生まれただけだと思うがの」

「ん~そういうもんかぁ……でも魔獣は相手の魔力基準で判別するから、おれの場合しょうがないと思うけどなぁ……まぁ根っこ張っちゃうから動くの大変そうだし来た獲物は襲っておきたいのはわかるけどさ……」


 走りながら会話を続けるセキに間髪入れずに魔獣が襲い掛かってくる。

 蜂でありながら三十CRセノル体躯サイズを誇る『殺蜂キラーホーネット』が十匹以上の群れで押し寄せる。

 不気味な羽音と不規則に迫るその魔獣も巨植ジャイアントプラント同様にその細切れにされた後、海風にさらわれる結果となっていた。


 その後の道中も何十匹もの魔獣が襲い掛かってくるがセキは速度を緩めることなく、二本の小太刀で処理しながら疾走する。かすり傷どころか息を乱すことさえ叶わずただただ散っていく魔獣たち。

 骨無き者ゼリー等の動きが鈍い魔獣に至っては襲い掛かることもできずセキの姿を見送るのみとなっていた――

 程なくして陸路の終着点、中央大陸ミンドールの港町である『ホルン』が見えてくる。セキは目標を見据えるとさらに加速しようと足に力を込めた。

 その時――


「あれはまずいんでないかの」


 門から西側の海で漁をしていたのか、『巨蛸ジャイアントオクトパス』の足に絡めとられている小舟をカグツチが見つける。

 締め付けられる舟は亀裂が走り漁師と思われる男が必死で銛で足を刺しているが、魔獣である巨蛸ジャイアントオクトパスの身体にはかすり傷を負わせる程度の抵抗でしかなかった。


「漁師のおっちゃんは気が強いからなぁ……魔獣がなんぼのもんだ! って出ちゃったんだろうな」


 セキは舟に一番近い陸路まで走ると勢いそのままに小舟に向かって跳躍ジャンプする。

 漁師は銛で刺すのに必死で気がついておらずセキが着地の間際に足を輪切りにし小舟に降り立った時に初めてその顔を上げた。

 足を輪切りにされた魔獣がゆっくりと海の底へと沈んでいく。

 

「おっちゃん大丈夫ですか?」


 漁師の男は二十前半へたすれば十代に見える青年が突如現れ魔獣の足を輪切りにするという出来事に一瞬理解が追い付いていなかった。


「お、おう……す、すまねえ。助かった!」


 だが、さすが海の男。細かいことは気にせずにまずはお礼を。


「まだ仕留めてはいないですけど、ほぼほぼ足もなくなってるので、これ以上は襲ってこないと思います。足切ったんで泳げないでしょうし。なので今のうちに戻ったほうがいいかと……」

「よし、わかった! そのまま乗っててくれ! 一緒に港に入っちまうからよ!」


 小舟に取り付けてある魔具が光ると船は港に向かって走り出す。

 そこで漁師の男は改めてセキにお礼の言葉を口にした。


「いや~すまねえ! 『精選』が近いもんだからな? 漁が禁止されるまでに一稼ぎしておこうと欲を出したのがよくなかったみてえだ! 危うくこっちがおいしく頂かれるところだったぜ! 何にせよほんとに助かった!」


 色黒でセキよりも身長が高く漁で鍛え上げた自然な筋肉、それに加えて無精ひげが生えておりワイルドさに拍車がかかっている。

 死を覚悟してたにしてはあっさりとした物言いだがそれも漁師のおっちゃんっぽいな、とセキは思っていた。


「いやぁほんとにたまたま通っただけですし、気にしないでも大丈夫ですよ。でも気を付けてくださいね? こっちの陸路はあまり使われていないようですし……」

「おうよ! 使われてないから穴場なのよ!」


 セキは反省してなさそうな漁師の男を苦笑いで見守るしかなかった。


◇◆

「命の恩種おんじんをそのまま帰したなんて日にゃあ海の男がすたるってもんだ! どうせ宿なんて決まってないんだろ? うちに泊まっていけ!」とセキの返事を聞く気のないごり押しの波に負けたため、今日は漁師の家に泊まり翌日東大陸ヒュートを目指すこととなる。

 それに今の状況を聞くには都合がいいかも? ともセキは考えていた。


「おっとまだ名前も知らなかったな! 俺は『ガサツ』ってんだ! で、こっちは妻の『セラ』、そして愛娘の『リル』だ!」


 家に招かれたセキは固まっていた。


(このおっちゃんの中のおっちゃんのようなおっちゃんになんでこんな綺麗な奥さんが……嘘でしょ? 漁師ってモテるの? たくましい! 抱いて! とかそういう流れなの?)


 ガサツの妻ということで紹介されたセラはライトブラウンの長い髪に整った顔立ちを持っているが、そのとろんとしたたれ目が種懐ひとなつっこさの演出に一役買っておりセキに言わせれば『優しく𠮟られたい女性』といった所である。

 

「あれ? ガサツさんどこからこの二種ふたりを攫ってきたんですか?」


 愛娘も幸い母親の血を色濃く継いでいるであろうことが見てとれる。母娘を攫ってきたと言われたら納得してしまう組み合わせに口から思いが零れるセキ。

 それを聞いたガサツが豪快に笑い飛ばしている様子を見て謎の敗北感に苛まれながらも改めて自己紹介を行う。


「えっと、おれはセキと言います。歳は二十歳で――」

「我はカグツチだの。歳は数えとらん」


 いつの間にか頭の上に登っていたカグツチは行儀よくセキに被せるように挨拶を行う。セキはカグツチが乗る頭に目を向け口を魚のようにぱくぱくとさせている。


 まずい――セキの中で緊張感が高まる。

 そもそも言葉を発する獣は竜の他には『精獣』と呼ばれる獣の中でも長い年月、自然魔力ナトラを蓄えた上位の獣、もしくは同じような上位の『魔獣』しかいない。

 冒険をしている者であれば一瞬で警戒態勢に入ることが当然の流れである。

 

「お! セキとカグツチだな? お前トカゲなのに喋れるなんてたいしたもんだ! 今日はゆっくりしてってくれよな!」

「あらぁ……セキちゃんはおりこうさんなペット飼ってるのねぇ~カグツチちゃんね? たいしたおもてなしができなくて申し訳ないけど魚料理だけはたくさんあるからたっぷり食べていってねぇ~」

「リルです! 五歳です! カグツチちゃん触ってもいいですか!」


 セキは深く考えることを止めた。


「うん、もちろん触っていいよ~! はい、ど~ぞ。噛んだりしないから安心してね~」


 頭の上のカグツチを掴むとセキは膝を折り満面の笑みを向ける。期待に胸を膨らませ、その荒い鼻息と共に可愛らしく震わせているリルの小さな手の平にカグツチを乗せる。


「ふふふっ……我に触れられる機会なぞ、滅多にないことだの……その名誉を噛みしめ――」

「ふあああ……カグツチちゃん可愛い……!」

「ちょっ……待つがよい……必要以上にお腹を撫でるとは! ふぐぅぅぅ――」


 興奮気味なリルから繰り出される遠慮なしのまさぐりにカグツチは戸惑いを隠せずにいる。

 カグツチから解放されたセキは大き目の木円卓テーブルに用意された料理を頂くべく、先程の緊張から解き放たれたことも相まって緩んだ表情を浮かべながら椅子に腰かける。


「セキお前こっちはイケるのかい? 十五歳を超えてるんだし、嫌いじゃないだろ?」


 ガサツが煙木タバコをくわえながら、片手をくいくいっと動かし酒を飲む仕草を見せる。


「ええ、そんなに強くはないですが……煙木タバコも吸いますし」


 セキが腰の布袋から煙木タバコを取り出して見せる。


「おっ? その煙木タバコはめずらしいな! 南大陸バルバトス特有の木から取れたやつか?」

「そうですね。南大陸あっちではそこらに生えてる木なので枝を適当な長さに切って常備してる感じですね。煙も蓄えた魔力も強いので虫除けとか魔獣除けにも便利なのでよかったら――」


 そういいながらセキは蔓で巻いた一束分の煙木タバコをガサツの前に差し出した。


「もうあなたったら……セキくんは陸路から来たってことは丸一日以上歩き詰めってことでしょ? まずはたっぷり食べてお腹を満たさせてあげないとでしょ~」


 セラの言葉にガサツはいけね! っとした表情を浮かべ。差し出された煙木タバコを引き寄せながらセキに拝むように片手でお礼の気持ちを示す。

 

「それもそうだ遠慮はいらねえ! 命の恩種おんじん様をたっぷりもてなさねえとな!」

「ありがとうございます! それじゃ頂きま~す!」


 セキは基本的に自分で狩りをしながら旅を続けていた。

 川で魚を取ることはあるが新鮮な魚は丸焼きばかりで、こんなに綺麗に皿に盛り付けられた料理はひさしぶりだった。

 南大陸バルバトス一種ひとり旅かつ、野宿ばかりしていたセキにとって、食事とは体を動かす栄養を摂取する行為、という面が強く味や盛り付けに気を配ることなど考えていなかったためである。

 ゆっくりと刺身をつまみ、丁寧に口に運ぶ――


「とっても美味しいです……ほらっカグツチもごちそうになったらどうだ?」


 それを聞いたガサツは「あったりめえよ! 俺がとって新鮮なうちにセラがおろしてるんだ! まずくなりようがねえ!」とうれしそうに酒を一気にあおり、セラは箸を進めるセキを母親のような柔らかい目つきで頬を緩ませながら眺めている。


「ふふっ……これもつけて食べてみて? ちょっと刺激があるけど癖になるとおいしいわよ?」


そう言って指刺した緑色の塊……


「あれっ? これってワサビ……ですか?」


 セキが口にするとセラは驚いたように。


「あらぁ……物知りさんなのねぇ……これ昔に南から来た行商の方に頂いてお魚に合うからって魔具栽培してるのよ~……」

「えっと故郷でも作ってる家があって」

 

 セラはその垂れた瞳を小さく見開くと、

  

「言われてみればそうよね~今日陸路から来たんだからあっちの食材にも詳しいのよね? 南大陸あっちは食材だけじゃなくて調味料スパイスもたくさんあるみたいで羨ましいわ~」


 と笑顔の元で同意を示す。母親特有の子供に対するようなゆとりのある接し方は初対面でありながらも、距離を縮めることに抵抗がなくなるような独特の温もりをセキに与えてくれる。

 それは姉と共に過ごし食事を楽しんでいた頃の温もりに少し似ている、と少なからずセキは感じていた。

 そしてそんなセキの横では、ずっとリルにまさぐり続けられていたカグツチが仰向けとなり恍惚の表情を浮かべていた。


 ひさしぶりのまともな料理をセキは残さず平らげ、なんとか復帰したカグツチも刺身を両手で持ちながら満足そうにむさぼっている。

 賑やかな食事はやはりいいものだな、とセキは改めて感じていた――


 食後は待ってましたと言わんばかりにガサツが酒を片手に待機しており、セキのグラスに酒を注いでいると、これまた待っていたというようにリルがセキの膝の上へ、その小さなお尻を乗せてくる。

 もちろんリルの両手には食事を終えたカグツチがしっかりと握られている。


「こらっリル~セキくんのお邪魔になっちゃうでしょ~」


 その姿を見ていたセラがリルを優しくたしなめるが、セキは愛らしいその行動に胸を打たれている。


(な……なんだこの可愛すぎる生き物は……)

「あ~セラさんそんな気にしないでください。むしろ癒されてますから!」

 

 セラにフォローの言葉を放つセキの表情は緩みっぱなしである。


「はっはっ! リル……セキはつええからなー! 今のうちに唾つけといて損はねえぞー!」   

 

 ガサツもすっかりセキが気に入った様子でリルの行動を援護している。

 にひひー、とリルが膝に座りながらセキの顔を見上げてくるとセキの表情は一層緩み、思わずその小さな頭を撫でてしまう。

 そのまま酒を嗜みながら四種よにんでの談笑を続けていると、ガサツがふと気が付いたかのようにセキに目を向けた。


「そういえばセキは陸路でこっちにきてたがどこに行こうとしてるんだ? 『精選』はすでに南にいるお前には不要なものだろ?」


 もっともな質問である。


「えっと、昔ちょっとした約束をしていて……その子は章術士を目指しているんですけど、その子がおとなになって徽章術の基礎を学んだ後に一緒に星団を作って冒険をしようって話ですね」

 

 ずっとリルの頭を撫でまわしているセキが返事をする。

 

「へぇ……お前もちゃっかりしてるやつだなぁ……その子は可愛いのかい?」


 ガサツの口角が上がると同時に好色そうな目つきに変わっている。

 

「あ~っ、そういうつもりで約束をしたわけではないですがそうですね……可愛い……のかな。何しろ十年前なので……子供らしさという意味では可愛かったですけど……去年十五歳で成種せいじんしているはずなので今は徽章術の基礎のために魔術学校にいってるか、卒業してるくらいかと? もしかしたら探求士として経験を積み始めているかもしれませんね」

「あらあらぁ……とっても素敵じゃない~。じゃあセキくんがくるのを中央大陸ミンドールで心待ちにしているのねぇ~……」

「う~セキお兄ちゃんいきなり浮気~!」


 くみ上げた指の上で顎を乗せながらにこにことした表情で相乗りしてくるセラ。さらに追い打ちをかけてくる無邪気な天使リルの言葉は、セキの頬に赤みを浮かび上がらせる。

 

「あ、いえ、その子は東大陸ヒュートにいるんですよ、それでこれから向かおうかと」


 セキの言葉を聞くと同時に怪訝な顔に変わるガサツ。先ほどまでのいやらしいながらも穏やかな表情とは明らかに違うことが見ている者にも伝わってくる。


「その子はどの町にいるんだ……?」

「え~っと……町というよりは村ですね。スピカ村? ……だったはず」


 その言葉でガサツはほっとしたように穏やかな表情に戻るが、セキは逆にその反応を気にかける。


「何か東大陸ヒュートで気になることが?」


 セキは思わずガサツに問いかける。その言葉を受けるとガサツはグラスを持つ手にも必要以上に力がこもる。息を吐いてセキの目を真っ直ぐと見据えながら口を開く。


「ああ、少し前に東大陸ヒュートのピック村付近で『百獣』の目撃情報があったんだ。物騒な魔獣が出たのにこんなこと言うのもあれだが、スピカ村は大陸の西側でピック村は中央付近だが川を挟んで東側だろう? それならそこまで被害は及ばないんじゃないかってな……」


 百獣と聞いてもセキに聞き覚えはなく、警戒するに値する魔獣なのかわからず思わず質問を続ける。


「あの……その百獣という魔獣はそんなに危険なんですか?」

「ああ、聞いた話だと十数年以上は生息しているはずだ……討伐されずにな。今回目撃されたのは過去に『アコス村』を焼き尽くした『火眼獣ヘルハウンド』っていう百獣なんだ。知能が高く討伐隊がきたら姿を消して忘れた頃にまた暴れ出すっていう厄介な魔獣さ……」


 セキにとってはどの程度かはわからなかったが、少なくとも村を焼き尽くす程の魔獣ということは理解できた。

 理解できたが故に少しだけセキに焦りが見え始める。


「すまねえ、不安を煽るつもりはなかったんだがな……」

「いえ、むしろその話を先に聞けてよかったです。えっと……東行きの船ってまだ出ていますか?」

「いや……もう夜も遅いから船はでていねえ。今すぐは無理だが明日の朝、定期船よりも早く出港する商船に乗れるように船乗り仲間に掛け合ってみよう。目星の商船に乗れれば中央大陸ミンドールの東の港へは寄らずに直接、東大陸ヒュートに向かうはずだ!」

「ほんとですか! それは助かります!」


 セキの強張った表情が解れ不安が和らいだことを物語っている。スピカ村は東大陸ヒュートの港町につけばセキにとっては距離は短い。陸路と海路のどちらで向かうか悩んでいたセキに思わぬ助け舟である。


「せっかくのお礼のもてなしだったのにすまねえな……せめて明日に向けてゆっくりと休んでくれっ!」

「いえ! そんな、こんなおいしい料理と綺麗な奥さんと可愛い娘さんにもてなしてもらえる機会なんてそうそうないんですから! うん、言っててむしろガサツさんに嫉妬心が芽生えそうですね……」

 

 その言葉にガサツは大口を開けて笑い、セラはおとなの女性らしくにこやかに微笑んでいる。リルも目を弧の字に描きながらセキを見上げている。

 

「ふふふっ……心配なのはわかるけど、明日頑張るためにもしっかり休んで……ね?」


 セラは寝る前の子供に語り掛けるようにセキの頭を撫でる。


(なんでだ……なんでこのおっさんにこの奥さんなんだ……くっそ……『めっ!』って、𠮟られたい!)


「えー……! じゃあリルはセキお兄ちゃんと一緒寝てもいい?」

「ん? ああ、もちろん構わないさ! って言いたいところだけど、カグツチこいつのほうがいいんじゃない?」


 セキはリルに拘束されているカグツチを指差しながらにっこりと笑顔を向けて答える。すると、すでにいじられ尽くし疲弊の色を隠せないカグツチの目が見開かれ声にならない声を出す口が大きく開かれる。

 

「あ! うん! カグツチちゃんと一緒に寝る! じゃあセキお兄ちゃんは今度一緒に寝よーね!」 

「そうだね~リルがセラさんみたいに成長したらいくらでも一緒に寝るから、というよりおれが寝たいって駄々をこねちゃうかな~」

 

 セキくんったら~、とセラが口にするとガサツはそりゃ楽しみだ! とグラスに残っていた酒を一気に飲み干す。

 夜の静寂の中におもむろに響く穏やかな笑い声。

 野宿では決して味わうことのできない優しい時間。

 セキは改めてガサツたちにお礼の言葉を告げ、誰しもが笑顔で寝台ベッドへと向かう中。

 

 リルの胸元に両手で握られていた偉大な竜はその長い生涯で初めて。

 ――絶望という表情を見せていた。

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