第313話 終着点

「……へ?」


 威厳の欠片すらない間の抜けた声。その声が自身の喉から絞り出されたものだと、アルヴィス自身が気付くことに時を要した。

 そこで、誰もがセキの行動に目を奪われる中で、エステルだけが己の力を振り絞り、ほら穴の中へ駆け出していた。


「あのひとが紡ぐ詩の強大さを――お前が一番理解わかってなかったな」


「こ……こんなはずが。ワシは究極の生命体だ……ぞ」


「枠を広げすぎだよ。上位の精霊ですら凌ぐ膨大な魔力を持つ魔獣だっているんだ。だが、ひとの枠でいうなら……あながち間違えでもなかったな」


「ふざけるな……ッ! ワシはひと如きの枠組みなど超越した存在だッ!」


「簡単に超越なんて言葉を使うなよ……そんな安い言葉じゃねえんだ。許された存在だけが持つ権利なんだよ……」


「ほざけッ! 貴様如きに何が――」


「――わかるよ。この世の……誰よりも」


 心に灯す激しい大炎とは裏腹に、セキが向けた瞳は限りなく冷たい。死を握り合う戦いの中でも見せなかった一面に、アルヴィスは言葉を詰まらせた。


「存分に注意を引き付けたつもりだったか?」


「何をわけのわからないこ……ガッ! がぁっ! まさ……か!?」


「エステルの行動でやっとおれにも意味が理解できたよ」


 アルヴィスが精杯を破壊した途端、ルピナは苦しみだした。そして、何よりもセキがほら穴へ近づいたときにルピナたちは姿を見せた。

 導き出されるものは、至極簡単な一つの答えだ。


「あのほら穴に祀ってたんだろ? お前自身の命と魔力を満たした精杯を。なら……後は簡単だ。お前の意識がおれに向けられてるうちに、エステルが器を破壊するだけだ――」


「この……愚か者がァァァッ! ワシの偉業をなんだと……お前らはおとなしくワシに命を捧げれば――」


 大太刀を持つセキの手がブレたと同時に、アルヴィスの体が細切れとなり、大気へと、そう――魔力の流れへと揺らめいていった。

 あまりにも長い生の果ては、あまりにも呆気ない幕切れを迎える。

 ひとの精霊化、という国家単位が血眼で争奪戦を繰り広げるであろう偉業は、永遠の生に、興味はおろか、目を向けることもない男によって摘み取られたのだ。


「くっ……そっ……こんな――化物ジジイがいるなんて……な」


 余韻に浸るまでもなく、セキはその場に膝を付くと降霊を解く。

 ルピナの加護を受けたアルヴィスの実力は、僅か――ほんの僅かではあるが、確実にセキを上回っていた。

 にもかかわらず、長時間の戦闘の末にこうして身体の原型を保てているのはセキの積み重ねた経験を余すことなく振り絞った結果であろう。

 古の魔術によって刻まれた傷痕は決して浅いものではなく、すでに相手もいない以上、平静を装う必要もない。

 そんな意識がセキの脳裏によぎった時、すでに彼は無意識に脱力を始め、前のめりに身体を放り出していた。


「他を見る目はあったんだがの……自分のことはよぉ見えんかったみたいだの」


 そして、カグツチが称賛と失望の言葉が紡ぐも、その言葉は彼の耳に届くことはなく、力無くその場に倒れ込んだセキへ、ほら穴から姿を見せたエステルが駆け寄っていった。



◆◇

 川のほとり。揺らめく焚き火の明かりが、囲んでいる者たちの顔を照らし出している。そして普段と異なる点は、囲む者の中に黒髪を垂らすひとりの女性が含まれていることである。


「それじゃ……千年間ずっと試行錯誤を繰り返して、辿り着いたってことなんですね……」


「ええ。そう……ね。でも、辿り着いたんじゃないわ」


 エステルと向き合ったルピナは、瞳に自棄の色を携え、頷いた。


「もう……その方法しか残されていなかったのよ」


 焚き火の横では、魚を調理するルリーテの姿があるが、他同様に意識はルピナの話へと向けられている。

 この場でルリーテの料理に意識を向けているのは、カグツチとチピ、という残念な二匹のみである。


「ブロージェ国の跡地から精杯を見つけたの。これを使えば私の時と同様に――ってね。それもあって、最初はあなたたちがブロージェの探索隊だと勘違いもしていたわ」


「あんたたちの精霊体がオレたちの理解できる代物じゃねえってことはわかる。だが……それは可能なもんなのか?」


 ルピナが手に持つカップの揺らめきに目を落としていると、グレッグが質問を投げかける。

 そしてグレッグはいまだ、目の前の女性が現実よりも幻想に近い存在だということに戸惑ってもいた。


「きっと……無理だと思うわ。私がこうしていられるのは、死んだばかりの肉体があったからってことも大きかったと思うから」


 明らかに出会った時点の彼女よりも存在が儚い。憎悪や執着を身に纏うことのない彼女は、あまりにもか弱く映っている。

 どのような形であれ、支えを失う、ということがどのようなものか、暗に告げているようでもあった。


「セキ……くんが言ったとおりよ。この時代でいくら集められたとしても、そこから得られる肉体魔力アトラに宿る意思は他種たにんのもの。いくら集めても……――むしろ集めれば集めるほど、自我の混濁した化物が産まれる可能性だって……あったわ」


「心がないってことですよね……」


「そう……ね。自我――意識は死ぬと自然魔力ナトラの流れに還るというのが通説。でも……そんな膨大な流れから特定の意識を抜き出す……なんて、できないわよね」


「でも……それでも……千年の時間を捧げるほど、大切なひとたちだったんです……よね」


「逆でもあるわ。千年の時を生きるにはひとの心は繊細すぎるもの。周囲の機微に敏感で……様々な色を見ることができる。だからこそたないわ。次第に疲れて……色褪せてしまう」


 俯いたルピナの髪が、はらり、と表情を隠すように流れた。その意味の重さに口を挟むことができるものはこの場にいない。

 唯一の実体験を持つカグツチも、今のカグツチだからこそ、喉を震わせることはできなかった。


「それこそ何かに捧げて……ううん、妄執に取り憑かれることでしか、私たちは自我を保てなかったのよ」


 ――他に目を向けない。

 それが唯一の解決手段だったとルピナは懺悔のように告げた。

 だが、その矛盾をエステルは理解している。いや、ルピナ自身も忘れているわけではないのだろう。

 ゆえに彼女の心が揺れたのだから。


「もう疲れてることに気が付けなかったのよね。もうきっとダメなんだろう、なんて頭に過ぎったら……だからせめて何か少しでも……この気持ちが。心が凍えてしまう前に誰かに……」


「お母さん。すごい感謝していました。わたしが今こうしていられるのも、星の……『ルナ』のおかげだって」


「数十年前……かしら。この精杯の術式に取り掛かった頃……ね」


 エステルにとっては己の生。全てを詰め込んだ時間だ。だが、ルピナにとってはまるで昨日のように思い出せる。それは千年を生きたという時間の概念だけではない。それほどまでに温もりを覚えた大切な記憶でもあるからだ。


「迷いが生まれたの。それからかな。ときおり時間を見つけてはここから離れるようになったわ――」


 ぽつり、と呟くように、だが、淀むことなく彼女はあの頃を振り返り始めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る