第109話 特権階級

「これはこれは……エムスン卿。貴方の祝辞をお聞かせ頂けるのかと期待していたのですが……とても残念ですわ」


 開口一番。ナディアがエムスンに掛けた言葉である。

 エムスンの背後に立つ革鎧レザーアーマーの男も口元を抑えているが、漏れ出る笑い声は抑えきれていない様子だ。


「リディアの妹か? 姉に似ているのは顔だけのようだな。生意気な……立場が分かっていないのか?」


わたくしはジャルーガルにお世話になるつもりはありませんの。なので、貴方に媚びを売る必要もありませんわ」


「ナディア……ダメよ……貴族様は少なからず各国で繋がってることも多いから――」


 引くことを知らないナディアを抑えるべくリディアが背後から囁くもナディアの耳には届いていないようだ。

 また、父親も娘を守るべく堂々とした立ち姿を見せていた。


「エムスン卿。もう貴方との件は私たちが追放されたことで償ったはず。それをまだ蒸し返すというのは約束が違うのではありませんか?」


「くくっ……ほんの戯れの挨拶に何をムキになっているのか。俺の寛大な処置のおかげでリディアの恥を大衆に晒すことなく逃げおおせることができたのだ。額を地に擦り付けて感謝するべきではないか?」


 エムスンの背後の革鎧レザーアーマーの男はうんざりした様子で明後日の方角を見ている。

 見えないこともあり、辟易した態度を隠す様子が一切見受けられない。


「わ……私は……――」


 リディアがエムスンに反論を試みようとするも、後に続く言葉を紡ぐことができず俯くばかりだ。


「私は自分の娘を信じているのでね。誤った噂を流されることを恐れただけで、貴方の言い分を認めたわけではない」


「平民は貴族からの恩をすぐに忘れるから困ったものだ……そもそもお前らが南大陸バルバトスに住居を構えることができたのも、精選後のリディアをこの俺が拾ってやったからということを忘れているのか……?」


 エムスンは常に優位でなければ気が済まないとでも言うように、不遜な態度にしがみつく姿を見せる。

 貴族という立場がここまで増長する原因であることは明確であるが、後ろで控える男の存在も決して小さくないということは前に立つナディアたちにも理解できていた。


「ぐっ……そ、それは……」


 父親が言葉に詰まるや否やエムスンはその醜悪な顔をさらに歪ませながら、


「クハッ! クハハハッ!! そもそもお前らが俺と対等に視線を合わせてること事態おかしいとやっと気が付いたか!? その無礼を許すこの俺の広い心に感謝が見えないのもおかしいがなぁ……!」


 通路に響き渡る下卑た笑い声。

 訝しげに通路を覗く者の姿も増えてきている様子だ。


 過去の経験上、長くなると判断したのだろう。

 周りとは対象的に革鎧レザーアーマーの男は興味を向けることなく、通路の壁に背を預けており、時折欠伸をしている姿も見られた。


二種ふたりとも、私のことならいいから……もう行こう……せっかくのナディアの門出なんだから……」


 探求士たちは会場にいるとは言え、他の騎士や給仕はこの騒めきに視線を向けている様子だ。

 どちらかと言えば野次馬根性と言うよりも、何か問題が起きた時に迅速に対処するための少しばかり冷ややかな視線でもある。


 リディアの言葉に歯を軋ませながらも、ナディアと父親が動こうとした時、


「立場が分かったら今度は謝罪もなしに逃げるとはなっ! これだから恥知らずなやつらは困る! 貴族であれば自分の醜態に対する責任を放棄して逃げるなどとてもではないができない! 羨ましい限りだよ!」


 傲慢な態度から次々と声高に発する言葉は周りに聞かせる意味も含めていたのだろう。

 貴族という立場からひとを嘲弄する自身に酔っているようにも見えるその姿は、柱の陰で聞いていただけのエステルも溢れ出る嫌悪感に拳を握りしめる始末である。


 エムスンの言葉にリディアが二種ふたりの前へ立つと、深々と腰を折り、

 

「エムスン卿。父と妹の無礼を――」


「謝る必要なんてないと思います!」


 我慢の限界だったエステルが思わず飛び出す。

 このような状況で他種たにんが口を出すほど、事態がややこしくなるものではあるが、我慢するにも限度があるのだ。


「エステル……? どうして?」


 目を剝いたナディアに説明をするのは後回しである。

 エステルはナディアたちを一目見て頷くとエムスンにその鋭い視線を向け直した。


「貴族だったら何を言っても許されるんですか? たまたま聞いていましたがわたしにはあなたの態度のほうが失礼極まりないと思いますよ!」


「なんだこの小娘は……白霧病の感染者キャリアは引っ込んでろ。プリフィックに尻尾を振ってれば拾ってもらえるかもしれんぞ?」


 エステルの突然の乱入に面食らうも、見るからに騎士や貴族の類ではないという身なりから、エムスンは態度を崩すことなくエステルに対して唾棄するような視線を向けていた。


「エステル。気持ちはうれしいですが、これからという時に貴女にまで迷惑をかけてしまうわけにはいきませんわ。だから……」


「な~にを勝手なことばかり抜かしている? 自分から首を突っ込んできた以上、責任は自分で追わねばならない、ということを教え込む必要があるだろう?」


「責任? 無責任にひとを傷つけるあなたの口から出る言葉とは思えませんね! 国に所属しない探求士にあなたが干渉できるとはとても思えませんけどねっ!」


「くくっ……権力だけが貴族の取柄だと思っているのか? この権力を盤石にする武力を持つからこそ貴族は特権階級として君臨できるんだよ……おい『ワーグ』。この生意気な小娘に現実を教えてやれ」


 もたれ掛かった壁からずり落ちそうなほどに睡魔と戦っていた男は、エムスンの声で、咄嗟に顔を上げると辺りを見回しはじめる。


「エムスン卿。こ~んな場所でいたいけなお嬢ちゃんにお仕置きなんてよろしくない噂が立っちまいますぜ~? それとも……噂も立たないようにしときますかい?」


 気怠そうに壁から背を放したワーグ。

 凝りをほぐすように首を左右に振りながらエムスンの隣へ歩み寄った。

 その姿を見るや否や、エステルとナディアが身構える。


「クハハッ! さすが言わずとも理解するとは高い金を払っているだけのことはある!」


 ワーグの提案に歪んだ笑みを天に向けて解き放つエムスンだったが。


「なんだか騒々しいっスね。今日の主役は探求士さんたちっスよ」


 あどけない顔の一種ひとりの騎士が現れたことにより、様子を伺っていた騎士たちさえも愕然としたまま硬直する事態に発展することとなった。

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