第299話 樹海の秘密

「ん……! あの先。景色変わってる……かな」


 三日。

 モルトと別れたあとに森を彷徨っていた時間である。常に薄暗い森の中で時間の感覚も麻痺している。

 だが。


「やっと出口ですかっ! 薄暗いところばかりの食事では気が滅入ってたところですっ!」


「やっと……か。だが、エディの腹時計に助けられるとは思ってもいなかったぜ……」


 エディットの腹部から発する警告ともいえる空腹を知らせる音が、信じられないほどに正確であるがゆえに、鈍った感覚でありながらも、時間感覚を共有することに成功していたのだ。

 進行中。お腹が鳴ると共に恐る恐るルリーテを見上げては、冷ややかな視線を浴びることになっていたが、その程度でめげるエディットではなかった。


「結局あれからは声……聞こえなかったね」


「そうですね。こちらが引き返す意思がないということを理解していたのでしょうか」


 足取りに重さを覚えることはなかったが、代わり映えのない景色に辟易していたことも事実である。

 そこで光明が差せば自然と進行速度が上がることは、必然ともいえるだろう。それでもセキを追い越すことはせず、むしろ背中を押すように進む姿は各自、気を緩めず警戒している証拠でもあった。


 陰鬱とした森の終わりに覗くのは剝き出しの岩肌。

 だが、微かに見える印象とは裏腹に一行が歩を進めた先に待ち構えるは緑溢れる大地だった。


「周りが山? 崖? に囲まれてる感じかな……? 巨大凹地カルデラみたいな……」


 エステルの言うとおり、地形としては周囲を岩山に囲まれた巨大な鍋状の窪地だ。 寂しさを伴うはずの剥き出しの岩壁の下。土地の豊かさを見せつけるように、育まれた木々とのコントラストを演出しており、景観に潤いを与えている。

 さらに奥へ眺望を開ければ、景観の主体は透き通った水音を奏でる川に移る。薄暗い森に慣れきった瞳に、水量豊かな長大な川と解放感溢れる空。二つの青が飛び込んでくる。


「なんといいますか、先ほどまでの……いえ、先ほどまでが闇一色だったからこそ、ここまで荘厳に映るのでしょうか」


「ここで食べるご飯は美味しそうですよっ!」


 ルリーテとエディットも求める先は違えど、圧倒されている、という感覚は共有している様子だ。


「このでかい崖に囲まれてるんじゃ、気軽に往来できる環境でもなさそうだよな。だが、あのでっけえ川は外に続いてるように見えるな」


「うん。出るときはあそこからでもいいかも?」


 景色の感想はすんなりと喉を通すことができる。だが、各々が描いていた得体の知れない何か、を示すような手掛かりが視界に収まる気配はなかった。


「セキ。こっちのどこらへんから……」


 エステルが肩越しに背後を見ると、セキは景色ではなく今出て来たばかりの森と睨めっこをしている。

 森と正面から向き合い。一歩森に踏み入り、また出る。さらに森の切れ目の境界線上を観察しているようでもあった。


「セキ?」


「仕組みがわかった」


 セキの手に招かれエステルが森に足を踏み入れる。そこでも疑問符を煌々と浮かべるエステルと共に森から出ると――


「グレイ。森に戻れる?」


「んお? どれ……ちょっくらその仕組みの解明に一役買ってみっか」


 言いながら、森に向かうグレッグはあのときのように、足を踏み入れることなく、自然と森に沿うように歩き出していた。


「いま、グレイが歩いてるところが境界線だね。明るいところで見てやっとわかったけど、ほんのり黒めの魔力が漂ってるのが見えるから」


「じゃあ……魔力が漂ってる空間だった――ってこと?」


「うん。森の特性なのか詩なのかわからないけど、この魔力が漂ってるところは異常に気配がなくなる。なんだろ、存在感も吸収しちゃってるみたいな感じ?」


「セキ様でも気が付くことができなかったのは、森の薄暗さに紛れて……」


「そう! たぶん森の中でもこの魔力は漂ってたんだと思う。でも明暗差がなさすぎて見えてても、気にとめることができてなかった」


 セキの説明を熱心に噛みほぐす中で、自然とグレッグは森に沿って離れていく。

 ルリーテはそんな光景を視界に収めつつも、セキとの会話を優先する鬼畜っぷりを発揮している。

 エディットが「レイさぁんっ!」と叫びながらしがみつかなければ、行方も怪しいところだったと言えるだろう。


「たぶんこの魔力、混濁させるってより、向けられてた意識も吸収しちゃうんじゃないかな?」


「だから今のレイみたいに、向かう意識がなくなって呆然と歩いていっちゃう?」


 エステルもグレッグに割く意識をセキに向けているようだ。この場合はあくまでも故意であるが。


「なるほど。だからわたしたちが周囲にいても、気にせずに他の方角を目指してしまう、と。そして吸収された意識を埋めるのは簡単ですね」


「うん。外部から接触してあげればいい。誰かが気が付かないとみんな揃って疑問を持たずに明後日の方角――だけどね」


「そっか。森の中でわたしに向かって歩いたらレイがすんなりこれたのは、森じゃなくて、わたしへの意識だったから……」


 セキ、エステル、ルリーテの中ではだいぶ、理解が進んだようだ。

 そこでエディットが、頭を搔きつつ状況の把握に努めようとするグレッグに要点を伝えている。グレッグの扱いについて、パーティ内の意思統一が見られる光景である。


「あれ? カグツチって中でどうだった?」


「迷うわけないんだの」


「おれと繋がってるから?」


「んや。意識に乗せた魔力が吸われるとしても、我の魔力は吸おうとすれば逆に燃え尽きるだけだからの」


「ああ。そうか……それで俺の場合は、魔力が出せないから」


「うむ。お主の場合はそうだの」


 広がった視界に比例するように、状況が深く掘り下げられていく。「エステルが吸われん理由がわからんがの」とも付け加えている。まだ掘る余地はあるが、以降の硬い岩盤を掘るための知識道具が足りない。そんな感触を各々が抱いていた。


「まぁ強い弱いは知らんが……何かあるなら強そうだの」


「ん~声の持ち主は土地の精霊なのかなぁ……これだけの自然ならひとを拒むってのも、気持ちはわかるようなわからないような」


「そうだな。何よりエディがいなかったらどれだけ放置されたのか。考えるだけで背筋がキンキンに冷えるぜ」


 そこでついにグレッグが合流した。エディットの説明講座を終えたあとも、しばらくは白い目をエステルたちに向けていたが、しびれを切らしたらしい。


「でも、レイのおかげで解明に一歩、ううん、三歩は近づいたよっ!」


 具体的な風でいて、漠然とした感謝を告げるエステルも悪気はない、と八重歯を覗かせている。おまけに胸元で両拳を握りしめる仕草をわざわざ見せつけるあたり、うやむやにしよう、という心根が透けて見えていた。


 さらに後ろでは、エディットがお腹をさすりながらルリーテを見上げているが、ルリーテの瞳が映し出しているのは、セキの姿だけであった。


「まぁオレへの扱いはあとできっちり話し合うとして……」


「話し合う内容がなさそうですが……差し当たっては周辺の探索――でしょうか?」


 エステルが頷こうとするも、エディットが視線をルリーテからエステルに移している。と、同時に言葉にしない圧を発してもいる。


「ぐっ……んっと本格的な探索の前にご飯に……しよっか」


「賛成ですっ! 何をするにもまずはお腹を満たしてからですからねっ!」


 空に響き渡るエディットの同意の声に続き、一行は日光石の明かりを全身で感じつつ、自然の温もりをその身に宿した芝草の絨毯へ駆け出していった。

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