第219話 化物 その1

「そんな気休めなんて……――はっきり言ってよ……ッ!! わたしは……わたしはセキのように強くなんてなれないって――ッッ!!」


「ちがッ――そういう意味じゃ……エステっ――」




 渇いた音が闇夜に響き渡った。

 軽い音でありながら、誰もがその身を硬直させるほどの音色。

 表情に影を落とすに十分な苦い余韻は、誰もが浸ることを拒否するだろう。



 エステルの頬に浮き上がった紅潮は、顔に紅葉を散らしたわけではない。

 平手をそのままに、口を一文字に結んだルリーテが刻んだものだった。


「セキ様以外何もできなかったことも。そして……の言葉がわたしたちの立ち位置を剥き出しにしたことも悔しいですが……認め難くも真実……ですが……セキ様に声を荒げるのは……――間違っています」


 その場の誰もが思考に空白を刻んだ。

 だが。

 エステルはこわばる体へ無理やり気力を押し流すように、俯きながらも歯を軋ませた。

 ルリーテと向かい合うことなく背を向けたエステルは、暗がりの続く闇夜の道へ走り出す。

 その姿にルリーテはうなだれるように力無く視線を下ろし、臀部を地に落としていた。

 握りしめた手が震えている。

 それは怒り故か。

 それとも――



◇◆

 物語は契約期間の最終日に動き出した。

 記念すべき日になる。誰もが仄かに胸に想いを宿していた日であり、願うだけであればそれも自由だ。

 思い通りの記念日となるかは別の話であるが――


「え~っと……後は『忘れな草』だね……わたしの記憶が正しければこの近くに……」


「なるほどね……これか!」


「いやいや。こっちじゃねーか?」


「セキさんそれは『毒簪どくかんざし』という草です。グレッグさんが持ってるのは『紅毒団扇こうどくうちわ』。どっちも猛毒です……」


 治療を終えたエステルたちは、数日の療養期間を経てクエストに復帰していた。

 エディットの腕だけは未だ完治していない状態ではあるが、他の傷については傷跡の有無はあれど、クエストに支障がでないレベルまで治っている。


 段階的にクエスト難易度を上げ、治療後の体の状態を確かめてきたが、明らかに治療前よりも動きにキレが出ていることを各々が実感していた。


 そしてグレッグとの臨時契約最終日である今日。

 互いに牽制をしているわけではないが、意識しないことは不可能という考えの元、結局はクエストに向かうことを選択していたのだ。


「これでしょうか……? 特徴は一致していると思いますが……食用以外ですとちょっと自信が持てませんね」


「それです! あと、セキさんとグレッグさん。とりあえず目に付いた草を手にとるのはやめてくださいっ」


「よ~し! これで達成条件は満たせるね! わたしも薬草の特徴。もう少し覚えておかなきゃだなぁ……」


 そんな中で選んだクエスト。

 レルヴから西の巨大凹地カルデラに形成された湖周辺探索である。

 特有の地形から採取できる薬草類が目的ではあるが、森林や峡谷とはまた違った魔獣の生態分布となっており、強さと薬学の知識を兼ね備えたパーティで挑む必要がある。

 そのため、魔獣の討伐、薬草や鉱石の採取、等の片方だけを満たせば解決するクエストよりも難易度は上とされているが、手間に対するリターンが見合っていないと考える者も少なくない。

 その事実を示すように、この周辺で他の探求士の姿を見かけることは一切なかった。



「それじゃ街に戻ろう! ちょっと夜光石の時間に掛かっちゃいそうだけど、明るいうちに戻れそうでよかった……!」


 本調子を取り戻したとはいえ、クエストの時間帯は今まで以上に注意を払っている。

 この地域じたいもまだまだ慣れたとは言えない以上、不利な状況をなるべく減らすという心構えの表れでもあった。


「エステル……んで、みんな。待たなくていいから……そのまま帰り道を歩きながら聞いてほしい」


 セキはまたも名も無き草を無造作に摘まんでいるばかりで、視線を誰に向けることはない。

 セキの声色トーンが普段よりも低いことを察した面々は、動きを止めることなく荷を背負い、帰路の道へ足を向けた。


「この巨大凹地カルデラの地形もあるのかな。湖の対岸とは言わないまでもかなり距離がある……けど……視られてる」


 各々が武器を握る手に力を込めるも、普段通りを装う。

 無意識に力の込め具合に応じた前傾姿勢となるが、不自然さはないと言っていいだろう。


 続くセキの言葉を背中で受けると、喉を鳴らすことなく、沈黙を以って返事を成す。

 先頭を歩くグレッグが見通しの良い草原から、木々の密集する森林へと進路を変えるが、エステルたちも動じることなく後に付いていく。


 背丈の高い木々の隙間に足を踏み込むと見通しは思ったよりも悪くない。

 歩けば死角となるタイミングは存在するが、比較的周囲を覗けるほどには木々の間隔が空いていた。


 黙々と進むエステルたちはすでに五名ではない。

 最後尾にいたはずのセキの姿は神隠しと言えるほどに、自然と音もなく消え去っていた。

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