第239話 ニモリートへ その6

 初見ではあるが、ブラウの知る妖精幽フェリアの特徴と一致している以上、疑いの余地はなかった。

 種形にんぎょうのように小さな体躯。

 背中から生える蝶の如き羽。

 両手はひとと同様だが、ひとで言う足首から先も小さな羽となっている。


 そこで妖精幽フェリアがブラウを認識したのか。

 怯えるようにその身を縮こめ、震えている。


(怪我をしてる!? 髪とか羽が溶けてるような……)


 全身が濡れており、その状態で這いずった結果、泥まみれとなっている。

 さらに透明色に近い長髪だけでなく、妖精幽フェリアの特徴でもある背中と足の羽もが溶けかかっている。

 衣類はもともと身に付けていないのか、しなやかな女性のような裸体であるが、火傷のように皮膚がただれていた。


「だ……大丈夫か? 怯えなくていい。俺は……きみを傷つけない」


『ニィ……』


 ブラウがこの状態を見過ごすことはありえない。

 そっと両手で包むように、妖精幽フェリアを手に乗せた時、火傷のように手の平に熱さと痛みを感じ取った。


「――ぐっ……あっつ!! この液体……消化液みたいなもんなのか!?」


 ブラウはそっと石の上に妖精幽フェリアを乗せると、自身の腰に下げた水筒を手に取る。

 土で拭うことも考えたが、この神秘を詰め込んだような体を汚すことに抵抗を覚えたため水を用いる判断に至っていた。


「――ダメだ。これくらいじゃ足りない!」


 水筒の中身を全て被せた後、布で妖精幽フェリアを包み、海辺に向かって走り出す。

 ぬめりのある消化液は、水筒程度では落としきれず、布を焼きブラウの手も焦がしていくが、痛みに悶えている暇をブラウは感じていなかった。


 突如戻ってきた姿を見かけたクリルとゴルドが首を傾げるも、気に留めることはなかったが、


「クリル!! 水を! 水を出してくれ!!」


「ブラウ~……なに言ってんの? ――って、なによそれ!?」


妖精幽フェリア……? だよね……?」


 絶句とも驚愕ともとれる表情を見せていた。


「そうだ! 事情は分からないが、消化液にやられてる! だからそれを今落とそうと――」


 クリルが岩の窪みに両手を添えた。


「――わ……分かったわ!! 〈下位海魔術ウルス〉」


 出力を調整した詩は、岩を削ることなく窪みに真水を満たし、水溜まりを作った。

 ブラウが妖精幽フェリアの体ごと水溜まりに浸し、片手で水をかけながら消化液を落としていく。

 その間もクリルは詩を詠み続け、水溜まりの水を循環させるべく溢れ流していた。


「大丈夫か……?」


『ニ……ニィ』


 妖精幽フェリアは、依然弱っているものの体を蝕んでいた消化液が落ちたことで幾分、落ち着きを見せるが呼吸は荒いままだ。


「ブラウの手は後回しにさせてね――〈癒しの中位土魔術ラティア・ドルライザ〉」


 そこにゴルドが癒しの詩を詠む。

 しかし……


「治癒……できない?」


「治癒魔術の光の粒が弾かれてるように見えるわ……ひとと同じような考えじゃダメってことなの……?」


 消化液や泥を全て落とすと羽や体の至るところが溶けているが、血が噴き出す様子はない。

 傷口から見える体内は光の粒で埋め尽くされており、根本的に構造が違うのだ。


「しっかりしろぉ……大丈夫。大丈夫だからなぁ……」


 水から出すと濡れた布を捨て、新しい布で包み岩の上に寝かせ、ブラウが力強く言葉をかけ続ける。

 頭を指先で撫でると心なしか微笑んだようにも見えた。


「ダメだ……――僕の詩じゃこの子を助けてあげられない。かと言って妖精幽フェリアの治療方法なんて知らないし……」


「分かった……ならクスクーバに戻ろう。そこなら何か知ってるひとがいるかもしれない」


 ゴルドの言葉を聞くや否やブラウは即断した。


「ええ。それならあたしとゴルドが先行するわ。ブラウはその子抱えてついてきて」


 誰一種だれひとりとして迷いなく、クスクーバの方角へその目を向けた。

 ブラウが布で包みながら、胸元に抱え立ち上がる。


「少し揺れたりするけどほんのちょっとの辛抱だ……すぐ元気になるからなぁ~」


『ニニィ~……』


 言葉が通じているかは問題ではない。

 一種ひとりではない。

 寂しくもない。

 だから怖がることもない。

 そう伝えるためだけに、ブラウは赤子をあやすように声を掛け続けた。


『ニッ……』


 その声に反応したのか、震えるか細き腕が上がる。

 探るように迷走した小さな手がブラウの胸元へ伸びると。


 小さな腕先は一切の抵抗なく、ブラウの胸部に差し込まれた。

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