第82話 魔獣の焦燥

「魔獣たちも何か知らないけど焦りが見えるさね……とは言っても……後衛は全員やられちまったからねぇ……ジャワもドライも……そして私も前衛じゃ押し切る火力が怪しいところさね」


 傷だらけの軽鎧ライトアーマーを纏う茶髪の女性は自分たちを追い詰めた魔獣たちのどことない焦燥を感じ取っていた。

 口調とは裏腹に、喉の渇きを助長するかのように流れる汗は、水を頭から被ったように衣類を体へ張り付かせている。

 取り乱せばそこで希望が途絶えることを理解しているがゆえに、せめて体裁だけでも取り繕っているような状況だ。


「諦めるなキーマ! 魔獣はもともと統率なんて取れていないんだ……! 精霊が気掛かりで俺たちに集中できていないなら突破口になり得るぞ!!」


 魔獣に距離を詰めさせぬよう、槍を突き出しながら牽制する茶髪の適受種ヒューマンの男が激を飛ばす。

 キーマ同様に身に付けた銀色の軽鎧ライトアーマーは、至る所に傷跡を残しており、腹部に至っては切り裂かれた箇所から血が滲み出ていることが伺えた。


「ドライの言う通りだ! 殲滅ができなくても……切り抜けられればいいんだしな――ッ!!」 


 両手に短剣を構える金髪の受精種エルフは、ドライと呼ぶ銀色の軽鎧ライトアーマーの男に同意の声をあげた。

 他の二種ふたりとは異なり鎧ではなく、動きやすさに重点を置いた、漆黒の皮ジャケットに同色のズボン、機動力重視に見合った軽量のブーツで固めている。

 たびたび魔獣の前線に切り込んでは引き下がり、致命傷を与えるに至りはしないが、魔獣の群れの動きを止めるに十分な役目を果たしていた。


 元々六名編成のパーティであったが、すでに残るは三名。他探求士も踏み込まぬ奥地に身を置いていることを薄々ではあるが、認識している。

 前回の精選を経験しているがゆえに、この奥地まで先行することができたが、その行動が逆に待ち構える魔獣たちとの連戦を呼ぶという惨状を招き、精霊の一斉誕生のタイミングなど気にする暇もないほどに、戦闘に明け暮れる結果となっていた。


「あの奥の道へ突っ込むしかないさね……通ってきた通路、いや、もう途中から落ちてたようなものだけど、ちょっとあの高さじゃ戻れそうにない……それに、ここまで来たらせめて最奥地くらい眺めないことには割に合わないからねぇ……――〈下位火魔術ヒルス〉!!」


 追い詰められた状況からの生還を図り、キーマが魔術を詠む。頭部ほどの大きさの火球が魔獣の群れの先陣である珊蠕虫コーラルワームへ捩じり込まれると、その巨体が背後へ仰け反っていく。


「それは俺も賛成だ! 乗るぜ!! 〈曲線の下位風魔術シヌス・カルス〉――ッ!!」


 好機チャンスと見たジャワが続けて放った風の魔術は軌道が直線ではなく、風の刃が横に回転しながら周囲を切り刻む魔術である。

 キーマの作り出した隙を突き、珊海蛆コーラルスレーターたちをその刃の餌食とする。


「ああッ!! それなら先に逝ったやつらにも自慢できそうだ! 〈渦の下位水魔術ウェルテクス・ミルス〉!!」


 さらにドライが魔獣へ距離を詰めながら魔術を放つ。

 左手から放たれた水弾はうねりを帯びつつ、水流の渦へとその姿を変え、先陣の珊蠕虫コーラルワームとその周りの珊蜥蜴コーラルリザードもろとも捩じり裂いた。

 さらに槍を横一線に薙ぎ払い退路を切り開いていく。


 連携により、魔獣の群れを縦に割いた間隙を縫い、さらに奥地へと続く通路へ向けて地を蹴る三種さんにん

 持ち前の身軽さで、先頭を駆け抜けたジャワが通路の入口へ足をかけようとした時、岩の大地にひび割れが入り、突如顔を覗かせたのは珊蠕虫コーラルワームだった。


「――なッ!?」


 背後へ弾き飛ばされるも後続のキーマに受け止められ、傷を負うことは避けることができた。

 しかし、縦に割いた群れに無理やり突入した代償はあまりに大きく、四方を魔獣に囲まれる事態を招いてしまった。

 すでに汗まみれであり、今さらこの状況に嘆き、新たに額に汗を吹き出す必要はない。三種さんにんは、取り囲む魔獣を睨みつける。


「さぁ~て……最後の足掻きを見せてやろうじゃないか」


「ああ……簡単に食われるなんて癪に触るしな!」


「キーマ! ジャワ! 互いに背を預け合うぞ!!」


 珊蠕虫コーラルワームは、消化液を垂れ流す口からキチキチと、不快な音を奏で。

 珊蜥蜴コーラルリザードは、今にも飛び掛かるような耳障りな唸り声をあげている。

 さらにその巨躯の間を埋めるように、七対の足で這いずり回る珊海蛆コーラルスレーターの動きが目障り極まりない。


 三種さんにんは、それぞれに武器を構えるも先手を打つことを躊躇っていた。

 この膠着状態が破られるということは、死を意味することを直感で理解しているためだ。

 だが、この距離で相手に先手を打たれれば、それこそ為す術なく体を貪り尽くされるだけだ。

 ドライが吸った息を、大きく吐きだしている音が二種ふたりの耳へ届く。

 それは覚悟を決めた証でもある。

 次に大きく息を吸った時が、最後の死闘への合図となることを理解したキーマとジャワは、カラカラの喉を鳴らし呼吸を合わせた。


 武器を握り直し地を蹴り出そうとした瞬間、その静寂は空から響く詩によって破られた。




「〈星之導きメルアレン〉――ッ! エディ! お見舞いしてあげなさいな!」

「はいっ! ナディアさん! ――〈中位火魔術ヒルライザ〉ッ!!」


 海の底に振る火の雨はキーマたちを取り囲む魔獣たちへ向けて、惜しみなく降り注いでいく。

 三種さんにんはあっけに取られたまま、身動きができず、火の海の中で絶叫と共に踊り狂う魔獣たちをその目に映すだけだ。


「ルリ!! 『引月ルナベル』を解除するよ!!」

「はい――エステル様」


 さらに火の雨が止んだ直後に翠色の影が地に降り立つ。出で立ちは他の探求士と代り映えがするものではない。

 だがその堂々なる立ち姿、流麗に魔獣を切り刻んでいく美しさに状況を忘れ、目を奪われる。


 しかし、魔獣たちも殺される時を待つ個体ばかりではなかった。

 キーマとジャワへ向かって最後の一噛みと言わんばかりに、牙を剥き出しに飛び掛かったのは珊蠕虫コーラルワーム珊蜥蜴コーラルリザードだ。

 ルリーテの舞いを呆然と眺めていた二種ふたりが反応できるタイミングではない。

 だが、命を賭けたその一撃は肉を食いちぎるどころか、触れることさえも叶わない。


わたくしは男のかたを――!」

「わたしは女のひとだね!」


 ナディアとエステルの詩が重なる。


「〈星之結界メルバリエ〉――ッ!!」


 ジャワの周囲には緑色、キーマの周囲には赤色に輝く球体状の膜が展開される。

 ジャワに向かった珊蠕虫コーラルワームは、噛みついた際に牙もろとも口を切り裂かれ、キーマに向かった珊蜥蜴コーラルリザードは振り下ろした爪が燃え上がった。

 啼泣ともとれる魔獣の叫びを置き去りに、エステルの詩が窟内へ反響した。


「――〈引月ルナベル〉!! 引き寄せてっ!!!」


 ナディアとエステルの発した結界に触れ悶え狂う二匹の魔獣を、キーマとジャワから引きはがすように背後へ引き寄せた時、そこに居たルリーテの小太刀によって、その身を両断されることとなった。



「大丈夫ですか! 傷を見せてくださ――……きっ……キーマさん!」


 エディットがキーマ一行に駆け寄るとそこで初めて顔を見合わせることとなった。

 エディットの驚きの声にエステルとルリーテも反応すると急ぎ足でキーマの元へと集まっていく。


「エディットちゃん……それにエステルちゃんも、ルリーテちゃんも……」


 キーマは気が抜けたのか臀部を床にストンと下ろすと、胸いっぱいに吸い込んだ息を吐き出した。

 ドライとジャワもエステルたちの話をキーマ自身から聞いており、眉間に寄せていた皺も緩み、すっかり気を抜いた表情を取り戻していた。


「きみがエステルさんなんだね。俺はキーマと一緒のパーティで一応リーダーをしているドライだ」


 気を抜いた反動か、体の節々が悲鳴をあげていることが見て取れるほどに、ドライはぎこちない足取りでエステルの元へ歩み寄った。

 ドライの差し出した手を受けるエステルだが、さらにドライはもう片方の手を添え力強く握りしめ、


「ほんとに……ほんとに助かった……ありがとう……」


 真っすぐな瞳でエステルを見つめていたドライは、握りしめた手に額を押し付けるほどに深々と頭を下げた。

 エステルはその姿を黙って見つめ、何も言わず自身の左手も添えた。


「俺はジャワだ。もう正直言えば諦めていた……命を救ってくれたこと、そして仲間の想いを繋ぎとめてくれたこと……ほんとに心の底から感謝する……」


 続いてジャワも集まっていたエステルたちに向かって腰を折った。

 すでに自覚した疲労はその両足を支える力を失いつつあり、小刻みに震えてはいるものの、感謝の意を示すジャワの気持ちを邪魔することはできなかった。


「私はキーマ。って言ってもお嬢ちゃん以外とは面識があったね。あなたにもお礼を言わせてほしいさね」


わたくしはナディアですわ。わたくしも似たような状況でエステルたちに救われましたの。なので貴女たちと一緒ですわ」


 ナディアはそういいながらも、立ち上がりながらキーマが差し出した手を握り返しお互いに微笑みを向け合った。


「それではお三方っ。治療するのでこっちへ来て座ってもらえますか?」


 挨拶が済んだことを確認すると、エディットはルリーテから薬草や治療薬を受け取りながら治療を促す。

 だが、精選という舞台である以上、命を救われた上に治療の時間まで奪うのは忍びない、それがキーマたちの共通の思いだった。

 互いに視線を交わした後、その気持ちを唇に乗せた。


「それはありがたいけど、エディットちゃんたちもまだ未契約でしょ? 私たちはいいから先へ……」


 気力を振り絞り、力無く笑顔を作るキーマ。


「ああ。ジャワが気休め程度には治療の心得もある……」


 取ってつけたような理由を持ち出すドライ。


「そうだな……俺の手持ちの薬でどうにか……これ以上迷惑をかけるのは――」


 震えた腕で布袋を提げていたはずの腰を叩くジャワ。魔獣に喰い破られていることに今気が付いたようだ。




「座ってください」

「はい……」


 しかしエディットがそれを許すはずもなく、三名はそろって返事をすると、すごすごとエディットの前に正座をするハメになっていた。

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